Extra-Visual-Cognition
休憩をしながら、ジーナは左手に持ったタバコの煙をゆっくりと長く吐き出した。よりにもよって火災現場でなんて、と脳内で皮肉を呟きながらも、この過緊張な現場では吸わない方が体に悪いとジーナは考えた。アインはといえば、何をするでもなく邪魔にならない場所に立っている。ジーナは流石に足が疲れて、アインのバイクに背をもたれて立っていた。
戦術局員なら気にしないのだろうが、ルミナスイーストからソルティノースまで来るのは流石に徒歩では苦しいものだ。特にジーナのように万年デスクワーカーであればなおのこと。だからジーナはアインのバイクに一緒に乗せてもらい、他の局員には車両でついてきてもらったというわけなのだが、正直ジーナも車両でよかったと感じている。
道中、アインの細身だが逞しい胴体に腕を回して座っていると、彼の高身長のせいもあってジーナには正面の景色が全く見えない。しかし表情を確認しなくとも、アインが少し楽しげにしていることがジーナにはなんとなく感じ取れていた。彼にとっては息抜きみたいなものなんだろうと解釈し、ジーナは黙って従った。
「はぁーあ。」本音を言えばルミナスイーストから外へ出るのは嫌だったのだが、他の局員には務まらないと、ジーナ本人ですら知っている。
それに、とジーナは端末の縁を指でなぞった。レオン本人からお願いされちゃあ仕方がない。そう言いつつ、ジーナは数少ない人情というものを発揮していた。
「しっかしまぁ、派手に燃やしたわよねぇ……。」ジーナは改めて、燃え尽きた3棟の家をじっと見つめ、ポケットから出した携帯灰皿にタバコを押し込んで火を消した。
ジーナは瞳孔が狭まる感覚に眉を寄せた。現場に残るあらゆる痕跡という痕跡がハイライトされるような感覚になる。ジーナはその無数の痕跡の中から、この放火事件に関わるものだけをピックアップしようと試みた。
本当はあまりこの力を使いたくないジーナだったが、人員に余裕がない今の月影には猶予もないと知っていた。ジーナのようなEVCホルダーを現場に駆り出してでもどうにかしたいというわけだ。
EVC(Extra-Visual-Cognition)というのは生来持って生まれた拡張認知視覚のことだ。その能力には様々なものがあるが、大体が目に関するものであることが多いと聞く。ジーナのEVC:Analytical-Trace(痕跡視)もその例に漏れず、目に映るもの全ての過去にまつわる痕跡を見逃さない、というものだった。
「えっと、放火魔ライターは住居3棟を焼いている。……炭に混じって、ここだけ不自然に白いわね。粒子が細かくて、瓦礫に焼き付いている。……マグネシウム特有の高温燃焼跡かしら。黒い砂状の粒は火薬……ってことは導火線ね。ドロドロに溶けた……鉄。高熱破損ね。あとは飛び散った木の破片……。起爆剤かしら。」ジーナは焼け残った痕跡を見つめながら、現場をぐるっと回って家の入口扉があった付近で立ち止まった。
同時にタブレット端末へと情報を打ち込んでいく。人が歩いた跡、降り積もった埃、砕けたレンガ、人為的に残された傷跡や劣化だけでなく、風が吹いて折れた木の枝といった自然のものまでも、ジーナの視覚は強調表示する。
「つまり、どういうことですか?」アインがジーナの動きを察してか、音もなく隣に現れた。
「つまり、ライターはエミリアの家の扉にある小窓から火炎瓶を投げ入れた。小窓が割れているし、瓶の破片も内側に散らばっている。それとほぼ同時か少し前に、両隣の家の扉に繋がっている導火線へと火をつけた。導火線の先には起爆剤があって、それが扉を破壊し、発火の原因となった。」ジーナは息を吐き、眉間を押さえながら、簡単に整理して説明をした。
慣れてはいるものの、やはり負担が大きいとジーナは思った。一度目を閉じて、ヒートオーバーしそうになる頭を鎮めようと、顔を手でパタパタと仰ぐ。そしてジーナは目を開き、再び現場を見つめ直した。
「エミリア・バートンはキッチンでドリンクを作り、ベッドの上で飲んでいた。」ジーナは再び話し始める。
「そんなことまで分かるんですか。」
「うん。キッチンのステンレス、今は飴細工みたいにひしゃげてるけど、その近くのコンロで火を使った痕跡があるわ。扉付近で発生した火はまず床や壁を這い伝い、ウールのカーペットやパイン材の家具に燃え移る。キッチンもその対象よ。今は綺麗に炭化してるけど。」ジーナは玄関扉を入ってすぐの左横の空間を指差した。
