日常の残骸
―チリンチリン
カワセミがカフェ&バー・マスカレイドのドアを開けると、リンドウはすでにエプロン姿で仕込みをしていた。店唯一のウェイトレスであるカナリアが、白い髪を軽く揺らしながら清掃している姿が目に入る。
「いらっしゃいませ、カワセミさん。いつも通りのご来店ですね。」カナリアはいつものようにモップを持ったまま、スカートを軽く持ち上げて礼をした。
「いらっしゃい、カワセミくん。ブレックファストはもう済みましたか?」リンドウが軽やかに笑いながら声をかけてくる。
「いや……、たぶん、まだ。」カワセミはリンドウの言うブレックファストが何を指すのか、ぼんやりと考えた。
「そうですか。」
「サンドウィッチなら、食べたけど。」そういえばと、カワセミは今朝口に入れたサンドウィッチのことを思い出す。
「あらあら。それ、昨日渡したやつですね?夜は食べなかったんですか?」
「……覚えてない。」リンドウの問いかけに、カワセミは少し罰が悪そうに返答した。
「……そうですか。」リンドウが何を考えているのか、カワセミにはさっぱり分からなかった。
「紅茶、飲みますか?」リンドウは何かと世話を焼いてくる。
「ん……。そういえば、飲み忘れた……。」先ほど家で淹れた紅茶のことを思い出して、カワセミはぼんやりとつぶやいた。
「何をですか?」
「紅茶。」
「あぁ、淹れましたよ。サンドウィッチも、いりますか?」
「……それはもう食べた。」
「そうでしたね。」穏やかに紅茶を差し出すリンドウの前で、カワセミはいつものカウンター席に腰を掛けた。
この時間帯はまだマスカレイドの準備時間だ。テーブル席は椅子がまだテーブルの上に上がったままで、カナリアがフローリングを清掃している音が聞こえる。まだ一般の客には開かれていない時間だが、リンドウは特殊な客に対してのみ、開店前に店に入ることを許していた。
―カタン
ぼーっとしていたカワセミの耳に、リンドウの立てる食器の音が入ってくる。少し顔を上げてみると、またいつものようにコーヒーを淹れ、サンドウィッチの乗った大きめの皿を用意していた。
「僕もこれからブレックファストなんですよ。……おひとついかがですか?」確かにいつもこのタイミングだったような気がするな、とカワセミは思いながら、サンドウィッチを一切れ手に取った。
「……どうも。」
「いいえ。……カナリアさん、ご一緒にどうですか?」リンドウはカワセミににこりと笑いかけると、テーブル席の配置をしていたカナリアに対して声をかける。
「……はい、いただきます。」カナリアは自分のエプロンで軽く手をぬぐうと、軽めの足音を立てながらカワセミの席まで近づいてきた。
「……よいしょっと。お隣失礼します。」カナリアはカワセミの席の隣へと腰掛けた。
「リンドウさんのサンドウィッチは美味しいですね……。」カナリアが一人言のようにポツリと言った。
カナリアの声は決して大きくはなく、いつも空間に置かれるようにふわっとしていた。しかしそのせいか、伝える気があるのかないのかカワセミにはいつもよくわからない。カナリアはそんなカワセミに対しても、返事があるかどうかを大して気にしていないように見えた。
「カワセミくん、昨日の件はいかがでしたか。」リンドウが唐突に切り込んでくる。
「……大したことは、何も。」カワセミは、昨夜すでに伝えているはずだと思いながら返答した。
「そうですか……。月影の医薬品倉庫に潜り込んだと、聞いていましたが。」
「その情報は聞いていない。いや、ターゲットの居場所からは、何も出てこなかった。」カワセミは意識的に記憶を手繰り寄せ、昨夜の顛末を引きずり出す。
「ふむ……、そうですか……。いやしかし、武器庫ならまだしも医薬品倉庫とは……。その価値を正しく理解できる人間でないと、思いつかない発想ですね。」リンドウがぶつぶつと考え込んでいる。
実際、月影の武器庫に侵入すること自体は難しくないとカワセミは思った。おそらくリンドウが抱え込んでいるあの口数の多いギークならば、一瞬で突破して刺客を潜り込ませるぐらいはできるはずだ。
問題は月影ビル内にある医薬品倉庫への侵入が可能かどうかという話だが、仮にできたとして、月影側が全くそれを検知しないなどあり得るだろうか、とカワセミは取り留めもなく考えた。しかし月影側の認識がどうであれ、カワセミにとってはどうでもいい。カワセミは目の奥にほんのわずかな痛みを感じて思考を止めた。
―チリンチリン
「おっはようございまーす!」店中に響き渡るような大きな声がカワセミに聞こえた。
