第37話:浮浪者の溜まり場
広いエントランスホールを横切って、右側の通路へと向かうと、カワセミが立ち止まって待っていた。
「あの、足元暗くないですか?」エミリアは、ライトもつけずに歩いていくカワセミを見ていると、この暗さが問題にならないことを不思議に思った。
「見えるから。問題ない。」カワセミは端的にそう言うと、通路の奥を指し示す。
「部屋が並んでるけど、中から人の気配がする。」そう言われて、エミリアが耳を澄ましてみると、確かに人の声のようなざわめきが聞こえるようだった。
改めて廊下を見渡してみると、そこはプライマリー(初等部)用のフロアのようだった。右側の壁には背の低いロッカーが並んでおり、左側には各教室の扉がある。扉には「Year 1」のようなプレートがかかっていて、それが各教室のクラスを表しているのだと、エミリアは推測した。薄暗い廊下のさらに奥に目を凝らしてみると、奥には広いスペースか窓のある空間があるらしく、ぼんやりと明るくなっていた。
「エレメンタリー、5歳から11歳の子どもたちのフロアでしょうね。ものの配置が全部下の方に集中していますし、プレートに書かれているのは就学の年数だと思います。つまり、『Year 1』は就学年数1年で、5歳から6歳向けの教室でしょうね。」エミリアは、自分たちだけに聞こえるように小さな声で推測を口にした。
「おそらくですが、もっと先の方には広めの休憩エリアや、リーディングヌック、資材室なんかがあるはずです。」
「りー……なに?」エミリアの説明に対してディウが困惑したように聞き返す。
「リーディングヌック。本棚のある、小さな読書スペースのことですね。だいたいの場合は、各学年のフロアごとにあるはずです。就学レベルに合わせた本を設置しないといけないはずなので……。」
「へぇ~……。」ディウが首をかしげながら言うのを聞いて、エミリアは丁寧に説明したつもりだったが、それがかえって彼らを混乱させたのではないかと気づいた。
「いえ、今それは問題ではありませんから!ここからどうするかを決めましょうか。」エミリアは空気を変えるために言い切った。
「あの、カワセミさん。その、人がいるって言ってましたよね?こういう時って、どうしたらいいかわかりますか?普通に声をかけても大丈夫なんでしょうか。」エミリアは壁に寄って立っているカワセミに尋ねた。
「……ん、殺意のようなものは感じない。向こうもこちら側を伺っているみたいだし、まぁ、好きにしたら。」カワセミは目を細めながら答えた。
「……そこの、一番手前の扉を開けたらいい。入ったら右手側の奥にいる。警戒してるけど、それはこちらも同じ。問題ない。」カワセミは淡々とそう言った。
「軽く扉とかたたいてあげたら?少なくとも敵意がないことぐらいは伝わるかもよ?」ディウが横から口を挟んだ。
「な、なるほど……。確かにノックは重要ですね!」エミリアは意を決して扉の前に立つと、あまり大きく音を立てすぎないよう、注意しながら扉をノックした。
―コンコンコンコン
エミリアがカワセミに目配せすると、カワセミは目を合わせないまま頷いた。分かりづらいが、中の様子をうかがってくれているらしい、とエミリアは思った。
「し、失礼します!」ついいつもの癖で、扉を開ける前に一声かけてしまうエミリアだったが、ぐっと取手を握って扉を押し開く。
「ひぃっ。」小さく部屋の隅から声が聞こえる。
部屋にある窓から差し込む光に、エミリアは思わず目を細めた。確かに、事前にカワセミが言っていた部屋の右奥に、人が何人か固まっているようだ。エミリアは彼らを刺激しないように、注意深く部屋の中へと踏み込みながら、周囲を確認する。
さっと見回すと、そこは20人は入れそうな広めの部屋で、低年齢クラス用の丸テーブルがいくつか置かれており、可愛らしい小さな椅子が、部屋の隅に乱雑に積まれているのが見える。人が固まっている方の壁には黒板らしき板がかけられており、その左隅には教卓がある。
