第8.n+2話 君の熱と音に浮かされて IF レイナ編
レイナと顔を合わせるためアオイはシオザキ亭にまた訪れる。
しかしそこにはレイナの姿はなく、レイナの母、アヤカさん曰くレイナは風邪をひき寝込んでいると。
アヤカさんに看病を頼まれ、アオイは初めてレイナの家に足を運ぶ。
ある日僕はシオザキ亭に足を運んだ、昼食を済ますついでにレイナの顔を見るためだ。
シオザキ亭の扉を開けた瞬間、いつもの活気ある「音」の中に、どこか欠けたような違和感を覚えた。
厨房に彼女の姿がない。それだけで、店の空気が少しだけよそよそしく感じられた。
「あ〜ごめんねアオイくん、レイナ今風邪ひいてて家にいるのよ」
カウンターの中で忙しなく立ち回るレイナのお母さんが、僕の顔を見るなり申し訳なさそうに手を合わせた。
「あっそうだ! 良かったら看病できないかしら! 今日は繁盛してて忙しくて! 住所書いとくわね!」
「えっ、僕が!? いや、でも……」
言いかける僕の手に、流れるような動作で住所の書かれたメモが握らされた。
お母さんの目は「お願い!」と切実に訴えているが、その奥に少しだけ、面白がっているような光が見えたのは気のせいだろうか。
「お願いね!」
僕はシオザキ亭を後にしレイナの家に向かう途中小さなスーパーマーケットですりおろしリンゴと経口補水液を買ってた。
「うん?というかこのメモやたら重いな」
そう思いメモを裏返すと明らかに家の鍵であろうものがテープで貼ってあった。
(おいおい…軽々しく家の鍵渡す人がいるか……)
手のひらに残る鍵の冷たさが、今の僕にとってはとんでもない重圧に感じられた。
いくら最近結構距離感が近くなったとはいえ、風邪をひいてて家に一人だけの状態だ。お母さんの信頼が厚すぎるのか、それとも確信犯なのか。
僕はスーパーの袋を揺らしながら、メモに記されたある一軒家に着いた。
(一応ピンポンは鳴らしておこう)
ピンポーン……
「…………反応ないな」
コンコン
僕は念の為ノックをした、がしかし誰出ることも反応することもなかった。
「レイナのやつ大丈夫か……?」
僕は鍵を取り出しドアを開けた。
「お邪魔します……」
家は二階建てで、まぁまぁな広さをしていた。僕はレイナの部屋を探すためしばらく色んな部屋を探し回った。
「……こっちか?」
いくつか並んだドアの一つに、小さく「REINA」と書かれた木製のプレートがかかっているのを見つけた。
ドア越しでも、かすかに荒い呼吸の音が聞こえてくる。僕は深呼吸をして、そっとノブを回した。
「……レイナ? 入るぞ」
カーテンの閉め切られた部屋は、昼間だというのに夜のように暗かった。
敷布団の上に、丸まったシーツの山。
近づくと、そこからぼさぼさの髪をのぞかせたレイナが、熱で潤んだ瞳をこちらに向けた。
「……だれ?…えっ、アオイ…?」
「よ、邪魔するぞ」
「……な、なんでいるのよ。鍵、かかってたはずでしょ」
レイナは掠れた声でそう言いながら、ずるずるとシーツを鼻先まで引き上げた。熱のせいで潤んだ瞳が、驚きと当惑でさらに揺れている。
「アヤカさんに頼まれたんだよ。鍵まで渡されてな……。ほら、これ買ってきたから」
僕はスーパーの袋をサイドテーブルに置き、経口補水液を取り出した。
「お母さん……あの人、あとで絶対中華鍋で叩いてやる……。よりによって、あんたを呼ぶなんて……っ」
「いいから、喋るな。喉に響くだろ」
毒づきながらも、彼女はよほど体がしんどいのか、いつものように立ち上がって僕を追い返そうとはしなかった。
普段はあんなに厨房で力強くフライパンを振っている彼女が、今は驚くほど小さく、脆いものに見える。
「何か食ったか?」
「なにも…食欲なくて……」
「だと思ったよ。……ほら、これなら食べられるだろ」
僕はさっきスーパーで買ったカップに入ったすりおろしリンゴを袋から出した。
「ありがとう…ふぇ〜……」
レイナがすりおろしリンゴを食べようと起き上がろうとしたがあまりのダルさにまた寝込んでしまった。
「おい、あんま無理すんなって、しゃーない僕が食べさてやる」
そういうとただでさえ熱で顔が赤いレイナが更に赤くなる。
「ちょ、ちょっと! 本気で言ってんの!?」
