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路地裏の亡霊たち  作者: Nova
第2章:Cut the Skin, Cut the Bones

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平穏な始まり

―カチャ


「ん……。」アイン・ザードは、人の気配を感じて目を覚ました。

 直前まで、何か夢を見ていたような気がするが、血管の膨張と縮小による耳鳴りと、ボワンとした音が繰り返し脳内を揺さぶっているのに掻き消されて、もうとっくに思い出せなくなっていた。

「う……。」肺に呼吸を入れながらも、アインはゆっくりと体を起こそうと試みた。

 ずっと胸が圧迫されていたらしい。手のひらですべすべとした硬いものを触っているうちに、アインは自分がダイニングテーブルに突っ伏して眠ってしまったのだと気がついた。


「はぁ……。」ゆっくりと体を起こすと、するりと何かが肩から滑り落ちた。

 頭が痛い。背もたれにもたれ、体重を預けてため息をつく。昨夜、自分が何を思ってここで眠ってしまったのかが思い出せない。なぜ2階の自室に行かなかったのか、とアインはぼんやり考えた。連日の調査と対応で、自分にもさすがに疲れがたまっているらしい、アインは推測する。しかし、連続放火事件が一応の収束を見せたあとも、また別の連続殺人事件が多発しており、休む暇などそもそもなかったと諦めた。

 ふぅ、とアインはため息をつき、未だに大きく脈打っているこめかみに手を当てながら床を見ると、そこにはデザインの見慣れない柔らかそうな薄ピンク色のブランケットが落ちていた。先ほど肩から滑り落ちたのはこれだったのかとアインは思った。


―カタン


「……ん?」音のした方に顔を向けると、まだぼんやりとした視界に小柄な背中が映り込む。

 さらに目の前のキッチン台の上には食器がいくつか並べられており、もう少し意識が冴えてくると、ほんのり何かの香りがすることに気がついた。目玉焼きと、コーヒーのようだ。

「……あ、おはようございます!よく眠ってたので起こさないようにしようと思ってたんですが、……起こしちゃいましたか?」キッチンで、フライ返しを持ったままエミリア・バートンが振り返る。

「いえ、ちょうど今起きたところです。……おはようございます。」アインが掠れた声で返事をすると、エミリアはニコリと微笑んだ。


「まだ少し早いですし、お仕事が大丈夫ならもう少しお部屋で寝てきますか?」エミリアはフライパンに乗っている目玉焼きをお皿に移しながらアインに言った。

「いえ、いつもはもっと早いので。……手伝います。」

 アインは椅子の横に落ちているブランケットを拾い上げると、立ち上がり、椅子の背もたれにかけておいた。想像通り、柔らかくてほんのり温かさを感じる触り心地のブランケットだ。椅子をぐっと押してテーブルの下にしまいこむと、ふとテーブルの上に乗っている新聞記事に目が止まる。

 それはThe Lost City Gazette(ロストシティ・ガゼット)―Lost City内では最も大きな新聞社が発行している朝刊だった。1面の見出しは、最近件数が増えてきている切り裂き娼婦連続殺人事件についての記事だ。


「……。」アインは新聞を手に取って少し考えた後、邪魔になるだろうと思ってテーブルの隅に置き直した。

「あの、アインさん。」

「なんですか?」エミリアの呼びかけにアインが答えた。

「……その新聞の記事なんですけど。」

「はい。」少し不安そうな顔をしているエミリアに対して、アインは平静を装って返事を返す。

「この前放火事件があったばかりだから、少し心配で。」エミリアはやや伏し目がちにそう言った。

 彼女は1週間ほど前にこの街にやってきた。初日は月影の官舎に泊まったのだが、その次の日には自分の家を持ち、そしてその日の夜のうちに連続放火事件に巻き込まれて家を失った。その犯人である放火魔ライターは、自分の不手際で逃がしてしまった。


「その……、すみません。」アイン自身、謝っても仕方がないとは分かっていたが、謝らずにはいられない。

「……?アインさん、コーヒー飲みます?」しかしエミリアは、少し驚いたような顔をして、小首をかしげただけだった。

「はい、いただきます。」アインは少し呆気にとられて返事をすると、エミリアはまた安心したようにふわりと笑う。

「アインさんのせいじゃないんですから、謝らなくていいんですよ?……はい、どうぞ。」エミリアの言葉にどう返していいのかわからないまま、アインは手渡されたカップを受け取った。

「……ありがとうございます……。」手のひらに、淹れたてのコーヒーの熱がジンジンと伝わってくるのをアインは感じた。


「ふふ、……それで、昨夜はいつ帰ってきたんですか?私気づかなくって。」エミリアが笑いながら話題を変える。

「いつ……。自分も時計を見てなくて、あまりよく覚えていないんです。気がついたら朝でした。」アインは熱いコーヒーに一口だけ口をつけ、一度テーブルの上に置いた。

 エミリアも湯気の立つカップをキッチン台の上に置いて、コンロの上のフライパンへと向き直る。それを見て、アインはエミリアを手伝うためにキッチンの方へと近づいた。

「これは……。」


「あぁ、今トースト焼くので、少し待っててくださいね?というか、トーストを先にすればよかったかな……。」アインの呟きに対して、エミリアが少し的外れな返答を返す。

「いつもは朝食、どうしてるんですか?」アインは、自分の目線より遥かに低い位置から見上げてくるエミリアに対して、どう答えるべきかと言葉を探した。

「いつもは……月影で適当に食べてます。朝、こっちにいないことも多いので……。妹たちのことはリンドウに頼んでいて……。」俺は把握しきれていない、というべきかどうか、アインは悩んだ。

