役に立つやつ
北へ向かう道は、どこまでも白かった。
踏み固められた雪道の上を、ノアは地図を片手に歩いていた。
吹き抜ける風は冷たく、頬に当たるたびにじわりと熱を奪っていった。
地図には、北へ伸びる道がいくつも記されている。
山沿いの道。
雪原を抜ける道。
荷運び用に整備された街道。
ノアはその一つに指を止めた。
素材が集まる街だった。
山から採れる鉱石や、雪原を越えて運ばれる部品が流れ込む場所。
流通がある場所には、自然と技師も集まる。
ディオンなら、そういう場所を選ぶ気がした。
「ここか」
小さく呟き、ノアは地図を閉じる。
そのまま歩き出した。
少し遅れて、後ろから足音が続く。
一定の距離。
近すぎず、遠すぎず。
振り返らなくても、いるのが分かった。
しばらく歩き、ノアは分岐で足を止める。
振り返ると、エルが少し離れた場所に立っていた。
何も言わない。
ノアも何も聞かず、進む方向を変える。
また歩き出す。
少し遅れて、足音がついてきた。
それが、ずっと続いている。
―――
町の外れに、小さな店があった。
扉は半分だけ開いている。
中から、むっとする熱気が漏れていた。
「ちょっと、誰か――!」
慌てた声が響く。
ノアは足を止めず、そのまま中へ入った。
店の奥で、魔道具が不安定に光っている。
簡易暖房具だった。
刻印で熱を生み出す、どこにでもある型。
ただ、光り方がおかしい。
明滅を繰り返し、その度に熱が一気に膨れ上がっていた。
「触るな!」
店主が叫ぶ。
「爆ぜるぞ!」
「分かってる」
ノアは短く返し、そのまま暖房具へ近づく。
ノアは刻印へ視線を落とす。
淡く光る刻印の一部だけが、激しく明滅していた。
そこだけ、刻印の線が掠れていた。
「速すぎる」
熱が上がりすぎている。
ノアは道具袋から刻針を取り出した。
消えかけた刻印をなぞるように、細く線を刻み足す。
すると、揺れていた光が少し落ち着いた。
熱も下がる。
「……よし」
だが、次の瞬間だった。
また光が揺れる。
熱が跳ね上がった。
「なんで」
ノアは眉をひそめる。
刻印は直した。
それなのに、まだ安定しない。
どこか、別の場所がおかしかった。
その時、後ろで小さく気配が動く。
「……なんか、変」
エルの声だった。
ノアは作業の手は止めないまま、聞き返す。
「どこが」
「……わかんない」
小さな返事だった。
分からないなりに、エルはずっと刻印を見ていたらしい。
ノアはそこで手を止める。
もう一度、刻印を見る。
一箇所だけ、刻み方が逆だった。
「……ここか」
小さく呟き、ノアは刻針を持ち直した。
刻み方が違っていた部分へ、細く線を足す。
ほんの一筆。
それだけで、光が変わった。
激しく揺れていた明滅が、ゆっくり落ち着いていく。
熱も下がる。
暖房具は、何事もなかったみたいに静かに光り続けていた。
ノアはゆっくり手を離した。
少し見守り、問題がないことを確認する。
「これでいい」
店主が大きく息を吐いた。
「……危なかった。ありがとな」
ノアは軽く頷き、そのまま店を出る。
―――
少し離れたところで、ノアは足を止めた。
振り返ると、エルが立っていた。
さっきより、少しだけ近かった。
ノアは一度だけその顔を見る。
「……助かった」
短く言う。
誰かの意見で刻印を見直したのは、久しぶりだった。
返事はない。
代わりに、エルがわずかに視線を逸らす。
ノアもそれ以上は何も言わず、再び歩き出した。
冷たい風が吹き抜ける。
しばらく歩いたところで、ふいにノアが足を止めた。
道端に、小さな屋台が出ている。
白い湯気が立ち上っていた。
「お腹減った」
独り言みたいに呟き、ノアは店主へ硬貨を渡す。
温かい包みを二つ受け取る。
その片方を、エルへ差し出す。
「ほら」
エルが少し目を見開く。
「……いいの」
「今回は手伝ったし」
ノアはそれだけ言って、自分の包みを開けた。
肉と芋の匂いが、湯気と一緒に広がる。
エルはしばらく包みを見ていた。
それから、
「……ありがと」
小さく呟き、恐る恐る一口かじる。
「……っ、あつ」
思わず漏れた声に、ノアが少しだけ吹き出した。
「出来たてだからね」
エルは小さく瞬きをする。
包みに両手を添えたまま、しばらく動かなかった。
湯気が、白く空へ溶けていく。
どちらも、しばらく何も言わなかった。
ただ、歩き出す速度だけが、少しだけゆっくりになっていた。
後ろから続く足音も、いつもより少し近い。