レイナは火が出るほど顔を赤くして、掠れた声で必死に抗議した。けれど、ベッドから伸ばそうとした腕は力なくシーツの上に落ち、指先ひとつ思うように動かせないのは一目瞭然だった。
「いいから、じっとしてろよ。……ほら、あーん」
僕はカップの蓋を剥がし、ひんやりとしたリンゴをスプーンで掬って彼女の口元へ運んだ。
数日前、シオザキ亭のカウンターで立場が逆だった時と同じ言葉。あの時は彼女が強引だったけれど、今は僕が、逃げ場のない彼女をじっと見つめている。
「…………っ、……ん」
観念したように、レイナが小さく、震える唇を開く。
一口、ゆっくりと口に含んだ彼女は、冷たさが心地よかったのか、少しだけ強張っていた表情を緩めた。
「どうだ、固形のリンゴより食べやすいだろ」
「うん……美味しい…」
「美味しいならよかった。……はい、もう一口」
僕は二口目を掬って、再び彼女の口元へ運んだ。
普段の彼女なら、「美味しい」なんて言葉をそう簡単に漏らしたりはしない。「不味くはないわね」とか「私の料理には敵わないけど」とか、何重もの防壁を張るのがいつもの彼女だ。
それが、こんなに素直に認めるなんて、というか市販のものだからそんな意地張ったところでなんだという話したが。それはそうと熱のせいか、それともこの静かな部屋の空気がそうさせているのか。
「ほら、これも飲め」
さっき机に置いた経口補水液のキャップ開け、そっとレイナの頭を持ち上げ口に一口含ませた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「ごめん噎せてしまったか」
少しペットボトルを傾けすぎて一気に入れてしまった。
「ゲホッ…大丈夫よ」
「そうか…他に何か欲しいものあるか?買ってきてやる」
「……ない…でもお願いがある……」
レイナが余力を使って僕の袖を掴む。
「な、なんだい」
「…に……て…」
「な、なんて?」
「ここに……いて…お母さんが帰ってくるまで……」
消え入りそうな声。けれど、僕の袖を掴むその指先には、確かな力がこもっていた。
普段なら「さっさと帰りなさいよ!」と僕を追い立てるはずの彼女が、今は縋るように僕を見つめている。
「……あぁ、分かった、ここにいるよ、お母さんが帰ってくるまで、どこにも行かない」
僕がそう答えると、レイナは少しだけ安心したように、強張っていた肩の力を抜いた。
「あ、単語帳見ながらでも大丈夫か?」
「……単語帳?」
レイナは少し意外そうに目を瞬かせ、それから熱のせいか、どこかぼんやりとした様子で僕の手元を見た。
「……あぁ、そういえば、あんた……浪人生だったわね。……いいわよ、別に。勝手にしなさいよ……」
突き放すような言い方だけど、僕の袖を掴む指の力は緩まない。安心したのか、彼女はそのまま静かに枕へ頭を沈めた。
「……アオイ、いる?」
「うむ」
「……そう。なら、いいわ」
彼女は安心したように目を閉じ、僕の袖を掴んだまま、深く、長い吐息をついた。
僕は彼女の枕元で、買ってきた袋から単語帳を引っ張り出し、片手で器用にページをめくり始めた。
パラッ、パラッ。
静まり返った部屋に、紙の重なる音だけが小さく響く。
かつて彼女が恐怖した「音のない世界」とは違う、誰かが隣にいることを証明する、生きた日常の音。
「……ねぇ、アオイ」
「……ん?」
「……それ、声に出して読みなさいよ。頭に入らないでしょ」
「え、でも……寝るのにうるさくないか?」
「……いいから。……あんたの声が聞こえてたほうが、……その、……落ち着くから」
レイナは顔を枕に半分埋めたまま、掠れた声でそう言った。
熱に浮かされた本心なのか、それとも孤独な暗闇を振り払うための彼女なりのワガママなのか。
僕は少し照れ臭さを感じながらも、単語帳のアルファベットを低い声で読み上げ始めた。
「suppres…抑える…swing…揺らす…assure…自信を持って言う…あれ寝たか」
気づけばレイナは規則性のある呼吸をし掴んでいた僕の袖を離し眠りについていた。
そんな寝ているレイナの寝顔を少し可愛いと思った。
「僕も眠くなってきたな…少し仮眠でもするか…」
僕はサイドテーブルに単語帳を置き、あぐらをかいて座ったまま眠りに着いた。
どれくらい寝ていただろうか、ふと僕の顔から暖かい風が当たった気がし目を覚ました。
目の前にあったのはレイナの寝顔……寝顔!?
