帰還
扉を開ける。
冷えた空気がわずかに揺れ、閉ざされていた工房の匂いが流れ出した。
中は、ほとんど変わっていない。
机の上へ散らばった工具。
積み上げられた部品。
途中まで刻まれたまま放置されている刻印板。
見慣れた景色だった。
ノアは静かに靴を脱ぎ、ゆっくり中へ入る。
床板が小さく軋んだ。
その瞬間だった。
奥に、人の気配がある。
ノアはゆっくり視線を向けた。
作業台の前に、誰かが立っている。
長い髪。
細い背中。
見慣れた姿だった。
何度も追いかけた背中だった。
「……ノア」
声がする。
その人が、ゆっくり振り向いた。
顔が見える。
息が止まった。
間違えるはずがない。
胸の奥で、何かが大きく揺れた。
「……帰ってきた」
零れるみたいに、言葉が落ちた。
それ以上、何も出てこない。
近づけなかった。
足が動かない。
目の前にいるのに、どうやって距離を詰めればいいのか分からなかった。
ノアは喉を鳴らす。
「……名前」
声が、掠れる。
「……どっち」
その人は少しだけ目を伏せた。
短い沈黙。
それから、静かに口を開く。
「……エルディオン」
一瞬、息が詰まった。
その名前で、全部が繋がる。
追いかけていた人。
隣にいた人。
全部、同じだった。
「……何だ、それ」
笑ったつもりだった。
けれど、声は震えていた。
視界が滲む。
頬を伝ったものが落ちて、そこでようやく、自分が泣いていることに気づく。
止まらなかった。
なのに、笑ってしまう。
肩が震える。
ずっと追いかけてきた。
ずっと隣にいた。
気づかなかった。
分からなかった。
そんなの、反則みたいだった。
それでも。
ちゃんと、そこにいる。




