The Secret of Rosehip
エミリア・バートンが訪れる前の雑貨屋ソニアでのスミレの憂鬱
第1部第1章ep16直前のサブストーリーです
香水の瓶が立ち並ぶ雑貨屋「ソニア」の店内は、控えめな照明に照らされていた。開店はすでにしていたものの、スミレはピンク色のハンディモップで棚の埃をとっている。午前中という時間のせいでもあるのだが、今日はまだ一人の客も来ていなかった。スミレは赤紫色の長い髪を揺らして、鼻歌を歌いながら掃除を進める。
スミレの店には、雑貨屋と銘打ってある通り、様々な日用品や嗜好品が置いてある。しかしLost Cityの住民は、そう頻繁に日用品を買いに来ない。だからこの時間のソニアのように、客の入らない店は少なくはなかった。
スミレは一通り棚の埃をとり終わると、今度は店先の花に水をやりに出ることにした。ソニアはセントラルスクエアのメインストリートではなく、少し路地を入った先にある。この路地はまだきれいに整えられている方で、道を行く人の身なりも表通りと遜色ないほど清潔だった。今日は少し冷えるかもしれないわ、とスミレは思った。
少し店先に出るだけだからと、ブラウスのまま表に出たのが間違いだったかもしれない。そう思うとスミレは立ち止まって腕をさすった。ひとまず店先に置いてある植木鉢の花々に水をやろうとスミレはじょうろを手に取った。
「ふぅ……。」白い息を吐きつつも、スミレはシクラメンやサイネリアや、クリスマスローズといった花々を愛しく思った。
寒さについては致し方ないが、燃料のことなどを思うと気が重い。スミレは今でこそ困窮とは無縁だったが、寒さや燃料の話題となると、どうしても昔の記憶がよぎってしまう。あの頃はまだ小さかった妹のアザミを守り抜くことで精いっぱいだったが、今では彼女も22だ。そろそろひとり立ちを考える頃ではないかとスミレは思うものの、アザミの内気で控えめな性格を思えば、まだ家からは出したくないという気持ちもあった。
「姉さん、私……少し図書館に行ってくるわ。」裏の勝手口からアザミが出てきてスミレに言う。
「あら、もう行くの?もう少しゆっくりしていたら?」スミレはいったん水やりを止めてアザミに向き直る。
「もう少しって……もう9時を少し過ぎてるわ?ブレックファストならすでに済ませたし、動き回ってもおかしくない時間よ。」アザミはスミレの心配をはねのけるようにそう言った。
「そう……。」
「兄さんも姉さんも、少し心配し過ぎだわ。私もうすでに大人なのよ?甘やかされる時間なら、とっくのとっくに過ぎてるわ。」頬に手を当てるスミレに対して、アザミはうんざりしたようにため息をついた。
「でもね、アザミ。オールドサウスは危ないわよ?」スミレは、自分や弟のリンドウとは違って戦うすべを持たないアザミが心配だった。
「……言いたいことは、分かるけど……。それなら姉さんからもらった護身用のパフュームがあるし、オールドサウスにはジゼル先生やマドニアさんだっているのよ?もう何度も行ってる場所だし、過保護にするのもいい加減にしてよね。」アザミの言うことはもっともだ、とスミレも内心ではわかっていたのだが、昨今のLost Cityの情勢を思えば、なかなかスムーズには受け入れられないものだった。
「……分かったわ。何かあったらすぐパフュームを使うこと。連絡を寄越すのも忘れないでね?……それと……。」
「分かった分かった……。ジゼル先生にもよろしく伝えておくわ。……それじゃあ行ってきます。」アザミはスミレの言葉を遮ると、くるりと背を向けて歩き始めた。
「歩いていくの?お弁当は?」
「持った!近くまではトラムで行くわ!」アザミは一度だけ振り返ると、ひらひらと手を振って歩いて行った。
ブラウスにスカート、スミレより少し濃い紫色のボブショート、コートを羽織った後ろ姿を、スミレはしばらく見届けていた。
「さて、私も水やりを終わらせないと……。」アザミのことも心配だったが、スミレにはまだまだやることがあった。
―ピロン
「あら?何かしら。」ポケットに入れていた携帯端末から通知音が鳴る。