僕は気づかないうちにレイナのすぐ隣で横になって寝ていた。
(まずい、起きたら完全にのされる、早いうちに元いたところに……)
「んー……」
「ちょっ、へ?」
布団から離れようとした瞬間、レイナに思いっきり両腕で腰を掴まれそのまままた布団に引き込まれた。
「ちょっ、おまっ……レイナ!? 起きてるのか!?」
心臓が耳元で鐘を鳴らしているかのように激しく脈打つ。
腰をがっしりとホールドされ、僕は抵抗する間もなく再び敷布団の上へと引き戻された。
だが、返ってきたのは怒鳴り声ではなく、すぅすぅという穏やかな、けれど少し熱を含んだ寝息だけだった。
どうやら彼女は無意識に、大きな抱き枕か何かと勘違いしているらしい。
(これは本当にまずい、アヤカさんに見られたらある意味料理されてしまう)
僕はもがこうとした、しかしもがいたらもがいたらでレイナが置きこの状況を見てどう思うだろうか、恐らくパンチだ。
僕は考え、考えた末に諦めた。
僕は抵抗するのをやめ、脱力して天井を見上げた。
腰に回された腕からは、レイナの熱い体温がダイレクトに伝わってくる。厨房で力強くフライパンを振る彼女の腕は、こうして触れていると驚くほど細く、そして柔らかい。
「ただいま〜」
玄関からアヤカさんの声が聞こえてきた、どうやら店が終わり帰ってきたようだ。
(ちょっと本当にまずいやばいやばいやっばい。)
アヤカさんの階段を上がる足音が聞こえてくる。心臓が今までにない速さで鳴り響き、冷や汗が背中を伝った。
この状況を見られたら、弁解の余地なんてこれっぽっちもない。浪人生が看病を任された結果、店主の娘の抱き枕にされているなんて、どんなホラーよりも恐ろしい展開だ。
「レイナ〜、アオイくん、入るわよ〜」
無情にもドアノブが回る。
「あら?」
部屋に入ってきたアヤカさんは、夕闇が迫る部屋の中で固まっている僕と、その腰をがっしりとホールドして眠る娘を見て、一瞬だけ動きを止めた。
「……あ、アヤカさん。これは、その……」
僕は顔を引きつらせ、脂汗を流しながら、必死に「不可抗力」を全身で表現した。
アヤカさんは手にした買い物袋をサイドテーブルに置くと、少しの間、僕たちをじっと見つめていたが……やがて、その口元がニヤリと吊り上がった。
「あらあら、ずいぶん……『熱心』に看病してくれたみたいね?」
「違います! これには深い事情が……!」
「いいのよ、いいのよ。レイナがこんなにぐっすり眠れてるなんて珍しいもの。アオイくんが横にいて安心したのねぇ」
なんとか幻滅はしてないらしいが、それはそうと早くこの状況を何とかして欲しい。
「あの〜助けて欲しいです…」
「あらごめん、お店の鍵閉めるの忘れたのを思い出したわぁ〜少しまた出てくるね〜」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいアヤカさん!? 鍵!? 今!? 嘘でしょ!?」
僕の必死の呼びかけも虚しく、アヤカさんは「うふふ」と楽しげな笑い声を残して、軽快な足取りで部屋を去っていった。階段を降りる足音がどんどん遠ざかり、やがて玄関のドアが閉まる音が響く。
……また、静寂が戻ってきた。
それも、さっきまでよりずっと濃厚で、逃げ場のない静寂だ。
(……確信犯だ。あのお母さん、絶対にわざとやった……!)
