危機的状況
エミリア・バートンはお昼過ぎになってソルティノースへと帰り着いた。本当は他に新しい衣服なども調達したかったのだが、一人で持ち歩ける荷物の量には限りがあり、また両手が塞がった状態で歩き回るのはあまり良くないとヨナスが言っていたからだ。現にエミリアは、すでに通りでスリにあっていたため、納得せざるを得なかったのだ。
午後の日差しはぼんやりとして温かいなとエミリアは思った。この街に来てからまだ2日ほどしか経っていないのだが、エミリアはもう一週間もこの街にいるかのような気持ちになっていた。初日は月影に泊まり、次の日は一人暮らしの家が焼け、そして今日からは居候生活が始まろうとしている。未だ教師としての職務について何の進展もないことも、エミリアの心を焦らせる要因となっていた。
「……まぁ、その辺に放り出されるよりはマシだったかも。」エミリアはため息をつきつつ、傾きかけた荷物を抱え直した。
贅沢を言っている場合ではないのだ、とエミリアは分かっているので文句は言えない。ソルティノースにある、焼けたばかりの自分の家を思えば、命があるだけマシだと思えた。
「明日は衣服を買いに行かないとなぁ……。」エミリアは片手で自分の私服の裾をつまみながらつぶやいた。
ヨナスとのランチはエミリアにとっての久々の息抜きになった。ヨナスはやはり見た目通りの知的な青年だった。紹介してくれたカフェも程よく小洒落ていて落ち着きがあり、センスのいい店だとエミリアは思った。表通りのマスカレイドとはまた違う、裏通りの穴場のような店だとヨナスが言っていた。
エミリアはキッシュ、ヨナスはミートパイを食べながら、お互いの関心ごとについて軽く情報を共有し合った。ヨナスは慣れた手つきでカトラリーを扱いながら、最近は火災の話題でもちきりなのだと苦笑した。エミリアは、流石に自分の家も燃えたばかりだとは言えなかったが、「乾燥しているからかな?」とそれとなく聞いてみたところ、「放火だよ。」とヨナスは言った。
「はぁ……。」エミリアは、疲れとも興奮ともとれないため息を吐いて歩き続けた。
といっても、エミリアは自分の足だけでここまで歩いてきたわけではなく、トラムに乗って近くまで移動してきたためまだ楽だった。
この街のトラムは、基本的には各エリアを順繰りにめぐるような形で運行していると、エミリアはエレたちから聞いていた。一部エリアへの運行は現状停止しているものの、大体の場所へは行けるらしい。ただその場合でも、運行停止エリアには立ち入らない方がいいと、エミリアは念押しされていた。
もう少しで着くなと思いながらエミリアが歩いていると、アインらしき人影が立っているのが目に入る。そこは昨夜の火災現場となった家の前であり、他にも何人かが作業をしているのが見て取れた。
「アインさん、他の皆さんも、お疲れ様です。」邪魔してはいけないと思いつつも、素通りするのも居心地が悪かったエミリアは、挨拶だけして立ち去ろうと思い、近づいた。
「……お疲れ様です。」アインは小さく頭を下げた。
「では……失礼します。」エミリアは軽く微笑むと、会釈を返して即座に立ち去ろうと踵を返した。
「あ、ちょっと待って!」
「はい?」唐突に声をかけられたことに驚きつつも、エミリアは再び立ち止まり、声の主へと体を向けた。
「あなたがエミリア・バートンさんね……?」白衣の女性がエミリアをじっと見定めるように眺めている。
「はい、そうですが。」
「初めまして。……治安管理局・月影科学セクション、ジーナ・ノルディよ。……あ、こいつの同僚ね?」きょとんとしているエミリアに対して、白衣の女性はジーナと名乗り、近くにいたアインを指差した。
「……エミリア・バートンです。よろしくお願いします。」流れに釣られて挨拶をしたエミリアは、ジーナが自分を知っていたことを思い出して、少しだけ恥ずかしいような気持ちになる。
