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エピローグ 今度は、並んで


※本編の重大なネタバレを含みます。

本編読了後に読むことを推奨します。


この後日談は、本編で明言しなかった部分の答え合わせになります。


 工房の灯りは、静かだった。

 ノアは作業台へ肘をついたまま、しばらく何も言わなかった。

 向かいでは、ディオンが刻印板へ視線を落としている。


「……待って」

 額へ手を当てる。

「情報多い」

「……つまり」

 ノアは額を押さえたまま続ける。

「エルが時計触って、二十年前に飛ばされて」

 ディオンは無言のまま、小さく頷く。

「そこで十年過ごして、私を助けて」

「……ああ」

「そのあと、ディオンとして私を育てた」

「そうなる」

 ノアはしばらく黙る。


「で、過去戻ったあと、どうしてたの」

 額から手を離す。

「……最初は、バルドのとこいた」

「え。じゃあ、全部知ってたの?バルド爺さん」

 ディオンの手が、一瞬だけ止まった。

「……ある程度は」

「ある程度って何」

「若い頃の自分を見た時点で、だいたい察してた」

 ノアは数秒黙った。

 それから目頭を押さえる。

「……あの糞爺」

 低く呟く。

「だから、あんなニヤニヤしてたのか」

 ディオンは刻針へ目を戻す。

「写しレンズ貸す条件も絶対楽しんでたでしょ」

「……否定はできないと思う」

「最悪」

 ノアは机へ突っ伏した。

「私は何も分からないまま、怪鳥に追い回されて、北まで来て」

 ノアは突っ伏したまま、くぐもった声を漏らす。

「しかも最後まで気づかないし」

 ディオンは何も言わない。

 ノアは机へ顔を埋めたまま、小さく唸った。


 その時だった。

 ふと、視界の端に鞄が映る。

「……ちょっと待って」

 ノアはゆっくり顔を上げた。

 鞄を引き寄せ、中を探る。

 指先が、小さな金属へ触れた。

 取り出す。

 ひび割れた写しレンズ。

 北の門で使ったものだった。

「……これ」

 ディオンが視線だけを向ける。

 ノアはレンズを持ち上げた。

 工房の景色が、薄い光越しに映る。

 作業台。

 壁際。

 積み上がった部品。

 そして。

「……あ」

 そこには、自分がいた。

 作業台の前で、刻針を動かしている。

 少し前の痕跡なのだろう。

 輪郭は鮮明だった。

 指先の動きまで分かる。

 ノアの呼吸が止まる。

 この痕跡は、ちゃんと残っている。

 それなのに。

 北の門で見たディオンだけが、異様に薄かった。

 ノアはゆっくりレンズを下ろす。


 理解が、遅れて追いついてくる。

「……嘘でしょ」

 かすれた声だった。

「壊れてたんじゃ、なかったの」

 ノアは息を呑んだ。

 あの時、レンズが映していたのは、

 “過去の痕跡”じゃない。

 この時間に、存在してはいけないものを、無理やり映していた。

 だから、薄かった。

 だから、輪郭が滲んでいた。

 ノアはそのまま、しばらく動けなかった。


 やがて、レンズを握ったまま、ゆっくり息を吐く。

「……時計も」

 小さく呟く。

「あれ、やっぱり師匠の刻印だったんだ」

 ディオンは否定しない。

 止まった時計。

 焦げた金属。

 独特の線。

 繋ぎ方。

 削り方。

 見間違えるはずがなかった。

 あの時点で、師匠の刻印だとは気づいていた。

 でも。

「あれ、いつ作ったの」

 静かな声だった。

「……お前を、助けた後から作り始めた」

 ディオンは少しだけ視線を落とす。

「最初は、帰るために作ってた」

 ノアが小さく目を瞬く。

「戻れると思ってた?」

「思ってた」

 短く返る。

「片っ端から試した」

 刻針を動かす音だけが、小さく響く。

「……でも、無理だった」

 ディオンは一度言葉を切った。

「だから、変えた」

「……何を」

「帰るためじゃなく」

 小さく息を吐く。

「届かせるために」

 ノアは動かなかった。

「……お前育てながら」

 ディオンは刻針へ視線を落としたまま言う。

「十年くらい」

 軽く言う。

 けれど、軽い時間じゃなかった。

 工房で過ごした日々。

 刻印を教わった時間。

 隣で作業していた夜。

 その全部の裏で。

 ディオンは、未来へ繋ぐ時計を作っていた。

 ノアはしばらく言葉を失う。

「……なにそれ」

 ようやく出た声は、少し掠れていた。


「……じゃあ」

 ノアは深く息を吐いた。

「なんで。あの日、消えたの」

 ディオンの返事は、少し遅れた。

「……必要だった」

「必要って」

 ノアは眉を寄せる。

「……私が旅に出る必要あったから?」

 一度、言葉が止まる。

「エルと会うために」

 返事はない。

 でも。

 それで十分だった。

