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第8.n+1話 無限の味と恋の音 IF レイナ編

音が死に、色が褪せ、交わした約束さえも無音の深淵に沈もうとしていたあの日。

 けれど今、この場所に響いているのは、そんな冷たい静寂ではない。

 厨房で踊る中華鍋の金属音。鼻を突く黒胡椒の鮮烈な香り。

 そして、顔を真っ赤にしながら不器用に言葉を重ねる、一人の少女の生きている音。

 絶望の果てに守り抜いたのは、なんてことのない、けれど最高に騒がしい日常。

 これは、エンドロールの先に綴られた、ありえた世界線の記録。

 四月の午後の日差しの中で。

 無限に広がる味の探求と、世界で一番うるさくて愛おしい、恋の音。

あのレイナの事件以来、僕とレイナは顔を合わせることが多くなった。


 そのほとんどは料理の研究のまでの実験体として休業日やブレークタイムの時に呼ばれてるのがほとんどだった。


「はいできた!チャーハンよ」


 カウンター越しに、威勢よく皿が差し出された。

 パラリと黄金色に輝く米粒、香ばしい醤油とラードの香りが鼻腔をくすぐる。

 目の前では、レイナがエプロン姿で腕を組み、僕の反応を今か今かと待ち構えていた。


「……また、すごいボリュームだな」


「何言ってんのよ。頭使う浪人生には、これくらい食べてもらわないと困るわ。ほら、冷めないうちに! ……感想、ちゃんと言いなさいよね?」


 自信満々な口調。

 けれど、僕がレンゲを手に取ると、彼女の視線がわずかに泳いだのを僕は見逃さなかった。

 かつて死んだ静寂に怯えていた彼女はもういない。

  今の彼女の瞳にあるのは、目の前の「味」に対する純粋な挑戦心と……。

 僕は熱々のチャーハンを一口、口に運んだ。


「うまい……でももうちょい胡椒が欲しいかもな、パンチが足りないというか」


「へぇ〜"パンチ"が足りないんだ」


 レイナの拳が強く握られた感じがする。


「そのパンチじゃないって!」


 は身の危険を感じて、慌てて両手を振った。


「味のアクセントの話だって! ほら、刺激が加わると米の甘みが引き立つだろ?」


「……フン、分かってるわよ。冗談に決まってるじゃない」


 レイナは握りしめていた拳を解き、わざとらしく鼻で笑った。

 けれど、その瞳の奥にはまだ「納得いかない」という負けず嫌いな炎がちろちろと燃えている。


「いいわよ。そこまで言うなら、あんたの眠気も悩みも全部吹き飛ばすくらいの『最高の一杯』、作り直してあげるわ」


 彼女はひったくるように僕から皿を奪い返すと、厨房の奥へと踵を返した。


 ガォォォォッ!!

 

凄まじい火力でガスコンロが唸り声を上げる。

 ガシャン、ガシャンと、リズムよく、けれど昨日までよりもずっと力強く打ち鳴らされる中華鍋の音。

 背中越しでも伝わってくる、彼女の気合と——そして、僕に美味しいと言わせたいという、一途な執念。


 カウンター越しにその背中を見つめながら、僕は小さく息をついた。

 かつて彼女を絶望させた「音」は、今やこうして、僕を振り回すほどの生命力に満ち溢れている。


「……はい、お待たせ! 改良版、特製黒胡椒チャーハンよ!」


再び差し出された一皿は、さっきよりもさらに香ばしく、食欲をそそる黒い粒が宝石のように散りばめられていた。

「どう? 今度は文句ないでしょ!」

 

