過去を映すレンズ
門を出る前に、ノアはもう一度だけ確認した。
「どっち行った?」
声をかけると、少年は少しだけ視線を上げる。
「……北の門」
「まっすぐ?」
「……うん」
答えたあと、少し間が空いた。
「でも……」
「何」
「……違うかもしれない」
ノアは軽く頭を掻いた。
曖昧な話だった。
本当にディオンなのかも分からない。
それでも、確認はしておきたかった。
「確認する」
そう言って歩き出す。
―――
向かったのは北ではなく、歩けばすぐの隣村だった。
村外れの一角に、小さな骨董屋がある。
ノアは扉を押した。
鈴は鳴らない。
重たい木の音だけが、鈍く響いた。
店の中は薄暗かった。
金属と油の匂いが混ざっている。
棚にも、床にも、壁際にも、物が積まれていた。
魔道具。
用途の分からない部品。
歪んだ金属片。
雑多なはずなのに、不思議と歩く場所だけは空いている。
「……来たか」
奥から低い声が落ちてくる。
ノアはそのまま中へ入り、軽く名前を呼んだ。
「……バルド爺さん」
「久しぶり」
奥にいた男――バルドが、ようやく顔を上げる。
「……そうでもねえだろ」
低く返して、それから口の端だけで笑った。
ノアも少しだけ肩をすくめる。
「師匠、来てない?」
その言葉に、バルドは一度だけ視線を外した。
「最近は来てねえな」
短い返事。
「……だよね」
ノアは眉を下げて笑った。
「……そいつは?」
バルドの視線が、後ろへ向く。
少年が扉の近くに立っていた。
まだ中に入りきれていないみたいに、そこから動かない。
ノアは一度だけ後ろを振り返った。
少年は扉の近くで立ち止まったまま、居心地悪そうに視線を伏せている。
「……ついてきてるだけ」
短く言う。
少年が少しだけ顔を上げ、何か言いかけて、やめる。
ノアはそれを見て、
「違うって。知り合いだってば」
と付け足した。
バルドは二人を見比べる。
「……そうか」
それだけ言って、視線を戻した。
ノアは近くの棚へ視線を向ける。
古い絵画が、無造作に重ねられている。
その一つへ手を伸ばしかけ、止めた。
「……師匠の姿絵とか、ないの」
何気ない調子で聞く。
「ねえな」
返事は即答だった。
「あいつのは持ってねえ」
「やっぱりか」
ノアは小さく笑った。
当てが外れた。
視線を外し、そのまま帰ろうとした時だった。
「……変なのならあるぞ」
バルドが不意に言った。
ノアは足を止める。
「何」
バルドは机の端へ手を伸ばし、小さな道具を取り上げた。
丸い枠の片側に、透明な板がはめ込まれている。
「覗いてみろ」
ノアはそれを受け取った。
重くはない。
縁へ刻まれた線を見る。
刻印の組み方が、少し変わっていた。
「……何これ」
「見りゃ分かる」
ノアは眉を寄せたまま、ゆっくりレンズを覗き込む。
店の奥。
今は誰もいないはずの場所に、人影が立っていた。
動いている。
ノアは反射的にレンズを外した。
その場所を見る。
何もいない。
「……は?」
もう一度、レンズを覗き込む。
同じ場所。
やはり、人影があった。
だが、現実には誰もいない。
ノアはレンズの縁へ視線を落とす。
刻印を追った。
観測。
記録。
痕跡抽出。
そこに補助刻印。
欠けた部分を、無理やり繋いでいる。
ノアは少しだけ目を細める。
「……そういうことか」
小さく呟く。
「……残ってる痕跡を、映してるだけか」
それだけ言って、もう一度レンズを覗く。
誰かが、そこにいる。
でも、それは“今”じゃない。
ノアはゆっくりレンズを下ろした。
過去の痕跡を映す魔道具。
それなら。
北門で使えば、エルの見た人物が本当にディオンなのか、確認できるかもしれない。
ノアはレンズを見つめたまま口を開く。
「……これ、貸して」
バルドは即答した。
「やだね」
「なんで」
「面白えから」
ノアは露骨に顔をしかめる。
「最低」
「壊されたら困る」
「さっきまで放置してたじゃん」
「放っといても壊れねえしな」
バルドは椅子へ深く座り直し、顎を掻いた。
「まあ、欲しいなら条件付きだ」
ノアは少しだけ眉を上げる。
「条件?」
バルドは棚の奥へ手を伸ばし、一枚の紙を引っ張り出した。
描かれていたのは、小さな青い石のペンダントだった。
「山の崖近くに落ちた荷の中にあったやつだ」
「今は?」
「鳥が持ってった」
ノアは一瞬だけ黙った。
「……鳥?」
「巣に光るもん集める変なのがいてな」
バルドは楽しそうに口の端を上げた。
「まあ、でけえぞ」
嫌な予感しかしなかった。
「……どれくらい」
「馬くらい」
ノアは無言になる。
隣で、エルが少しだけ顔を上げた。
店の外では、風の音が鳴っている。
ノアは黙ったまま、机の上の写しレンズへ視線を落とした。
それから観念したように肩を落とした。
「……行けばいいんでしょ」
諦めたみたいに言う。
バルドはニヤリと笑った。
ノアはその顔を見て、さらに嫌そうな顔をする。