Colorsのエレだ。続いて何人かがぞろぞろと店に入ってくるような足音が聞こえる。
「リンドウさん、おはようございます!」聞き慣れない女性の声が聞こえてくる。
「おはようございます。」Colorsのレイとディウは相変わらずおとなしかった。
「おや、エミリアさんにColorsの皆さん、お早いですね。いらっしゃいませ。」リンドウが親しげに挨拶しているが、エミリアという人間はカワセミの記憶には引っかからなかった。
「はい。ブレックファストをいただきに来ました。」
「そうなんですね。……皆さん、おそろいで?」リンドウの疑問はもっともだ。
Colorsのレイ、エレ、ディウの3人は、月影局員でもあるアインというタグ付きのもとで暮らしている少年少女だ。一人は実の妹だったとカワセミは記憶していたが、他二人のことはよく知らない。彼らはリンドウが仕事を斡旋している何でも屋で、それなりの立ち回りは可能だったはずだとカワセミは思った。
「はい。……私、現在アインさんのお家に居候をしておりまして……。」エミリアの甘くて高い声がカワセミの耳に入る。
「おや、居候、ですか?」リンドウが情報収集のモードに入ったようだ。
「そうなんです。昨夜、せっかく見繕っていただいた家が火事で丸焼けになってしまいまして。ひとまずアインさんに許可をいただいて、アインさんのお家に一時的にお世話になっているんです。」決して興味があったわけではなかったが、彼らの声はまだ客のいない店内に響き渡っているため、カワセミはひとまず彼らの話を聞いていた。
「そうなの!すっごい火事だったんだよ?」ラジオでやっていた火事の話か、とカワセミは思った。
「……あぁ、あのソルティノースの火災ですね?今朝からニュースを賑わせていたので知っていますよ。……災難でしたね。」リンドウは人数分のドリンクを用意しながら会話を続けた。
ソルティノースの火災は、ここ最近話題になっている放火魔の仕業だろうとカワセミは思った。正直新参者が狙われていても、カワセミは何とも思わなかったし、その件ならば月影が追っているはずなので自分は特に関わりがない。
しかし、いまだ犯人の目星すらつけられず、連続放火を許しているのは相手がタグなしだということだろう。最近は数が増えている。タグ付き相手には有能な月影も、データのないタグなしが相手ともなると、後手に回らざるを得ないらしい。
カワセミは、リンドウに渡された紅茶を一口飲んだ。おいしい。リンドウが出してくれたのは、これまたいつものアップルティーだった。なぜいつもこれなのかはカワセミにもよくわからない。リンドウの言動には分からないことが多いものの、カワセミはそれを取り立てて気にしたことが特になかった。
「はい……。それで、家が全焼してしまったので、アインさんが気を遣ってくれまして。」
「……アインくんが?……へぇ、なるほど。まぁ、そういうこともあるんでしょうね。エレさんたちは大丈夫だったんですか?」
「もちろん。うちまでは火が回ってこなかったし、通り挟んでるから問題ないし!……でも普通にちょっとびっくりしちゃった……。」
「エミリアさんって、その、なんというか、悪運がちょっと強いよね……。スリにもあったって言ってたし、狙われやすい人なのかな……?」ディウの懸念はもっともだ、とカワセミは思った。
新参者は確かに狙われやすい。それは単に、何か価値あるものを持ち込んでいるのではないかと思わせるからではあるが、それともう一つ、無防備でまだこの街を知らない人間だからというのもあるだろう。カワセミはそのあたりの事情についてはよく知っている方だと思っていた。
「カワセミくんは、……どう思いますか?この件について。」リンドウが紅茶の代わりを注ぐついでにカワセミに尋ねる。
「……この前までは、セントラルスクエアがターゲットだった。いくら何でも早すぎる。」どんな返答を期待されているのか分からなかったが、カワセミはもっとも無難な回答をした。
「……そうですよねぇ。私もそう思うんです。……カナリアさんにも調査を頼んでおきますか。……あ、そうだ。紅茶、美味しいですか?」ため息交じりにつぶやいたかと思えば、リンドウは唐突に紅茶の感想をカワセミに求めた。
「……?えっと、いつも通り、おいしかったと思う。」感想を求められるのは少し苦痛だったが、リンドウが求めるならばと思い、カワセミはなんとか答えた。
「……そうですか。実はいつもと少しブレンドを変えてみたんですよね。おいしかったなら何よりです。」リンドウは笑いながら種明かしをするが、そういうところは少し苦しいとカワセミは思った。