窓には破れかけのカーテンがひかれているが、隙間からは十分な明かりが漏れている。おそらく割られているのであろう窓から、外の空気が入り込んでおり、廊下にいる時よりもずっと呼吸がしやすくなった。
「も、申し訳ありません。エミリア・バートンと申します。その、皆さんにお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」エミリアは片手で携帯端末のライトを消すと、彼らと視線を合わせるため、埃まみれの床にゆっくりと膝を付けた。
「お、お、お話って、なんでぃ。やけに、て、丁寧なお嬢ちゃんだな……。あ、あ、後、そ、そっちの外にいるのは……。」一人の男が、どもりながら口を開いた。
煤で汚れたボロボロのコートに身を包み、部屋には浮浪者特有のすえた匂いが漂っている。彼は震える指で、エミリアの入ってきたドアの向こうを指さした。
「あ、ご紹介しますね?今日一緒に来た、……エレさん、ディウくん、レイくん、それからカワセミさんです。」エミリアが手で促すと、順番に中へと入ってくる。
「どーも~。」ディウが軽く挨拶をする傍らで、エレは軽く手を振り、レイは小さく会釈した。
風が入っているからか、ディウの黄色味がかった茶髪や、エレの赤いロングヘアが揺れている。最後にカワセミが入ってくると、浮浪者たちの顔がわずかに強張った。
「……。」浮浪者たちはしばらくカワセミを凝視していたものの、それ以上は何も言わずに指を下ろし、カワセミもまた何も言わなかった。
底知れない空気を感じ取りはしたものの、エミリアは深く尋ねるようなことはせず、浮浪者たちに話を聞いた。彼らによると、オールドサウスには定職のない者が多く住んでおり、その日暮らしをしているらしい。エミリアたちが訪れた廃校以外にも、大きな建物が複数あるが、それらは軒並み打ち捨てられており、今は浮浪者たちの根城になっているという。彼らは廃校を根城にしている浮浪者の一部で、寝食を共にする仲らしかった。さらに、同じようなコミュニティが至る所にあるのだとか。
「……ここも昔は、行政区として管理・運営されていたんだがね。」浮浪者の一人、深く皺の刻まれた顔の男が、低くしわがれた声ながらも、しっかりとした口調で付け足した。
「徐々にダメになっちまって。」
「気づけばこんな有様じゃ。」
「今はルミナスイーストがその役を担ってる。」
「でもあそこには月影の施設しか……。」浮浪者の男たちは、口々に情報を付け足した。
「……月影の施設は、市民の皆さんは利用されないのですか?」エミリアが尋ねると、浮浪者の男たちも含めた全員の空気が張りつめた。
エミリアは、また聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと後悔しつつも、しばらくは誰も何も言わないまま静まり返った空気の中にいた。
「あぁ、まぁ、お若い人。あんたは知らなくとも仕方がないさ。あんまり気を落としなさんな。」そのうち先ほどの皺の深い顔の男が、しっかりとエミリアの目を見つめたままそう言った。
「あそこは、私らなんかが関与できる場所じゃあない。」皺の深い男は、それだけ言うと口をつぐんだ。
エミリアは、もう何度味わったかわからない疎外感を味わっていた。Lost Cityに来て、まだ一週間も経っていないエミリアには、見えていないことがたくさんあることは自覚している。しかし、月影すらもその対象であることが、エミリアをまたひどく重たい気持ちにさせていた。
「あの……、私。」エミリアが何かを言いかけたとき、カワセミがエミリアの腕を掴んで引き立たせる。
「え?あの。」
「早くして。」カワセミの急な行動が理解できないエミリアに対し、カワセミは短く返した。
「人が来る。」それだけ言うと、カワセミはエミリアを浮浪者たちの方へと強引に押しやり、室内に置かれていた丸テーブルのいくつかを、足で蹴ってどかした。
これまでにないくらいピリピリとした空気を纏うカワセミに、エミリアはわずかに戸惑いながらも、「エミリアさん、こっち。」というレイの声に従って、レイと一緒に浮浪者たちの固まっている方へと身を寄せた。