「ええ。お話はかねがね……。と言っても、レポートとこいつからの情報でしか知らないんだけどね?」落ち着いた見た目とは裏腹に、なかなかな速度で話し出したジーナに対し、エミリアは少しだけ困惑したような微笑みを返した。
ジーナは黙っていると目つきの険しい人ではあったが、話し出してみると意外と気さくな人らしいとエミリアは思った。一方その隣のアインは、手を後ろで組んで待機の姿勢をとっている。その姿を見たエミリアは、プレジデントルームで初めてアインを見た時のことを軽く思い出していた。
「……それでね、バートンさん。いえ、エミリアさんでいいかしら?」ジーナがエミリアに返答を促す。
「あ、はい。大丈夫です。」エミリアは素直に返事を返す。
「ついでと言っちゃあなんだけど、どのみち事情聴取的なことはしないといけないのよね。……少し遅れちゃったけれど、昨夜の放火事件について、お話聞かせてもらってもいいかしら。」ジーナはニコリと微笑んだ。
「あ、はい。……もちろんです!」それがおそらく断れない類のものであることはなんとなく分かったため、エミリアは大人しく了承した。
「あ、とはいえ、その荷物持ったままじゃ大変よね?……ほら、アイン?あんたんち近いんでしょ?案内しなさいよ。」ジーナはエミリアの荷物を見た後、アインに向かって促した。
「……え?あの、私は大丈夫ですが。」エミリアは恐縮してそう言ったが、ジーナはすぐに片手で制した。
「ほらアインくん?エミリアさんの荷物を持ってあげて、先輩を家に案内しなさい?」ジーナはタブレット型端末で自分の肩を叩きながら、不敵な顔でそう言った。
「あ!ほら!アインさん、左手の傷は大丈夫なんですか?」エミリアは咄嗟に言った。
「……え?」アインは、エミリアに伸ばしかけた手を一旦引いた上で思案するような顔をした。
「……あぁ、はい。平気ですし、大して問題はありません。」
「痛みとかは?ほら、その場でできる簡単な手当てしかしていませんし、可能なら、ちゃんとお医者さんに診ていただいた方が……というのは、ちょっとお節介が過ぎますよね!すみません……。」エミリアが捲し立てるように言ったのを少し反省していると、アインは無表情で硬直していた。
「……お医者さん、ですか。」アインがボソリと呟いた。
「……あ、つい癖で!」エミリアは途端に恥ずかしくなって、持っていた荷物で顔を覆い隠しながら謝った。
「……いえ、なんでもありません。気にしないでください。それと、一通り仕事が終わったら、治療は受けに行く予定です。」エミリアには、アインは相変わらずの無表情に見えるものの、先ほどよりはいくらか声音が柔らかいようで不思議に思えた。
「そうですか……。それは良かったです。」エミリアが心底嬉しそうに微笑んで見せると、アインは今度は何も返事を返さなかった。
「……ふふふっ。……あぁ、ごめんなさいね。いひひひひ。」突然、堪えきれなくなったように笑いだしたジーナに対し、エミリアとアインは二人同時にジーナを見つめた。
「あはははは!……ほんと、おっかしいったら!あっははははははは!」いよいよ本格的にお腹を抱えて笑い続けているジーナに対して、エミリアは困惑したような視線をアインに投げかけるも、アインは黙ってジーナを見つめている。
「くっふふ……。あーあ、おっかしいー。あんたたちほんっとうに可愛いわねぇ〜。お姉さん死んじゃうかと思ったわ〜。」どこまで本気かわからないような口調で、涙をぬぐいながらジーナは言った。
「さて、それじゃあアイン?本題に入りたいから、お家借りてもいいかしら?」気を取り直したのか、最初のような冷静な口調でジーナが尋ねる。
「……もちろんです。」アインは少し不服そうな表情には見えるものの、軽く頷いて了承を示した。




