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対の指輪

 北へ向かう道は静かだった。

 人影は減り、建物もぽつぽつと途切れていく。

 建物の隙間を抜ける風だけが冷たかった。

 ノアは足を止めない。

 少し遅れて、後ろから足音が続く。

 一定の距離は埋まらない。

 それでも、振り返りはしなかった。


 昼を過ぎた頃、小さな町が見えてきた。

 北へ向かう途中の、中継みたいな町だった。

 通りに人影は少ない。

 開いている店も半分ほどで、雪除けの布だけが風に揺れている。

 ノアは足を止めず、そのまま掲示板へ視線を向けた。

 旅人向けの依頼が、端から端まで貼られている。

 修理依頼。

 運搬。

 短期雇い。

 流すように見ていた指が、一枚で止まった。

「……魔道具、修理」

 小さく読み上げ、紙を剥がす。

 路銀は減る一方だった。

 北へ行くほど、物価も上がる。

 そろそろ稼いでおかないと面倒だった。

 ノアは紙を折り、そのまま歩き出す。

 少し遅れて、後ろから足音が続いた。


―――


 店は通りの奥にあった。

 古い建物だったが、扉や窓枠にはきちんと手が入っている。

 中へ入る。

 狭い店内には乾いた薬草の匂いが残っていた。

 カウンターの上に、同じ形の二つの指輪が置かれている。

 店主はその指輪を見つめたまま、深く眉をひそめていた。

「……動かない?」

 ノアが声をかける。

 店主は顔を上げ、少し困ったように息を吐いた。

「いや、逆だ。勝手に動く」

 ノアはその言葉で、もう一度指輪を見る。

「見てもいい?」

「分かるのか?」

「たぶん」

 店主は少し迷ってから頷く。

「頼めるなら、助かる」

 ノアは指輪を手に取った。

 冷えた金属の重みを指先で確かめ、そのまま刻印へ視線を落とす。

 接続。

 投影。

 遮断。

 2つとも同じ形の刻印だが、向きが違う。

「……対になってる」

 小さく呟き、そのまま刻印を追っていく。

 線の繋ぎが甘い。

 古い刻印特有の擦れ方だった。

「……古いね」

「ああ。だいぶ前のものだ」

 ノアは小さく頷く。

 使われ続けて、少しずつ歪んだのだろう。

「預かる」

 それだけ言った。


―――


 部屋は狭かった。

 壁際に簡易の作業台が置かれているだけで、二人入れば空気が詰まる。

 ノアは指輪を並べ、向きを揃えた。

 道具袋を開き、刻針を取り出す。

 エルは壁際から動かなかった。

 さっきから、ほとんど声を聞いていない。


 ノアは何も言わず、作業へ視線を落とした。

 刻印をなぞり、流れを追う。

 接続。

 投影。

 その奥。

 遮断側の刻印が、薄く擦り切れていた。

「……これか」

 小さく呟く。

 本来なら、必要ない時は接続を切る刻印。

 だが、刻印の繋ぎが甘い。

 接続が完全に切れず、勝手に反応してしまう。

 原因は、それだった。


 ノアは刻針を動かした。

 欠けた線を刻み直す。

 擦り切れていた刻印が、少しずつ繋がっていく。

 そのまま刻印の反応を確認する。

 問題はない。

 本来なら、ここでもう一度確認するべきだった。


 だが、その瞬間だけ、意識が別の場所へ滑った。

 仮面を外したあとの、エルの顔。

 視線を落としたまま、何も言わなかった横顔。

「……」

 小さく息を吐く。

「……集中、切れてる」

 自分に言い聞かせるように呟き、視線を戻す。


 接続側の刻印も少し摩耗していた。

 使うなら、今のうちに整えておいた方がいい。

 刻印を繋ぎ、流れを整える。

 あと一手。

 その瞬間だった。

 指輪が、同時に光る。

「……まずい」

 ノアの声が落ちた。

 接続が開く。

 記憶が、流れ出す。


―――


 崩れた瓦礫。

 積もる雪。

 幼い少女の体が、男の腕に強く引き上げられる。


 濡れた髪へ温かい風が流れた。

 凍えていた指先が、少しだけ感覚を取り戻していく。

「じっとしてろ」

 低い声。

 男の乱暴な指が、少女の髪をかき上げる。


 少女のほどけた紐を、男が慣れた手つきで結び直す。

 冷えた指先に触れる手だけが、妙に温かかった。


―――


 エルの体が揺れた。

 息が乱れる。

 指先が小さく震え、視線が定まらない。

「……っ」

 ノアは反射的に動いていた。

 指輪を押さえ込み、遮断側の刻印へ刻針を叩き込む。

 光が弾けた。

 甲高い音が一瞬だけ部屋に響き、次の瞬間には静けさが戻る。

 エルは動かなかった。

 呼吸だけが浅く荒れている。

 ノアは何も言わず、指輪へ視線を落とした。

「……遮断、甘かったか」

 小さく呟く。

 もう一度、刻印へ触れる。

 今度は慎重に。

 線を刻み直し、流れを確認する。

 ひとつずつ繋ぎを見直していく。

 やがて、ノアは小さく息を吐いた。

「……これで、勝手には繋がらない」

 それだけ言った。


 ノアはゆっくり視線を上げた。

 エルは立ったまま動かなかった。

 伏せられた睫毛だけが、小さく揺れている。

 まだ呼吸が少し浅い。

 指先にも、力が入りきっていないように見えた。

 エルが口を開く。

 だが、言葉はすぐに出なかった。

「……だから、か」

 エルの指先が、自分の袖を小さく掴む。

「帽子も」

 小さな声だった。

「髪、乾かしたのも」

 息が揺れる。

「……その人が、貴方にしたことなんだ」

 抑えた声なのに、わずかに震えていた。

「……特別だと思ってたのに」

 言葉が、静かに落ちる。

 ノアは答えない。

 否定すればいいだけなのに、言葉が出なかった。


 部屋には、道具を片付ける小さな音だけが残った。

 金属が触れ合う乾いた音が、妙に響く。

 しばらくして、ノアは立ち上がった。

「……終わり」

 それだけ言う。

 エルは小さく頷いた。

 けれど、最後まで視線は合わなかった。

 ノアは道具袋を閉じ、そのまま扉へ向かった。

 部屋を出る。

 古い床板が、小さく軋んだ。

 後ろから、静かな足音が続く。

 けれど、近づいては来ない。

 隣に並ぶこともなかった。

 ノアは振り返らないまま歩く。

 そのまま、静かな通りを抜けていった。


―――


 店へ戻ると、カウンターの向こうで店主が顔を上げた。

「どうだ?」

 ノアは答える代わりに、指輪を二つ並べて置いた。

「……直した」

 短く言う。

 店主が片方を手に取り、指で軽くなぞる。

 しばらく待つ。

 だが、今度は何も起きなかった。

「……動かないな」

「勝手には動かないようにした」

 ノアは視線を外したまま答える。

「必要なら、意図して使える」

 店主は何度か確かめるように指輪を触り、それから安心したように息を吐いた。

「助かった」

 カウンターの上へ金が置かれる。

 ノアはそれを受け取った。

 数えず、そのまま懐へ仕舞う。

「ありがとな」

 ノアは小さく頷くだけだった。


 店を出ると、冷えた風が通り抜けた。

 さっきまで室内にいたせいか、外の空気は少し冷たく感じる。

 ノアは足を止めず、そのまま歩き出した。

 後ろから、少し遅れて足音が続く。

 エルもついてきていた。

 けれど、隣には来ない。

 一定の距離だけが、空いていたままだった。

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