本物と偽物
街へ入った瞬間、空気が変わった。
荷車の軋む音。
飛び交う怒鳴り声。
金貨の触れ合う硬い音。
冷えた外気の中に、鉄と油と素材の匂いが混じっている。
人が多い。
北へ向かうほど寂れていくと思っていたのに、ここだけ妙に熱気があった。
ノアは露店に並ぶ魔道具へ視線を向ける。
刻印の線。
削りの跡。
繋ぎ方。
ひとつずつ見ていく。
だが、
「……違う」
小さく呟く。
削り方も、刻印の癖も違う。
ディオンなら、こんな繋ぎ方はしない。
ノアは視線を外し、そのまま通りを進んだ。
通りの奥が騒がしかった。
「偽物判定だ!」
「だから本物だって言ってるだろ!」
怒鳴り声が飛び交う。
人だかりの中央で、男が荷車を掴まれていた。
顔色が悪い。
その前では、素材の真偽を判定する札が使われている。
薄い板状の魔道具だった。
素材へ触れるたび、淡く色が変わる。
「ほら、赤だ。偽物だろ」
札が突きつけられる。
触れていた部分が、赤く染まっていた。
「待ってくれ……! 本物なんだ!」
男の声が掠れる。
「判別札が偽物判定してんだぞ」
「そんな量、弁償できるわけ――」
そこで言葉が止まった。
周囲の視線が、一斉に男へ集まっていた。
ノアは通り過ぎかけて、ふと札へ視線を向けた。
「……行く?」
後ろから、エルの声がする。
ノアは答えない。
本来なら、関わる必要はない。
けれど、もう一度札を見る。
刻印の線。
比較。判別。
本物と偽物を見分けるための線。
なのに、妙な違和感が残る。
「……なんか変」
小さく呟く。
近くにいた男が振り返った。
「分かるのか?」
ノアは眉をひそめる。
「分かるっていうか……」
言いながら、もう一度札を見る。
壊れてる――いや、違う。
少し考えた、その時だった。
「……そこ」
エルが小さく呟く。
ノアの視線が止まる。
「そこだけ、変な光り方してる」
一瞬、黙る。
「……あ」
ノアは手を差し出した。
「触らせて」
札を受け取る。
軽い。
指で縁をなぞり、刻印の並びを見る。
本来なら、“本物”を示す刻印が先に来る。
だが、この札は違った。
判定用の刻印が、一箇所だけ入れ替わっていた。
「……これか」
ノアは小さく呟く。
「本物と偽物、逆に判定してる」
近くにいた男が目を見開く。
「は?」
ノアは刻針を取り出し、問題の刻印へ細く線を足す。
正しい形へ戻していく。
ノアは札を返した。
「……もう一回」
男が半信半疑で素材へ当てる。
赤だった光が、今度は青く染まった。
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
「判定、変わったぞ」
ざわめきが広がった。
荷車の男が、崩れるみたいに息を吐く。
「……助かった」
張っていた声が、少しだけ落ち着いていた。
「お前、技師か?」
「……まあ」
ノアは曖昧に返す。
「最近この辺、変な技師が増えててな」
別の男が口を挟んだ。
ノアの足が、わずかに止まる。
「……どんな」
「長髪でさ、顔隠してて」
心臓が、小さく跳ねた。
「でも、腕は大したことなかったな」
ノアは視線を伏せる。
ディオンなら、そんな言われ方はしない。
「……違う」
それだけ言って、歩き出した。
―――
風が、少し強くなっていた。
北へ進むにつれて、空気が変わる。
冷たい。
ノアは足を止めずに歩く。
少し遅れて、後ろから足音が続いた。
通りの端に、小さな露店が出ている。
布や手袋。
簡単な防寒具。
ノアは足を止め、ざっと品を見回した。
その中から、厚手の帽子を手に取る。
首元で結ぶ紐付きのものだった。
そのまま、エルへ差し出す。
「……寒いでしょ」
短く言う。
エルは少し戸惑いながらも受け取った。
だが、そのまま手に持ったまま動かない。
ノアは小さく眉をひそめる。
「……そうじゃない」
帽子を取り上げ、軽く振って形を整える。
そのままエルの頭へ被せ、指先で位置を直した。
「ちゃんと被って」
手を離す。
エルは少し固まったまま、ぎこちなく紐を結んだ。
なんとか形にはなっている。
だが、縦結びだった。
ノアはそれを見て、ほんの少しだけ笑う。
「……それじゃ、ほどける」
そう言って手を伸ばした。
「……直すよ」
結び目をほどき、そのまま静かに結び直す。
指先が首元へ近づくたび、エルの肩がわずかに揺れた。
今度は、しっかり固定される。
エルは結び直された紐へ、そっと指で触れた。
その頬は寒さのせいで少し赤くなっていた。
「ほら、行くよ」
短く言って、ノアはそのまま歩き出した。
少し後ろで鳴る足音が、離れずについてくる。
通りを抜けかけたところで、声が聞こえた。
「仮面の街、もう祭り始まってるらしいぞ」
「今年は人多いってな」
荷を運ぶ男たちが話している。
ノアはそちらへ視線を向けた。
「……祭り?」
エルが小さく呟く。
「北の方の街だって」
ノアは少しだけ考える。
人が集まるなら、情報も集まる。
「……聞き込みはしやすいかもね」
通りを行く荷車には、色布や酒樽が積まれていた。
祭りへ向かう荷らしい。
冷たい風が吹き抜ける。
北は、まだ遠かった。




