怪鳥の巣
翌朝。
村を出る頃には、空は薄く曇っていた。
北から吹く風が冷たい。
山道へ続く坂には、まだ雪が少しだけ残っている。
ノアは荷物を肩へ掛け直した。
「……危ないから、別についてこなくていいけど」
前を向いたまま言う。
返事はなかった。
代わりに、少し遅れて後ろで足音が鳴る。
振り返ると、エルが立っていた。
少し距離を空けたまま、肩がわずかに強張っている。
不安そうなくせに、帰る気配はなかった。
「……いや、聞いてた?」
エルは小さく視線を逸らした。
それでも動こうとはしない。
ノアはしばらくその顔を見る。
追い返しても、たぶん来る。
やがて、小さく息を吐いた。
「……まあ、いいけど」
ノアはそのまま歩き出した。
少し遅れて、足音がついてくる。
風だけが、静かに道を抜けていった。
―――
山道は思っていたより険しかった。
崖沿いの細い道。
足元には砕けた石が散らばっている。
下を見れば、白く濁った川が遠くに流れていた。
ノアは地図を見直す。
「……この辺のはずなんだけど」
小さく呟いた、その時だった。
ふいに、影が落ちる。
風が揺れた。
ノアは反射的に顔を上げる。
巨大なものが、空を横切っていた。
「……は?」
思わず声が漏れる。
翼が大きい。
想像していたより、ずっと。
灰色の羽。
鋭い爪。
細長い尾。
崖の向こうを旋回しながら飛んでいる。
羽ばたくたび、風が押し寄せてきた。
ノアは顔を引きつらせた。
「……いや、聞いてないって」
馬くらい。
バルドはそう言った。
絶対もっとデカい。
後ろで、小さく息を呑む音がした。
ノアは振り返る。
エルの顔色が悪い。
怪鳥から目を離せないまま、服の裾を強く掴んでいた。
指先が少し震えている。
怪鳥は鋭く一度だけ鳴くと、そのまま崖の奥へ消えていった。
風だけが残る。
ノアはしばらく黙ったまま、その方向を見ていた。
それから、小さく肩を落とす。
「……帰る?」
半分くらい本気だった。
エルはすぐには答えない。
少し俯き、それから小さく首を横へ振った。
「……行く」
弱い声だった。
それでも、足は引いていない。
ノアは一瞬だけ目を瞬かせる。
「……そっか」
小さく返す。
それ以上は止めなかった。
―――
巣は崖の途中にあった。
岩場を削るように作られた巨大な巣。
近づくにつれて、崖の途中できらきらと光るものが見え始めた。
金属片。
割れた鏡。
古い魔道具。
色付きの鉱石。
雑多なガラクタが、巣の中へ山みたいに積み上げられていた。
「……うわ」
ノアは思わず声を漏らす。
こういう場所を見たら、バルドは絶対喜ぶ。
少なくとも、目を輝かせながら漁り始めるタイプだ。
「……絶対好きでしょ、これ」
小さく呟きながら、巣の中央へ視線を向ける。
積み上がったガラクタの隙間。
そこに、青い石が見えた。
小さなペンダント。
「……あれか」
だが、そのすぐ近くに怪鳥がいた。
翼を畳み、巣の中央へ身を沈めている。
じっと動かない。
それなのに、存在感だけで空気が重かった。
近い。
想像より、ずっと。
ノアは思わず息を止める。
隣では、エルも固まっていた。
呼吸が浅い。
それでも、逃げようとはしない。
少しだけ様子を見る。
その瞬間だった。
怪鳥の目が動く。
こちらを見る。
「……っ」
翼が一気に広がった。
風が叩きつけられる。
砕けた石が弾け飛んだ。
エルの肩がびくりと震える。
ノアは反射的にその腕を掴み、岩陰へ身体を滑り込ませた。
「無理無理無理!」
思わず小声が漏れる。
怪鳥が低く唸った。
空気が震える。
完全に警戒されていた。
正面から近づける距離じゃない。
ノアは岩陰へ身を寄せたまま、小さく舌打ちした。
「……どうすんの、これ」
視線を動かす。
巣の周囲には、怪鳥が集めたガラクタが散らばっていた。
怪鳥は巣の中央をじっと見張っている。
時折、視線が光るものへ動く。
ノアはその姿を見て、それから鞄へ視線を落とした。
中には、写しレンズ。
過去を映す魔道具。
さっき見た人影。
そして、怪鳥が目を向けていた光。
「……あ」
小さく声が漏れる。
頭の中で、何かが繋がった。
ノアはゆっくり口の端を上げる。
「……これ、映せるかも」