「……確かに何か錆びた鉄みたいなものがありますね。」アインは困惑したように相槌を打った。
「……そう、そこからほぼ真正面にベッドがあるわ。火は壁を伝い家具から家具へと移りながら、被害者のいるベッド周辺を囲い込む。エミリア・バートンはそこで何かを飲んでいたわね。床に、割れたマグカップの破片と黒いシミがある。…成分までは、わからないけれど。」ジーナはときどき息を大きく吐き出しながらも、ほぼ澱みなく言い切った。
「……なるほど……よくわかりませんでした。」アインが顔色ひとつ変えずに言い切った。
ジーナは肩で息をしながらこめかみを抑え、アインの顔を睨みつけた。しかし、黒いゴーグルで目元を覆っているアインの瞳がどう揺らいだのか、あるいは揺らがなかったのかは、ジーナですらも見抜けない。
「……まぁ、いいわ。続けましょう。」ジーナは仕方なく、検証もとい、EVCでの分析を続けるために、部屋の中心まで踏み込んだ。
「……で、エミリア・バートンはそこにいたってわけ。そこのベッドのあったあたりにね。」
「……何もありませんが。」アインが近くまで歩いてきてまたもボソリとつぶやいた。
「燃えたのよ。」ジーナは間髪入れずに突っ込んだ。
「んで、問題はそこの窓よ。それに関してはあんたからも言うことがあるんじゃない?」ジーナはサッシごと内側にひしゃげている窓を指差した。
「……窓を、蹴破りました。」アインは僅かに顔を逸らしながら返答する。
「見りゃ分かんのよ、んな事は。……そうでなきゃクレセント錠の一部が入口付近に転がってることなんてありえないもの。窓枠の鍵だった部分と照らし合わせれば、鍵が錆びついて癒着していた事だって分かるわ。……でも問題はそこじゃない。」ジーナは床に転がっている鍵の一部や、ひしゃげた窓を指差しながらアインに言った。
「あんた、どんなバカ足で蹴り飛ばしたらこうなるの?」ジーナは腰に手を当てながら問い詰める。
「……どんな、と言われても、答えようがありません。」アインは少し言葉を詰まらせたように返答した。
「……そうよね。そりゃそうだと思うわ、全く、あんたたちときたら揃いも揃って……。」ジーナは苦虫を噛み潰したように頭を抱える。
「つまり、あんたは鍵が掛かってるかもしれないと想定した上で、ピンポイントで衝撃を与えた……。その鍵の部分に。運が良かったのは、鍵が癒着して遊びがなかったことかしら。これがもし生きてる鍵だったなら、衝撃を逃す分、もっと面倒になってたはずよ。」ジーナにとっては、それが事実だと分かっていても、バカヤロウと思わずにはいられなかった。
「仮に運が良かっただけだとしても、普通の人なら今ごろ病院のベッドの上にいるはずよ。……膝の皿をぶっ壊してね。」ジーナは深くため息をついた。
全くこの男ときたら、これが一体どれほどのことか分かっていない。それがジーナにはひどく憎らしく思えて仕方がなかった。
「……そんなに、おかしなことでしょうか。」ジーナには、アインが少し困惑しているように見えて、少しだけ目を疑った。
「……そんなことない。……土壇場の人間にはよくあることだわ。」ジーナは咄嗟にフォローしながら肩をすくめる。
「ま、なんにせよ、その究極の一撃があったからエミリア・バートンは助かったのよ……。そうでなきゃ、彼女自身がこの塞がれた部屋から脱出するのは難しかった。……もし開かない窓について放火魔ライターが認識していたとしたら、これほど完璧な状況はそうないでしょうに、それでもやつはしくじった。……あんたのそのバカ足の威力を、想定できていなかったのよ……。」ジーナはチラリとアインに目をやった。
「……それは、褒められているのですか?」まるで空気を察したかのようにアインが言う。
「そうね、いい仕事をしたじゃない。……でも油断は禁物よ。あんた、エミリア・バートンを助けるために色々と無茶をしたでしょう。一度目は窓を蹴破った時に、二度目は倒れてきたクロゼットを跳ね除けるために。んで、そん時にどこかに怪我をしたはずよ……。切り裂かれた合皮の繊維痕と、木片に付着した誰かの血痕。それがエミリア・バートンのものでないなら、一体誰のものなのかしら。」ジーナは焼けて炭になった木片を指差しながらアインを見つめた。
「……。」アインが何も言わずに左手を背中に隠したことを、ジーナの瞳は見逃さなかった。




