Firebug, Fire Road
真夜中のソルティノース。立ち並ぶレンガの家の間を、海からの風が吹き抜けていく。暗がりに立つ、フードを被った小柄な男が、乾いた口笛を吹きながら何かを手で弄んでいる。
「今日はしけった風の吹く、い〜い夜だねぇ〜。」小柄な男は、誰に聞かせるわけでもない独り言をつぶやき、荒れてひび割れた唇をひと舐めした。
小柄な男は手に持っているガラスの瓶を放り投げ、落ちてくるところを器用に掴む。あたりを見回すまでもなく、住民の寝静まった住宅街は、時折遠くから唸るように聞こえてくる波の音と、道端に落ちているゴミを引きずっていく風の音ぐらいのものだった。
「んじゃま、さっさと燃やしますかぁ〜。」小柄な男は、先ほどまで弄んでいた手のひらサイズの小瓶を軽く振ると、缶のプルタブを開ける時のように人差し指で起爆トリガーを持ち上げる。
―カチリ
―パァン
異なる二つの音がほぼ同時に発生し、小柄な男が持っていた瓶が粉々に砕けて弾け飛ぶ。男が振り返る間もなく身を屈めると、先ほどまで彼の首があった場所を風切り音が掠めていった。片方はスナイパー、もう片方は?と、男の頭が高速で回る。しかし男は慌てるでもなくゆらりと立ち上がると、視界の隅で小さく揺らめく赤い炎を、チラリと眺めて舌打ちをした。
「もうお出ましか……。全く、危ないなぁ、もう……。」小柄な男は襲撃者の存在を察しつつも、ニヤニヤと笑う表情を崩さなかった。
「余裕そうだね。」どこからか抑揚のない声が聞こえて、男はすぐにもう一つの瓶を取り出した。
後ろへ飛び退くと同時に瓶を放り投げると、風を切る音とともに炎の爆ぜる音がする。目の前で空気を焦がして燃え上がる火炎の中、男が目を凝らすと、またもや瓶が空中で粉々に撃ち砕かれたようだと分かった。
「チッ。」男は思わず舌打ちをしてフードを掴む。
当初の目的とは違うとはいえ、砕けた瓶から燃え移った火がチリチリと熱を放って燃え広がっていくのを、彼は興奮しながら見つめていた。
「んで、一体何の用なんだ?月影さんよ。」小柄な男はニヤニヤと笑いながら瓶を取り出し、起爆トリガーへと指をかけると、暗がりの中へと声をかけた。
「そんなこと聞いてどうするの。」暗がりの中から、空気に柔らかく溶けるような男の声が聞こえてくる。
微かに街灯の光を反射するようなきらめきが見えたかと思えば、小柄な男の首筋を瞬時にナイフが掠めていった。男はすんでのところで避けつつも、フードを思い切り切り裂かれたことに苛立ちを覚えて相手を睨む。黒く漂う煙の中に立っていたのは、オレンジ色の髪に緑の瞳の青年だった。
「チッ、……カワセミか。」小柄な男は自分の瞳孔が狭まるのを感じて目を見開いた。
―カシャン
屋根の上では、アイン・ザードがスナイパーライフルをリロードしている。海鳴りを背負い、勾配のきつい瓦屋根に身を伏せて、ブーツの先を継ぎ目に食い込ませるようにして体を固定する。落ちた空薬莢がどこかへ転がっていくのを気にも止めずに、彼はゴーグル越しにスコープを覗き込んだ。標的は小柄な男―放火魔ライター。殺し屋カワセミと対峙しているその男を、アインは視界の中央に捕捉した。
風が薙ぐような感覚とともに音が遠のく。放火魔ライターは相変わらずニヤニヤと笑っているが、対するカワセミは微動だにしない。しかしその姿を見れば、だらりと力の抜けた腕はいつでも振り出せる位置にあり、ぼんやりとして見える立ち姿だが隙はない。大したものだ、とアインは思った。
「近接戦は任せた。火炎瓶はこちらで受け持つ。」
「了解。」
アインの言葉に対して、無線越しに短く返答が返ってきた。しかし後はもう、ほとんどやりとりをすることはないだろうとアインは思った。カワセミが動き出したからだ。
―カチリ
カワセミは地面を軽く蹴って飛び出した。放火魔ライターは次の火炎瓶を懐から取り出し火をつける。起爆トリガーにかけられた指が上がり切る前に、アインの狙撃が突き刺さる。