「……あぁ、そうですよね。アインさん忙しそうだから、ちゃんとご飯食べてるのかなって、ちょっとだけ気になってたんです。……あ、トーストも焼けましたよ!」エミリアは嬉しそうにフライパンの上のパンをひっくり返す。


 フライパンの上には、わずかにムラのある焼き色のついたトーストが乗っている。それをエミリアは皿の上に置こうとして、すでに乗っている目玉焼きと格闘していた。

「く……、やっぱりトーストを先にすべきだった……。」悔しそうに独り言を呟きながらも、慣れた手つきで目玉焼きをトーストの上に乗せ、すでに火の通ったウィンナーと一緒に皿に盛り付ける。

「よし。お野菜がないのは残念だけど、まぁこれだけでも十分でしょ。……アインさん、これ持って行ってもらえますか?」隣で覗き込んでいたアインに対して、エミリアが向き直る。

 その瞬間、いつになく近い距離で目が合った。アインは自分がかなり背を屈めて覗き込んでいたことに気づいた。


「……あ、アインさんの目って、青いんですね!」何を思ったのか、エミリアが驚いたように声を上げる。

「……そうなんですか?」そういえば今はゴーグルをしていなかったなと思い出して、アインはわずかに視線を逸らした。

「はい。ずっとゴーグルをしていて見えなかったから、少しだけ気になってたんです。……あ、いえ、大した意味ではないんですけど。」エミリアは少し慌てたように手を横に振った。

 アインの瞳は妹のエレのように綺麗なスカイブルーではない。髪も瞳も黒の方が近しいような色合いをしている。これまで目があった相手に怖がられることはたくさんあったが、エミリアのように純粋な感想を言われたことはほとんどなく、それがアインにとっては酷く新鮮なことのように思えた。


「……いえ、大丈夫です。あ、トーストが焦げますよ。」アインはフライパンに乗っている、2枚目のパンを指さした。

「あ、まずい!」エミリアは急いでパンをひっくり返す。

「……ちょっと焦げたかな……。まぁいいか、私が食べよう。」エミリアは端の方が黒くなったパンを見つめて、ぶつぶつと真剣に呟いている。

「ふっ……。」アインの口から小さく笑いが溢れた。

 そのことに自分自身でも驚いて、アインは即座に左手で自分の口を覆う。こめかみが熱くなるような感覚があった。

「あはは!アインさんも笑うんですね。……あ、今のはちょっと失礼ですね。」くすくすと笑いながら、エミリアはまた手際良く皿に盛り付けていった。


「これはもう持って行って良いですよ?あ……、こっちの焦げた方は私にください……。」

「いえ、俺が食べますよ。」皿を手渡しながらしょぼくれているエミリアに対して、アインは軽く目を細めて頷いた。

「いえ!それは流石に悪いですし!」

「お互い様です。」そう言ってアインがエミリアから皿を二つ受け取ると、エミリアは流石に観念したように肩をすくめた。

「ありがとうございます。次は焦がさないように気を付けますね!」そう言って意気込むエミリアを横目に見ながら、アインは皿をテーブルに並べた。

「はい、楽しみにしています。」アインの口角がエミリアに釣られるようにわずかに上がる。


「おはよう〜!」ドタドタと大きな音を立てて2階から降りてきたのは、アインの妹のエレ・ザードだった。

 音だけでも忙しないのだが、アインが顔を向けた時に、ちょうど3段飛ばして階段を飛び下りたエレを見て、彼はわずかに苦い顔をした。

「おはよう。……怪我するぞ。」アインは静かにエレを嗜める。

「……え⁉︎珍しい!何でいるの⁉︎」エレはアインを見つめると、心底驚いたように目を見開いた。

「エレちゃん⁉︎……あれですよ、たまたまお仕事が一段落ついたんでしょう?ね?アインさん。」エミリアが何とかフォローをしようと試みるも、アインはどう答えたらいいのか悩ましく思った。

「……そうだな、一段落……、ついたわけではないですが……。」アインは最近の業務について思い返し、ほんの少しだけ顔を顰めた。

「……あ、いや!そういう意味じゃなくって!」


「おっはよ〜。……え?なに?何の空気?」弁明しようとしたエレの言葉を遮って、挨拶をしながらディウが下りてくる。

 彼は固まっているエレとアインを交互に眺めながら、自分の長い茶髪を後ろでくくって整えている。

「……おはようございます。」次いで降りてきたのはまだ寝ぼけ眼のレイだった。

 レイは歪なダイニングの様子をほとんど気にすることなくテーブルに携帯端末を置いて周囲を見回した。エレはやらかしたとでも言いたげな顔で顔を顰め、額にゆっくり両手を当てた。


「……いつものことなんで、気にしないでください。2人とも流石に慣れた方がいい。」最後の言葉は誰に対してのものだったのか、流石のアインも突っ込んでは聞けそうになかった。

「……あの、ブレックファストにしましょうか!」現場の状況を修めるためか、エミリアが振り絞るように声を張り、パンと軽く両手を打ち合わせた。

「はい、そうしましょう。」アインは頷き、エミリアから残りの皿を受け取ると、全員の席に配置する。

 新聞はやはり邪魔になったため、ひとまず食器棚の上に移動させることにした。置き場所は別にどこでもよかったのだが、アインはなぜか、ここならエミリアには届かないだろうという微かな思惑を胸に抱いた。


第2章を開始しました。

今後は月・金の19:40更新で進めていきます。

引き続きよろしくお願いします。

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