表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

段命の天秤と砂時計

 街を抜けると、道は急に荒れていた。

 雪に埋もれた石畳はひび割れ、崩れた建物が通りの両側へ沈むように並んでいる。

 昔、魔道素材の保管施設が集められていた区画だった。

 今は人の気配も薄く、吹きつける雪だけが建物の隙間を抜けていた。

 ノアは無言のまま歩いていた。

 靴底が、凍った地面を軋ませる。

 少し遅れて、後ろからエルの足音が続いた。

 その時、不意にノアの足が止まる。

 振り返る。

 崩れかけた建物の奥から、白い冷気がゆっくり流れ出していた。

 入口の周囲には、雪を踏み荒らした跡が残っている。

 新しい。

 ノアは小さく目を細めた。

 次の瞬間には、迷いなく建物の中へ足を踏み入れていた。

 中へ入った瞬間、空気が一気に冷え込んだ。

 吐いた息が白く滲み、頬へ刺さるような冷気が張りつく。

 壁や棚には薄く霜が張っていた。

 並べられた瓶の中身は凍りつき、白く濁っている。

 刻印付きの保存容器が、崩れた棚の上へ無造作に転がっていた。

 いくつかは蓋だけが残り、中身はすでに持ち出されたあとだった。

 ノアはそれらへ一度だけ視線を流す。

 すぐ奥から、低い唸り音が聞こえていた。

 視線を向ける。

 大型の制御装置が、薄暗い部屋の奥で淡く明滅している。

 刻印の光は不安定に揺れ、漏れ出した冷気が床を白く染めていた。

「……制御、死んでる」

 小さく呟く。

 その近くの床には、人が二人倒れていた。

 ぴくりとも動かない。

 呼吸だけが、かろうじて浅く続いている。

 このままでは持たない。

 ノアはすぐに装置へ近づいた。

 冷え切った金属へ触れ、暴走している刻印の反応を追う。

 流れは崩れ、制御はほとんど機能していなかった。

 止めること自体はできる。

 だが、この暴走を抑えながら、二人を同時に助けるには時間が足りなかった。

 その時、不意に視界の端へ小さな金属の光が映った。

 ノアはそちらへ目を向ける。

 装置の脇に、古びた天秤が取り付けられていた。

 くすんだ金属には細かな傷が走り、基部とは細い刻印線で繋がっている。

 壁には、かすれた文字が残されていた。

『非常時優先制御装置』

 ノアは小さく目を細める。

 天秤へ刻まれているのは、流れを一方へ偏らせる刻印だった。

 本来は保存素材の管理用。

「……移せる」

 小さく呟く。

 人間でも同じだった。

 片方へ熱を集めれば、確実に助けられる。

 その代わり、もう片方は凍える。

 ノアの指が、わずかに揺れる天秤の上で止まった。

「……それ」

 後ろから声がする。

 ノアは振り返らなかった。

「使うの」

 静かな声だった。

 少しだけ間が落ちる。

「片方だけにするやつでしょ」

 ノアは答えない。

 ただ、天秤を見ていた。

「……やめて」

 短い声だった。


 ノアの手が止まった。

 ほんの一瞬だけ。

 揺れていた天秤を見つめ、それから静かに床へ戻す。

 間に合わないかもしれない。

 それでも。

「……まだ、いける」

 小さく呟き、ノアはすぐに動いた。

 倒れている二人のそばへ駆け寄る。

 片方の外套を掴み、刻針を走らせた。

 布地へ刻まれていた温度維持の刻印が淡く光る。

 じわり、と熱が広がった。

 冷え切っていた体へ、無理やり熱を戻していく。

 浅かった呼吸が、わずかに落ち着く。

 ノアは止まらない。

 すぐにもう片方へ移った。


 ノアは立ち上がり、再び装置の前へ戻った。

 漏れ続ける冷気が肌を刺す。

 霜が床を這い、指先の感覚まで鈍らせていく。

