8、助けを求めるキョウカ?
◆助けを求めるキョウカ
── 世界樹の瘴気を全て浄化し聖樹にすることに成功したリコとツカサ。一方、王国は災害に見舞われ、キョウカは逃亡した ──
その夜、リコは宿舎の窓辺に立ち、護符を手に取りながら星空を眺めていた。
異世界の空は地球と違い、ゆっくり動く青い月と、昼間でも見える早く動く赤い月の二つがあり、さらに星も多く、銀河に似た星の塊が天の川のように空を横切っていた。
「まだ寝ていないの?」
ツカサが部屋に入ってきた。銀髪が月明かりに照らされ、神秘的な輝きを放っていた。
「うん、少し考え事を」
「オーデン陛下のプロポーズのこと?」
ツカサが隣に立つと、読心術を使わずともリコの心の中が読めるような優しい眼差しを向けた。
「少し羨ましいよ。あんなに素敵な人が真剣に想ってくれているのだからさ」
「ツカサだって、いつかきっと……」
「私はいいんだよ」
ツカサが軽く笑った。
「私は転生者だし、この世界に完全に馴染めるかどうかもわからない。でもリコは違う。あなたはこの世界の人々と深く結びついている。聖女の代理人として、そして一人の女性として」
リコは護符を握りしめた。金属の感触が手のひらに心地よく伝わってきた。
「日本に帰りたい気持ちと、ここに残りたい気持ちの間で揺れているの。それに……皇后になるなんて、私に務まるのだろうか」
「リコ」
ツカサが真剣な表情でリコの方に向き直った。
「あなたはもう、ただのOLじゃない。世界樹を浄化し、人々を救い、国を変える力を持った女性だよ。自信を持って」
その言葉に、リコの目に少し涙が滲んだ。
「ありがとう、ツカサ。あなたがいてくれて本当によかった」
二人はしばらく星空を眺めながら、これからの計画について話し合った。ムーン王国への対応、亜人たちの権利拡大、医療制度の改革 ── やるべきことは山積みなのだから。
「明日は早いから、そろそろ寝ようか」
ツカサがあくびをしながら言った。
「うん、おやすみ、ツカサ」
部屋が静かになると、リコは再び護符を見つめた。獅子の紋章が月明かりの中で微かに輝いている。
「オーデン陛下……」
囁くようにその名前を口にすると、なぜか胸が温かくなった。彼の真っ直ぐな金色の瞳、威厳の中に潜む優しさ、民を思う深い愛情 ── すべてが少しずつ、リコの心を溶かし始めていた。
窓の外では、風の精霊がそっと窓ガラスを叩く音が聞こえた。まるで励ましているかのように。
リコはベッドに入り、護符を胸に当てながら目を閉じた。ゆっくりと眠りに落ちていく中で、一つの決意が固まっていくのを感じた。
急がなくていい。時間をかけて、自分の気持ちと向き合おう。そして、この世界でできることを一つずつ成し遂げていこう ──
護符から温かなエネルギーが流れ込み、リコを優しく包み込んでいった。それは獅子皇帝の想いであり、この世界からの期待であり、そして何よりも、彼女自身が歩み始めた新たな運命の証であるかのように。
*****
サンディ帝国の隣国、ウィーク小国の国境近くにある小さな村は、夕暮れの淡いオレンジ色に包まれ、いつも以上に静かに感じる。
亜人と人間が混在する小国の辺境の地では、表向きは平和が保たれているものの、闇では奴隷売買が依然として続いているらしい。
薄暗い夕暮れの中、リコは粗末な農民の服を身にまとい茶髪を帽子で隠して市場を歩いていた。茶色の髪は質素な布でまとめ、顔にはほんの少しだけ煤を塗って、どこにでもいる村娘のように装っていた。彼女の目的は、奴隷売買の実態を調査し、亜人と人間の和平のための材料を集めること。
《奴隷商人たちは、この村を中継地点に使っているようだね》
誰にも聞こえない声がリコの心に直接響いた。ツカサだ。今は完全な透明化状態で、リコのすぐそばに存在している。
(そうみたいね。でも、なぜ亜人たちがここまで劣悪な扱いを受けなければならないのでしょう……)
リコの心の声に、ツカサが応える。
《人間至上主義が根強い国だからだよ。でも、私達がここに来たことで、少しずつ変わっていくはずだと思う》
二人は三ヶ月前から、帝国周辺の国々で行われている亜人奴隷売買の実態調査を続けていた。リコとツカサの能力は、本来の世界に戻す力だけでなく、不正義を正す力としても発揮されつつあった。
その時。
突然、かすかに震える声が背後から聞こえた。
「クニコ……さん?」
リコが振り向くと、そこには見るも無残な姿の少女が立っている。
ボロボロのマントは泥と雨に濡れて重たげに垂れ、その下から覗くドレスの裾はかつての白さを失い、灰色に変色している。髪は絡まり、顔には疲労と恐怖の影が深く刻まれていた。
《あれってキョウカさんじゃない? 王国で大事にされていたはずでは? それにしては随分と……》
ツカサの驚きが伝わってくる。
リコも目を凝らした。
確かに、あのムーン王国で「聖女」としてもてはやされていた少女の面影が、今は憔悴しきったその顔にわずかに残っている。
「キョウカさん! どうしてこんなところに? それに、この姿は……」
リコが駆け寄ると、キョウカは崩れるようにその腕にしがみついた。
「助けて……お願い、クニコさん……帰りたい……地球に帰りたいよう……」
彼女の嗚咽がリコの胸に染み込んだ。ツカサが心の声で警告する。
