第五話 おかわり
家庭教師の面談を三人した。
一人めは、貴族の令嬢の教育に必要なのは従順さだと言う。帰っていただいた。
二人めは、遅れを取り戻すには厳しさが要ると言った。杖の使い方まで説明されたので、途中で止めて帰っていただいた。
三人めが来たのは、雨の日の午後である。傘の雫を玄関で丁寧に切ってから上がってきた。
その人は、部屋に入るなりマリカに聞いた。
「何がお得意です」
「数えることです」
「では、そこから始めましょう」
ケルナー先生を雇った。五十過ぎの女性で、商家の帳付けを二十年やってから教師になった人である。給金の交渉が的確だった。自分の値段を知っている人は信用できる。
石板と石筆が屋敷に入った。石板は思ったより重く、マリカは両手で持って自分の部屋まで運んだ。運ぶ途中で一度立ち止まり、持ち直して、また歩いた。誰にも渡さなかった。
三日でマリカは四則を終えた。もともと隅の部屋で屋敷の出入りを数えていた子である。数の並びに意味を見つけるのが速い。
「お嬢様は、教えたことより一つ先を答えます」
ケルナー先生が二日めにそう言った。褒めているというより、困っている口ぶりだった。
「困りますか」
「困りません。ただ、こちらが先に予習をしておく必要がございます」
先生は本気で予習をして、翌日から進みが倍になった。
七日めの午後、ケルナー先生が算術の題として屋敷の支出の写しを使う。実務が一番の教材だという方針で、わたくしも同意している。
マリカは石板に数字を並べ、袖でこすっては書き直した。消し損ねた数字が薄く残る。その上から新しい数字を重ねるので、石板は灰色に濁っていく。
「お継母さま」
「はい」
「薪の量が合いません」
石板を見せてくる。冬の薪の仕入れと、暖炉の数と、部屋の数を並べた表になっていた。
「使っていない部屋の分まで買っております。この三年、毎年同じ量です」
「同じ量」
「屋敷の人数は減っております。母が亡くなって、父が発って、使用人も四人辞めました。それでも同じ量です」
減った分の薪はどこへ行ったか。
十六日の夜の荷車が浮かんだ。麻袋が二つ。片方が軽い。軽いほうが、薪の詰め替えなら合う。
「三年で、どれくらいになります」
「銀貨で、二百は下りません」
マリカは石板の隅にその数字を書いた。書いてから、袖で消さずに残した。
「先生」
ケルナー先生が眼鏡を上げた。
「この石板の内容を、紙に書き写していただけますか。日付を入れて、お名前も」
「証拠になさるので」
「なるかもしれません」
「では、写しを二部作ります。片方はわたくしが預かりましょう。屋敷の中に一部しかない紙は、消えることがございますので」
商家で二十年やった人の言うことは違う。
「先生は、こういうことに慣れていらっしゃるのですか」
「帳付けを二十年しておりますと、数の合わない家を三軒は見ます。合わない家には、たいてい合わせたくない人がおります」
ケルナー先生はそう言って、石筆の粉を指で払った。それ以上は何も聞かなかった。
その夜、厨房へ行った。
料理番が鍋の前にいる。この人はわたくしが二人分と言った日から、一度も理由を聞かない。
「明日の朝から、量を増やしてください」
「増やす、でございますか」
「マリカの分です。十二歳の子どもが、大人と同じ量で足りるわけがございません」
料理番の手が止まった。
「奥様。あの、申し上げてよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「三年前、お嬢様の分を減らせと言われましたとき、わたくしは減らしました。言われたとおりにいたしました」
「ええ」
「言われたとおりにしたのは、わたくしの手でございます」
そこで声が途切れた。この人は三年、鍋の前でそれを考え続けていたのだと思う。
「わたくしもです」
そう言うしかなかった。慰めにならないことは分かっていた。慰めにするつもりもなかった。
「明日から、増やしてください。減らした分は戻りませんが、明日の分は増やせます」
料理番は前掛けで手を拭き、それから深く頭を下げる。
翌朝、マリカの皿は明らかに大きい。
湯気が立っていた。麦の粥ではなく、卵と、焼いた腸詰めと、白い麺麭が添えてある。マリカは皿を見て、それからわたくしを見た。
「多くございませんか」
「足りなければ言ってください」
「足りなければ」
その言葉を、口の中で一度繰り返したのが分かった。
食べ始めた。速さは変わらない。ゆっくり食べる癖がついている子である。取り上げられない場所で食べた経験が少ないと、人はゆっくり食べる。
半分ほど進んだところで、匙が止まった。
「お継母さま」
「はい」
「今日は、算術の続きがございます」
「ええ」
「午後まで、もちますでしょうか」
聞き方が回りくどい。回りくどいのは、まっすぐ言えないからである。
わたくしは料理番のほうを見た。料理番は既に鍋の蓋を開けていた。この人のほうが早い。
マリカが匙を置いた。両手を膝に戻して、背を伸ばして、それから言った。
湯気の立つ皿を前に、マリカは初めておかわりを頼んだ。