 ノアは額を押さえる。

「……最低」

 小さく呟く。

「じゃあ、なんであの置き手紙」

『探さなくていい』

 頭の奥に、あの日の文字が浮かぶ。

 ノアは少し笑いそうになった。

「探さなくてもいい、じゃないでしょ」

 ディオンは静かに目を伏せる。

「……ああ書けば」

 小さく息を吐く。

「お前は来ると思った」

 確かにそうだった。

 ノアはしばらく何も言えなかった。


 工房には、時計の音だけが残る。

 ノアは力を抜くように肩を落とした。

「……ほんと、ずるい」

 視線を落とす。

「師匠のこと探してたはずなのに」

 小さく笑う。

「気づいたら、ずっと別の人のこと気にしてて」

 ディオンの指先が、わずかに止まる。

 ノアはそのまま続けた。

「放っとけなくて」

 少し目を細める。

「気づくと後ろついてきて」

「危なっかしくて」

 そこまで言って、ノアは小さく息を漏らした。

「……確かに」

 静かな声で続ける。

「探さなくても、いたね」

 ゆっくり顔を上げる。

「エルが」

 ディオンは何も言わなかった。

 ただ、小さく視線を逸らす。

 その横顔が、ほんの少しだけ居心地悪そうに見えて。

 ノアはとうとう吹き出した。

「……何その顔」

 ディオンは小さく息を吐く。

「……からかうな」

 珍しく、困ったみたいな声だった。


 少し間が空く。

 ノアはふと顔を上げた。

「……そういえば、本名、エルディオンなんでしょ」

 ディオンが視線だけを向ける。

「なんで、途中からディオンになったの」

 静かな沈黙。

「最初、エルだったじゃん」

『……エルでいい』

 旅の最初の声が、ふと頭を過る。

 ディオンはしばらく黙っていた。

 それから、小さく息を吐く。

「……呼ばれると」

 一度、言葉が止まる。

「思い出すから、変えた」

 短い声だった。

 ノアは瞬きをする。

「思い出すって、何を」

 ディオンは視線を逸らした。

「……お前」

 一瞬、ノアが黙る。

「過去飛ばされた直後とか、割と本気で終わったと思ってた」

 低い声で続ける。

「……あの頃は、何も分かってなかった」

 小さく落ちた声だった。

「呼ばれるたび、戻りたくなる」

 ノアはしばらく動かなかった。

 それから、肩を揺らして笑った。

「……なにそれ」

 笑いを堪えきれないまま、ディオンを見る。

「可愛いとこあるじゃん」

 ディオンは小さく眉を寄せる。

「……別に」

 短く返して、視線を落とした。


 ノアは笑いながら頬杖をつく。

 脳裏に浮かぶ。

 宿の前で、ついてきていた小さな背中。

 人混みではぐれかけて、服を掴んでいた指。

 焚き火の前で、当たり前みたいに隣へ座ってきた夜。

 あの時のエルと。

 今のディオンが。

 ようやく、綺麗に繋がった気がした。


 ノアはしばらく笑っていた。

 ディオンは何も言わず、刻針を動かしている。

 工房には、小さな金属音だけが響く。

 けれど。

 さっきまでより、空気はずっと柔らかかった。


 その時。

 ぐう、と小さな音が鳴る。

 ノアがぴたりと止まった。

「……聞いた?」

「聞いた」

 ディオンが即答する。

「最悪」

 ノアは顔をしかめる。

 そのまま少し黙ってから、ふと顔を上げた。

「……そういえば」

 ディオンが視線だけを向ける。

「この近くにもあったよね」

「何が」

「肉と芋の包み焼き」

 雪道の露店。

 白い湯気。

 熱そうに頬張っていた、

 小さな姿が脳裏を過る。

「……エル、あれ好きだったじゃん」

 ノアは少し笑う。

 ディオンが一瞬だけ黙った。

「……今からか」

「今から」

 ノアは立ち上がる。

「どうせ今日は作業しないでしょ」

 返事はない。

 けれど、否定もしなかった。


 ノアはそのまま工房の扉へ向かった。

 扉を開ける。

 冷たい夜風が流れ込んだ。

 そのまま外へ出る。

 だが、数歩進んだところで足を止めた。

 振り返る。

 ディオンはまだ、扉の前に立っていた。

 昔みたいに。

 境界の前で、立ち止まっている。

 ノアは少しだけ目を細めた。

「……行こ」

 短く言う。

 一瞬だけ間が空いた。

 それから、ディオンが小さく息を吐く。

「……ああ」

 扉が閉まる。

 雪の積もる道を、二人で歩き出す。


 今度は、並んで。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


次回作は、悪魔祓いを目指す少年の物語を予定しています。


明日の夜頃、更新予定です。

よければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。

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