僕は再び、天井を仰いで深い溜息をついた。
腰を掴んでいるレイナの腕は、相変わらずがっしりと僕をホールドしたままだ。抵抗しようと身をよじれば、彼女の熱い体温が余計に肌に伝わり、僕の頭まで熱で溶けてしまいそうになる。
「ん……んぅ……」
レイナが微かに声を漏らし、僕の服をぎゅっと握りしめた。
さっきより少し熱が引いたのか、彼女の寝顔は随分と穏やかだ。普段はあんなに尖った言葉を投げつけてくる彼女が、今はまるで迷子のように、僕の存在に縋っている。
「……仕方ない、か」
僕は再びもがくのをやめた、残念ながらどうにもならないてのは確定したからだ。
サイドテーブルの上には、読みかけの単語帳。
その隣で眠る、僕の未来よりも今この瞬間を必死に求めている、不器用な看板娘。
英単語の綴りは一つも思い出せない。
けれど、この腕の重みと、リンゴの香りと、二人の呼吸が重なるこのリズムだけは。
「……早く良くなれよ、レイナ」
僕は誰にも聞こえない声で呟くと、今度は確信犯的に、少しだけ眠る彼女の熱を心地よく感じながら、再びゆっくりと目を閉じた。
バコーン!!
「…ボゴぉア!?」
何か僕の頭にぶつかった、よりかは叩きつけれた感覚がした。
「いてて…壁?」
「ちょちょちょちょ…アンタ!なんでワタシと抱きついているのよ!」
「いやレイナがいきなり掴んで僕のことを…」
「……う、うるっさいわね! ワタシがそんなことする
わけないでしょ! この、不潔! 浪人生! どさくさに紛れて何してんのよ!」
レイナは顔を真っ赤にして、さっきまでのしおらしい寝顔が嘘だったかのように怒鳴り散らした。
どうやらレイナが起きて、抱きついてることに驚き、僕を吹き飛ばした結果壁に叩きつけられたようだ。
「いや、だから、不可抗力だって! アヤカさんにも見られたんだからな!」
「お母さん!? ……もう、あの人、絶対に面白がって放置したわね……っ」
レイナはシーツを頭まで被り、ガタガタと震えている。怒っているのか、寒気なのかそれとも恥ずかしさに耐えているのか。
「……とにかく、熱は下がったみたいだな。声も少しマシになってるし」
「失礼すわねぇ〜、あらぁ仲良くやってみたいね!」
アヤカさんが戻ってきた、どこをどう見たら仲良くやって様に見えてるか不思議でたまらない。
「……とにかく、熱は下がったみたいだな。声も少しマシになってるし」
「ふん!今のでまた熱上がったみたい!もう帰っていいわよ!ふん!」
「……なんだよ、さっきまでの『ここにいて』は熱に浮かされてただけか?」
「これ以上なにか言うなら明日からリョウタと同じチャーハン食べさせるわよ!!」
レイナは顔を真っ赤にしたまま、まくらを盾にして僕を睨みつけた。
けれど、その瞳の奥にはさっきまでの恐怖心はもうなくて、いつもの気の強い「音」が戻っている。
僕は少しだけ安心した。
「それはやめてくれ!!じゃじゃあお邪魔しました!お大事にぃぃ!!」
僕は脱兎のごとく部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
背後から「明日、店に来なかったら承知しないんだからね!」という、病み上がりとは思えないほど張りのある怒声が追いかけてくる。
「……ふぅ、死ぬかと思った」
玄関を出ると、外はすっかり夜の帳が下りていた。
四月の夜風は少し冷たいはずなのに、今の僕にはちょうどいい。叩きつけられた後頭部がじんじんと痛み、腰のあたりにはまだ、彼女の腕の温もりが微かに残っているような気がした。
(明日の料理……覚悟しておこう…一応遺言でも書いてとくか……)
そんなアホなことを考えながら、僕はポケットの中で、さっきまで彼女を支えていた自分の右手を軽く握りしめた。
ここまで読んで下さりありがとうございます!
一応本編も並行して書いてるので時期にできます!
少々お待ちください!