期待と不安が入り混じった顔で、僕の顔を覗き込んでくるレイナ。

 しかし熱々すぎるが故に僕はまだ口に入れる勇気がない、そんな僕をレイナはずっと凝視する。


「もうじれったい!口開けて!」


 反射的に僕は口を開けてしまい、レイナが熱々な状態を口に入れ込む。


「アッツッッッ!!!!!」


 あまりの熱量に、僕は椅子から転げ落ちそうになりながら悶絶した。口の中が火災現場だ。


「ちょっと! 大丈夫!?……あはは、ごめん、流石に熱すぎたわね」


レイナは慌ててコップに水を汲んで差し出しながらも、必死に笑いを堪えている。

水を一気に飲み干し、ようやく一息ついた僕を、彼女は意地悪そうに覗き込んだ。


「……で、どうなのよ。『パンチ』、あったかしら?」


 正直パンチどころかアッパー喰らってKOした気分だだった。


「ふーふー……ほら覚ましたわよ口開けて」


 この状態はアーンてやつではないか、少し恥ずかして僕の顔が赤くなってしまってる感じがした。


「お、おう、あーん」


「よぉ邪魔するぜ!レイナ!今日母さんいなくてご飯食べれないんだ!休業日だけど作ってくれな……あ。」


 リョウタが突然シオザキ亭入り、あーんの時を目撃し一瞬凍りついてしまった。


「ちょっとこれはリョウタ!?」


「ちょっと待てリョウタ! これは違う、違くないけど違うんだ!!」


 僕は口を開けた間抜けな姿のまま、立ち上がって弁明しようとした。けれど、口の中の火傷と、今の状況をどう説明すべきかというパニックで、言葉がうまくまとまらない。


「…………悪い。邪魔したな。……お幸せに」


 リョウタは見たこともないような「無」の表情で、音もなく店の扉を閉めようとした。


「待ちやがれリョウタぁぁぁぁ!! どこがお幸せによ! 変な勘違いしてんじゃないわよ!!」


 レイナが顔を爆発しそうなほど真っ赤にして、カウンターを乗り越えんばかりの勢いで叫んだ。その手にはまだ、僕を悶絶させたチャーハンのレンゲが握られたままだ。


「いや……だってよ、あーん……だろ? 休業日の店内で、二人きりで、あーん……。これ、俺が防衛隊のみんなに言う『義務』が生じるやつだろおい!」


「ちょっと待って、防衛隊のネットワークをそんな私的利用するんじゃない!」


僕は思わずカウンターを叩いて立ち上がった。

防衛隊にそんな情報が流れたら、明日からの僕の平穏は「零」どころかマイナスに突入する。あの賑やかな面々に、この「あーん」が知れ渡るなんて考えただけでも恐ろしい。


「義務じゃないわよ! むしろ国家機密よ! 喋ったらあんたの夕飯に、今のチャーハンに使った三倍の胡椒をブチ込んでやるから!!」


レイナも顔を真っ赤にしたまま、レンゲを剣のように突きつけてリョウタを威嚇した。


「おいおい、国家機密ってことは認めてるようなもんじゃねーか。……まぁ、いいや。口止め料代わりに、その『機密のチャーハン』を俺の分も作ってくれよ。腹が減ってちゃ秘密も守れねぇからな」

 

リョウタはニヤニヤとしながら、勝手知ったる様子でカウンターの端の席にどっかと腰を下ろした。

その確信犯的な笑みに、レイナは「ぐぬぬ……」と喉を鳴らしたあと、乱暴に髪をかき上げた。


「……分かったわよ! 食べてすぐ帰るなら、一皿くらい作ってあげるわ。ただし、胡椒の量はワタシのさじ加減一つなんだからね!」


「へいへい。あ、アオイ、お前も顔真っ赤だぞ? チャーハンが熱かったのか、それとも『熱々』だったのか?」


「……リョウタ、それ以上言うと、僕もレイナの胡椒増量に賛成するぞ」


僕が観念して椅子に座り直すと、リョウタはケラケラと笑い、レイナは鼻息荒く厨房へと戻っていった。


ガシャガシャ! ガガガッ!!

 

さっきまでの二人きりの甘い(熱い)空気はどこへやら。

 厨房からはリョウタへの苛立ちが混じった、一段と騒がしい音が響き始める。

 けれど、その不機嫌そうな金属音の中にさえ、今のレイナが持つ「生きている音」がはっきりと混じっていて、僕は少しだけ安心した。


「はいお待ち!チャーハン!胡椒の追加はご自由に!」


 リョウタの前に出されたチャーハンはチャーハンとは思えない黒い色をしていた。


「おっ、サンキュー。……って、黒っ!? 黒胡椒の量が殺人的じゃねーか!」


「文句あるなら食べなくていいわよ!」


「はい……食べます、いただきます」


 リョウタが手を震わせながらそのチャーハンらしき物を口に運ぶ。


「……っ、げほっ! 辛ぇ、喉が焼ける……!」

 

リョウタは最初の一口で激しくむせ込み、涙目になりながら水を一気に飲み干した。

 そんな彼の姿を見て、レイナは腰に手を当ててフンと鼻を鳴らした。


「さっきの『お幸せに』の代償よ。しっかり味わいなさいよね」


「……鬼かよ。でも、腹減ってるから食っちまうのが悔しいな。クソッ、味は最高にうめぇんだよな……」


リョウタはヒーヒー言いながらも、止まることなくレンゲを動かしている。

 それを見て、レイナは少しだけ満足そうに、けれどどこか居心地が悪そうに僕の方へ視線を戻した。


「……アオイ。あんたのも、冷めないうちに食べちゃいなさいよ」


「あ、ああ、そうだな。……ふーふー」

 

僕は今度は自分で丁寧に冷ましながら、チャーハンを口に運んだ。

 さっきは熱すぎて味わうことが出来なかったが、今回はちょうどいい暖かさで味わうことができた。


「あぁ、最高な『パンチ』だレイナ」


 僕が噛みしめるようにそう言うと、レイナは一瞬だけ目を見開き、それからバツが悪そうにぷいっと顔を背けた。


「……当然でしょ。ワタシが作り直したんだから」


ぶっきらぼうな物言い。けれど、洗い場へ向かう彼女の足取りが、どこか弾んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「ひー……はー……。なぁ、アオイ。お前、さっきから『最高だ』とか『完璧だ』とか、さらっと言いすぎだろ。少しはこっちの身にもなってくれよ[泣]一生分の胡椒食ってる気分だぜこっちは……」