スミレが取り出して見てみると、リンドウからのメッセージが来ていた。
―R:今日そっちにお客様が行くよ。
「……全く、相変わらず簡潔な文章ね。」姉に送るとは思えないほどの素っ気ない文章ではあるものの、事の仔細はすでにリンドウから聞いていたので、スミレはすぐに返事を返した。
―Violeta:了解よ。あなたも風邪には気を付けて。
―R:あぁ。
「……本当に、全く……。」かわいくない子、と言いかけたスミレであったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
そもそも弟というやつは、みんなこんなものなのかもしれないとため息をつきつつ、店先から少し離れた位置でこちらを見ている男に向かって声をかける。
「ちょっとあなた、目立つから早くこちらへいらっしゃい。」スミレが声をかけると、コートの襟を立てていたその男は、少しだけ目を細めた後で近づいてきた。
「……すまない。取り込み中だと、思ってね。」男は青い瞳を照れくさそうに帽子で隠しながらスミレに言った。
「全く、お忍びってやつも大変ね。……入って、ほら。紅茶ぐらいなら、淹れてあげるわ。」スミレは店内へと男を招き入れ、奥の椅子へと座らせた。
「それで……、今日はいったいどうしたの?」スミレはローズヒップティーをポッドで淹れながら男に尋ねた。
「……あぁ。久々に君の紅茶が飲みたくなった。」男はゆったりとした口調でスミレに告げた。
「……そういうの、誤解されるからやめてよね。」スミレは男に釘を刺す。
「あぁ、すまない。」男はあっさりと謝った。
「……それで?要件は?」スミレがティーカップに注いだローズヒップティーを差し出すと、男は軽く礼を言って受け取った。
「紅茶を買いに来た。……それと、新入りの世話を、頼みにな。」
「また2週間分でいいのね?……彼女のことでしょ?うちの弟に聞いてるわ。……ほんと、みんなで気にして、どうしたの?」スミレはカウンター裏に用意しておいた、男のためのアソートパックを取り出した。
「うん……、詳しくは言えないが、傷つけると厄介なことになりそうなんだ。……賓客というやつでね。」男は一段声を落として理由を告げる。
賓客、という言葉に、スミレは思わず男を見つめた。なんでそんなものを市中に放ったというのか、スミレは素直に男の倫理を疑った。しかし男は、そんなスミレの眼差しを受けても、一切動じることなくスミレの瞳を見つめ返した。
「……君の言いたいことはわかっているが、彼女が街に出たいと言ったんだ。」男はスミレをじっと見つめている。
「……それを止めるのがあなたじゃないの?」スミレは男の青い瞳に気圧されながらも、目を細めながら問い詰める。
「……あぁ、その通りだ。しかし彼女にはやることがある。その意思がある者を、こちらの一存では引き止められない。」男はまっすぐにスミレに告げた。
重苦しい沈黙が二人を包む。どうしてこの男と一緒にいると、こうも時間が長く感じてしまうのだろうと、スミレは思わずため息をついた。
「……はぁ、分かったわ。あの子にもよろしくと頼まれてるし、面目ぐらいは守ってあげる。」スミレは男から視線を外すと、品物を紙袋へと詰め始めた。
「……でも、それ以上のことはその子次第よ。守る価値があれば守るけど、リソースは常に限られてるもの。」あなたにだって、分かるでしょ?と、スミレは微笑みながら袋を渡した。
「……あぁ、感謝する。」男はうなずきながら紙袋を受け取った。
「美味しかったよ、ありがとう。」男はカップをスミレに手渡し、いつものようにカードで料金を支払った。
「いいえ、こちらこそ。いつもごひいきに、ありがとうございます。」スミレもまた、いつもの調子で代金を受け取った。
「それではまた、二週間後に。」そう言うと、男は軽く手を上げ、再びコートと帽子で顔を隠しながらルミナスイーストの方へと立ち去って行った。
「……そういうところよ、レオン。あなたを嫌いになれないの……。」誰もいないことを確認しつつ、スミレは遠ざかっていく彼の背中につぶやいた後、店の中へと踵を返した。