 刻印は不安定に明滅していた。

 時間が足りない。

 分かっていた。

 このままでは、どちらかが先に落ちるかもしれない。

 それでも、ノアは止まらない。

 刻針を走らせる。

 乱れていた線を、一つずつ繋ぎ直していく。


 やがて、暴れていた刻印の光が、少しずつ落ち着いていった。

 漏れ出していた冷気も弱まり、やがて装置の低い唸りが途切れる。

 静寂が落ちた。

 ノアは小さく息を吐き、倒れている二人へ視線を向ける。

 片方の呼吸は落ち着いていた。

 だが、もう片方の胸は、まだ弱く浅く上下している。

 今にも止まりそうだった。

 後ろで足音がする。

 エルが少しだけ近づいてきていた。

「……まだ、息はある」

 小さな声だった。


 ノアは二人の呼吸をもう一度確認し、外へ出る。

 冷たい風が正面から吹きつけた。

 雪が舞い、頬へ細かく当たる。

 ノアは空へ向かって救難信号を撃ち上げた。

 雪の向こうから返答の光が見える。

 それを確認して、ようやく息を吐いた。


―――


 建物の前では、慌ただしく人が動いていた。

 担架へ乗せられた二人が、仮設のテントへ運ばれていく。

「医師班はまだか」

 誰かが声を上げる。

「吹雪で足止めされてる!」

 すぐに返事が飛んだ。

「もう向かってるらしいが……」

 言葉が濁る。

 担架を押していた男が、苦い顔で息を吐いた。

「それまで保つか?」

 返事はなかった。

 ノアはその場に立ったまま、黙って見ていた。

 やがて、小さく息を吐く。

 視線を落とし、道具袋へ触れた。

 指先が、ほんの少しだけ止まる。

 使えば減る。

 それは分かっていた。

 それでも、見捨てる理由にはならなかった。

 袋の中を指先で探り、小さな砂時計を取り出す。

 淡い光を帯びた砂が静かに揺れていた。


 仮設のテントに入る。

 簡易の処置台には、重傷の方が寝かされている。

 呼吸はまだ浅く、胸の上下も弱い。

 ノアはそちらへ近づき、処置台の脇へ砂時計を置いた。

 手を伸ばす。

 その瞬間だった。

 不意に腕を掴まれる。

 動きが止まった。

「……それ、なに」

 エルの声だった。

 ノアは答えない。

「……減るんでしょ」

 小さな声。

 雪の音に紛れそうなくらい静かだった。

 ノアは一瞬だけ目を閉じる。

「……少しだけ」

 軽く返す。

 エルは何も言わなかった。

 けれど、腕を掴む力は弱まらない。

 ノアは視線を落とした。

 それから、もう片方の手を伸ばし、砂時計を静かに逆さにする。

 さらり、と砂が落ちた。

 淡い光が広がる。

 浅かった呼吸が、少しずつ戻っていく。

 弱かった脈も、ゆっくり強さを取り戻していった。

 だが、完全ではない。

 やがて砂が落ちきり、光が静かに消える。

 それでも、エルの指はまだ離れなかった。

 少ししてから、ようやくゆっくりと力が抜ける。


―――


 外へ出ると、雪が強く吹きつけていた。

 白く霞んだ通りの中を、ノアはそのまま歩き出す。

 少し遅れて、後ろで足音が鳴った。

 近い。

 さっきまで空いていた距離が、もうほとんどない。

 しばらくして、エルが隣へ並んだ。

 肩が触れそうな距離だった。

「……さっきの」

 静かな声だった。

「どれくらい、減ったの」

 ノアはすぐには答えなかった。

 白い息だけが、静かに空気へ滲む。

「……大したことない」

 軽く返す。

 エルは何も言わなかった。

 そのまま二人で、雪の中を歩いていく。

 並んで。

 それなのに、さっきまでより息苦しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