リョウタが涙目でチャーハンを頬張りながら、恨めしそうにこちらを見てくる。


「そんなこと言ったって、本当のことなんだから仕方ないだろ、ほーらこっちのチャーハンは美味しいぞ〜」


「……っ、あんたたち! 食べながら喋らないの! 行儀悪いわよ!」


厨房からレイナの怒鳴り声が飛んでくる。

 でも、その声には以前のような棘はなく、どこか賑やかさを楽しんでいるような響きがあった。


 島がどんなに静寂を押し付けてきても、今のこの店の中には、僕らが作り出した「音」が満ちている。

 中華鍋がぶつかる金属音、リョウタがむせる声、そして――。


「……アオイ。明日も、メニューの研究……手伝いなさいよね。リョウタが来ない時間を見計らって呼ぶから」


僕の横を通り過ぎる際、彼女が小声で、けれどはっきりとそう告げた。

 その瞬間、リョウタが「あー! 今なんか言っただろ! 二人だけの秘密かよ!」と騒ぎ出し、店の中はさらに「うるさく」なった。


「秘密じゃないわよ! ほら、さっさと食べちゃいなさい!」


 レイナに促され残りのチャーハンを口にかき込むリョウタ、くしゃみと涙で至る穴から水が出ている。


「ぶっ……! 止まんねぇ、くしゃみが止まんねぇよ! 誰だ、胡椒の最高傑作なんて言ったやつは!」

 リョウタは顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでも最後の一粒まで皿を綺麗に空けた。

 辛さと格闘しながら完食したその姿に、レイナは少しだけ意外そうな顔をしたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。


「……文句言いながらも全部食べるあたり、あんたもいい度胸してるわね、リョウタ」


「当たり前だろ……っ。レイナの料理を残すなんて、この島じゃ死刑宣告と同じなんだよ!」


 鼻をすすりながら強がるリョウタに、僕とレイナは思わず顔を見合わせて吹き出した。

 

 かつて静寂がすべてを飲み込もうとしたこの島で。

 今、こうして馬鹿げたやり取りをして、笑い合っている。

 そのことが、何よりも誇らしく、何よりも愛おしい。


「ごちそうさま。……じゃあな。俺はミナトと防衛隊の会議するから行くわ。……今日の『機密事項』については、今後の二人の態度次第で検討してやるよ!」


 リョウタはニヤリと不敵な笑みを残し、逃げるように店を飛び出していった。


「……あいつ、本当に余計なこと言ったらタダじゃおかないんだから」


レイナはそう毒づきながらも、リョウタが空にした皿を愛しそうに手に取った。

 客が去り、再び二人きりになった店内。


「あの〜そういやさっきの『あーん』は…」


「どうやら次はアオイがリョウタと同じチャーハンが食べたいようね」


 僕は目をつぶり首を必死に横に振った。


「冗談よ、冗談」


レイナはいたずらが成功した子供のように、くすくすと肩を揺らして笑った。さっきまでの、フライパンを振る勇ましい姿とは違う、年相応の少女の顔。


「……あ、アオイ」


急に真剣な声で名前を呼ばれ、僕は反射的に身を固くした。


「あんたが……その、『パンチ』が欲しいって言ったから、あんなことしたけど。……正直、ワタシもどうかしてたわ」


彼女はカウンターに肘をつき、視線を落とした。指先で、リョウタが残した水の雫をなぞっている。


「でもさ、アオイに美味しいって言ってもらえると……なんか、全部報われる気がするの。あの時、音が聞こえなくなって、世界が死んだみたいだったのが嘘みたいに。……だから」


そこで言葉を切ると、レイナは意を決したように顔を上げ、僕をまっすぐに見つめた。夕暮れの光を透かした彼女の瞳は、どんな宝石よりも鮮やかだ。


「……明日もちゃんと来なさいよね。リョウタには内緒で、特別なメニュー、用意しといてあげるから」


その言葉の響きに、さっきの「あーん」の熱さがぶり返したような気がして、僕は視線を逸らした。


「……ああ、楽しみにしてるよ」


 僕がそう答えると、彼女は少しだけ満足そうに、けれどどこか照れくさそうに笑い、空になった皿を抱えて厨房の奥へと消えていった。

 その後は前に頼まれたレイナの高校の春休み課題の分からないところを教え、店を去った。




 8.n+2話に続く…


本編とは少し関係が薄いレイナとの恋愛IFルートの物語です!

次の本編のエピソードの案を思いつくまで並行して書こうと思います。

アオイとレイナの熱い恋の物語をお楽しみください。

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