「……。」やけにタイミングがいいなとは思うものの、特に気にすることなくカワセミはライターの喉元に向けてナイフを突き刺す。
しかしライターはまたもや皮一枚の差で避けきり、そのまま回転を利用して自分とカワセミの間で火炎瓶を起爆する。
爆風と共に瓶が爆ぜ、赤い炎が燃え上がる。カワセミは空中で身を捻り、衝撃を上手く利用しながら距離を取る。着地した地面に手をついてからライターを見ると、彼もまた自前のマントで火をかわし、適度に距離を取っていた。
「はぁ……。」少々厄介な敵に当たったかもしれないとカワセミは思った。
しかし、爆ぜた火炎瓶から燃え移った火が、少しずつその範囲を広げているのが目に映る。カワセミの視界も、その炎から発生した黒い煙で霞みつつあった。
あぁ、厄介だ、と思いながらも、ライターはクヒヒと笑い声を漏らした。目の前のカワセミもそうだが、屋根上からの狙撃がもっと厄介だ。こんなこともあろうかと、黒煙を強く発生させる特製の瓶を作ってきたのは正解だった。そう思うと彼はさらに口角を釣り上げ、ニタニタと笑った。
「なぁあんた、火は怖くないのかい?燃やしてしまうよ?ここら一帯を、全部さぁ。なぁ、どうなんだい?……カワセミ。」ライターはバクバクとなる心臓を抑えながら呼びかけた。
「興味ない。」黒煙の向こうから聞こえてくる返答はそっけなく、しかし一応は応じるあたりが丁寧なんだ、とライターは笑った。
―カチッ
再び特製の火炎瓶を取り出し、カワセミに向かって投げつける。その度に的確な狙撃が瓶を割り、煙の中から低い姿勢のカワセミが現れる。
―バリン!
音がどんどん遠ざかるかのような感覚に、ライターは震えた。炎ではなくとも目がチカチカしてよろけそうになるのを必死で堪える。
アインは黒煙により悪化する視界の中でも援護射撃を繰り返していた。放火魔ライターは想定以上に手慣れているらしく、カワセミとの間に一切の躊躇なく火炎瓶をばらまいていく。あまりの距離の近さに、カワセミもろとも自爆しそうな勢いではあるものの、それがかえってアインからするとやりづらく、計算しているならなかなかのものだと思わせた。
レティクル(スコープの十字線)をぶらさぬように固定したまま、右手でボルトを跳ね上げる。鎖骨付近に押し付けた銃床が、より深く食い込む感覚があった。体のぶれを警戒するあまり、息をすることすらためらうアインだったが、より正確に風の動きを読むために、一度深く息を吸い、そして細くゆっくりと吐き出した。照準を合わせ、トリガーを引く。一瞬の溜めののちに放たれた弾丸は、黒煙の壁を突き破り、ライターの指を掠めていった。
「いっ!……て……。」ライターは思わずうめき声をあげた。
すでに辺りはいくつもの火の帯に囲まれており、彼の視界は赤赤と燃える炎の色に染まっている。幾度となくカワセミのナイフをかわしているライターだったが、さすがに体力の底が見えてきた。
「……っ!」
―バリン!
ライターは体を大きくひねりながら火炎瓶を投げつけるものの、カワセミはやはりものともせずに瓶をはねのけ切り付けてくる。先ほどアインの銃弾によって負傷した右手に、ドクドクと脈打つ感覚があった。新しい火炎瓶に手を伸ばすものの、ライターは自分の指先が痙攣していることに気づいてクヒヒと笑う。見境なく至近距離で火炎瓶に着火し続けたせいで、手のひらのやけどもひどかった。
しかしながら、同じように火をかいくぐって戦っているはずのカワセミには一切の変化が見られない。ライターのフードは切り裂かれてボロボロになり、服の裾も火にあぶられて焦げている。おまけに紙一重でかわし続けた首筋には、いくつもの血の筋ができていた。
「このくそ野郎どもがっ。」ライターは思わず、口角を上げながら吐き捨てた。