《周囲の目があります。まずは安全な場所へ》
リコはうなずくと、キョウカを支えながら、あらかじめ用意していた村外れの小さな小屋へと導いてあげた。
*****
小屋の中では、暖炉の火がゆらめいていた。リコが温かいハーブティーを淹れ、キョウカに渡すと、彼女は両手でカップを抱えるようにして、ゆっくりと事情を話し始めた。
「全部……全部うまくいかなくなったの。フライア王子様が……亡くなったんです。あの優しい王子様が、原因不明で突然、ベッドで冷たくなって亡くなっていたの。私の事を大切にしてくれていたのに……王子様だけじゃなく、町中の嫡子が全員! ……誰にも原因がわからなかった……」
キョウカの声は震えていた。
「宮廷の人たちは、私が聖女のふりをしているからだって言い出したんです。『偽りの聖女が災いをもたらしたんだ』って……」
彼女は顔を上げ、涙が頬を伝った。
「私、私……ごめんなさい、本当はただの高校生だったの。あの光に吸い込まれて、気がついたらこの世界にいて……
ただ……あの優しい笑顔に触れたくて……王子様が優しくしてくれて、王子様が私を必要としてくれているように感じたくて……
みんなが『聖女様』って呼んでくれて……つい、そのままのってしまっただけなのに……聖女のふりをしちゃったのだけなの……」
キョウカは顔を覆った。
「でも、災害が続いて、作物が枯れて、病気が流行って……全部私のせいだって言われるの。それに……」
《彼女の心の中は……混乱と後悔、そして深い憎しみで満ちている》
ツカサの読心術が、キョウカの本心をリコに伝える。
「それだけじゃないんです」
キョウカの声に力がこもった。
「あの王国、あの人たち、亜人を……まるで物のように、奴隷のように扱っているんです。
私が『聖女』として認められるために、彼らを差し出すように迫られたこともある……私が何か言っても、『聖女様はそんなこと気にしなくていい』って……」
彼女はリコの手を握った。
「クニコさん、あなたが帝国で聖女の代理人として認められて、力をつけているって聞きました。私も力が欲しい。あの王国に……私を追い詰めたあの人たちに、復讐したいんです!」
その瞬間、リコはキョウカの瞳に、純粋な正義感ではなく、歪んだ炎が燃え上がるのを見た。
《彼女の言葉には……とりあえずは嘘はなさそうだけど……でも、親切にしてくれた王国の人たちに対する憎しみも混じっている。純粋な正義感からじゃなくて、自分が傷つけられたことへの怒りだよ》
ツカサの念話がリコの心に響いた。リコは一瞬目を細めたが、それでもキョウカの手を握った。
「わかった。私ができることをやってみる。まずは帝国に戻りましょう」
リコは冷静に言った。
「安全な場所で、ゆっくり話し合いましょう」
キョウカは大きくうなずき、再び涙を流した。
「ありがとう……本当にありがとう……」
《リコさん、彼女の感情……複雑すぎる。単純に助けるだけでは危険かもしれないよ》
ツカサの警告を胸に、リコは二人を連れて帝国への帰路についた。
サンディ帝国の城に戻る道中、キョウカは何度も
「日本に帰りたい」
と繰り返した。
リコは複雑な心境を抱いた。
同じ世界から来た者として、キョウカの気持ちは理解できたから。しかし、彼女の目に宿っていたものは、単なる郷愁ではなかったようなのだ。
*****
帝国の城に到着すると、セレニウスが迎えてくれた。緑の髪と空色の瞳を持つハイエルフは、キョウカの姿を見て微かに眉をひそめたが、すぐに優しい表情に戻した。
「まずはお風呂に入られては? その後、皇帝陛下にお目通りをいただきましょう」
キョウカの目が輝いた。
「お風呂……? この世界にもお風呂があるんですか?」
リコが微笑んだ。
「帝国の文化は進んでいるの。ムーン王国とは違うわ」
帝国の浴室は魔法で温められた大理石の浴槽と、香りの良いオイルが備えられていた。
キョウカは初めて見るその光景に興奮し、しばらくは少女らしいはしゃぎ声を上げていた。汚れを洗い流し、豪華なドレスに着替えた彼女は、かつての「聖女」としての面影を少しだけ取り戻していた。
一方、帝国内ではツカサは隠蔽を解き、姿を現していた。銀髪と紅の瞳を持つ彼女は、キョウカにとっては初対面の人物だった。
「初めまして。私はカプチエーク・ロード。リコ様の専属の侍女兼護衛を務めております」
ツカサはとりあえず自分の正体を隠すことにした。
《異国風な銀髪と赤い瞳だからね。転生者なんだし異世界人だと思わせることくらい、いくらでもごまかせるだろう?》
リコは内心呆れたが、ツカサのことをキョウカに説明する必要がないと何故か感じた。
キョウカが振り向くと、銀の髪と紅の瞳を持つ、異国風の美しい女性が立っていた。その存在感に、キョウカは少し後ずさりした。
ツカサは優雅にお辞儀をした。異国風の外見は、キョウカに異世界人としてごく自然に受け入れられたようだ。
「あ、あの……銀髪で……」
「私の故郷では珍しくありませんからね」
ツカサは涼やかに言った。
「へ、へえ……クニコさん、すごいね。専属の護衛までついてるんだ」
キョウカの声には、わずかな羨望が混じっていた。
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