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第6話 音、零なる世界 ep2

昼時の商店街に響く、威勢のいい声と美味しそうな匂い。

  島の人々の温かさに触れ、僕の心もようやくこの島のリズムに馴染み始めていた。

  けれど、隣を歩く彼女を包んでいたのは、僕らの知らない「沈黙」の檻。

  

  職人の誇りである、料理の音。

  それが、世界の色彩である他の音を、一つ、また一つと塗り潰していく。

  

  まるで特定の音だけが異様に際立つ、モノクロのレコードのように。

  

料理の音が戻るたび、大切な人たちの声が遠のいていく皮肉な均衡。

  孤立しゆくレイナの背中を見つめながら、僕は「失うこと」の本当の恐怖を知ることになる。

四月五日 昼――


 僕とミカちゃんは砂浜で会ったレイナの家の定食屋に向かっている。


「商店街が見えてきました、前はリョウタさんに木刀で叩かれてあまり回れませんでしたよね!」


「あれは痛かった…」


「あの時は正直泣きそうだったんですよ!」


 ミカちゃんが自転車の荷台でけらけらと笑う。

 そんな他愛もないやり取りが、今朝見た夢の静寂を少しだけ遠ざけてくれる気がした。

 商店街に入ると、昼時ということもあって昨日以上の活気に溢れている。

 焼き魚の匂い、威勢のいい呼び込みの声、そして観光客の賑やかな笑い声。

 

 その喧騒の中を少し進むと、年季の入った藍色の暖簾が揺れる一軒の店が見えてきた。


 『お食事処 シオザキ亭』。


 店の前には、先ほど別れたレイナの原付がすでに停まっている。


 「ここですね!」


 自転車を止め、僕たちは暖簾をくぐった。

 中に入ると、出汁のいい香りと共に、地元の人たちが談笑する温かい空気が僕たちを包み込んだ。


 「いらっしゃい!あらミカちゃん久しぶりねぇ!」


「こんにちは!アヤカさん!」


 元気よく出迎えてきた方は恐らくレイナの母であろう人だった、彼女のように透き通った水色の髪をしていたからすぐわかった。


「レイナー、ミカちゃんとあと…」


 「アオイです」


 「アオイくんが来たわよー!」


 アヤカさんがレイナを大きな声で呼ぶ、僕の名前を口にした瞬間、他の島の客たちが一気に僕に視線を向ける。


 「あんちゃん、もしかして最近他所からアオイくんか?」


 「あ、はい。そうです」


 突然の注目に、僕は思わず身をすくめた。

 島の客たちは、まるで珍しい生き物を見るような目で僕を見つめ、口々に話し始める。


「噂の浪人生か! ほぉ、意外とシュッとしとるな」


 「ミカちゃんの兄貴分だって? よろしく頼むぞ、あんちゃん!」


 島のコミュニティの狭さと温かさ、そして少しの図々しさが混ざり合った独特の空気。

 本来なら居心地が悪くなるところだが、今はその「騒がしさ」さえも、どこか愛おしく感じられた。


「もう、みんな静かにしてよ! お客さんが困ってるじゃない」


 奥のカウンター席から、不機嫌そうな、けれどどこか焦りを含んだ声が響いた。

 レイナだ。彼女は自分の前に置かれたコップを見つめたまま、こちらを振り返ろうともしない。


「レイナ、ごめん。お邪魔するよ」


  僕が近づいて隣の席に座ると、レイナはびくりと肩を揺らした。

 横から見る彼女の顔は、砂浜にいた時よりもさらに蒼白に見える。


「……アオイ。……来たのね」


「あぁ、僕も気になったから来てみた……大丈夫か?」


 レイナが僕に近づき小さな声で言った。


「料理する時の音がもう聞こえないの」


 彼女の耳には、野菜を切る音、鍋が沸騰する音、具材を焼く音さえ既にもう入らなかった。


「ただ、視界だけが忙しく動いていて……まるで、無声映画の中に放り込まれたみたい」


 レイナの声は、震える指先を隠すように力なく紡がれた。

 目の前ではアヤカさんが手際よくキャベツを千切りにしている。僕の耳には「トントントン」という軽快なリズムが心地よく響いているのに、隣に座る彼女には、そのリズムさえも死んだ沈黙の中に埋もれているのだ。


「そんな顔しないで。……あんたの声は、まだ聞こえてるから」


 彼女は無理に口角を上げて見せたが、その瞳には得体の知れない「虚無」への恐怖が張り付いていた。

 レイナが厨房に戻るとレイナ母がレイナにコソコソ何か耳元に囁いていた。


「もしかして男?だったらレイナが彼の料理を作ってあげな」


「なっ!!そんなんじゃないわよ!」


「いいから、いいから! ホラ、包丁。あんたの得意な

アジフライ、彼に食べさせてあげなさい」


 アヤカさんに背中を押され、レイナは顔を真っ赤にしながらもしぶしぶ包丁を握った。

 僕はカウンター越しにその様子を見守ることしかできなかった。

 レイナがアジのぜいごを取り、手際よく捌いていく。

 僕の耳には、包丁がまな板に当たる音、鱗が削れる音がはっきりと聞こえる。

 けれど、彼女は時折不安そうに自分の耳元を触りながら、まるで手元の感覚だけを頼りに作業を続けているようだった。


「……っ」


 衣をつける際、レイナの動きが止まった。

 彼女の視線は、隣で激しく音を立てて沸騰している鍋に向けられている。

 僕には聞こえる、その「ボコボコ」という煮えたぎる熱い音。

 だが彼女は、沸き立つ泡をただ無機質な映像として見つめ、熱の気配を耳で測ることができないでいた。


「……アオイ。……揚げるわよ。見てて」


 彼女は自分に言い聞かせるように呟き、アジを油の中に滑り込ませた。


 「ジュワーッ!」という豪快な音が店内に響き渡る。


「おお」


 僕はその様子に釘付けになってしまった、音は聞こえてないはずなのに体がそれを覚えているかのように手際が良かった。


「……できた」


 油の弾ける「パチパチ」という最後の大合唱も、彼女には届かない。

 レイナは慎重な手つきで、黄金色に揚がったアジを網に上げた。

 音が死んだ世界で、彼女は自分の視覚と指先の感覚だけを研ぎ澄ませ、この一皿を完成させたのだ。


「はい、お待ち遠さま。……冷めないうちに食べて」


  目の前に置かれたアジフライ定食は、皮肉なほど美味しそうな音を立てて湯気を上げている。

 隣ではミカちゃんが「うわあぁ!」と声を上げ、我先にと箸を割った。


「サクッ……んんっ! おいひいです、レイナさん!」


 ミカちゃんの素直な歓喜の声に、レイナは少しだけ肩の力を抜いたようだった。

 けれど、その視線はすぐに僕へと移る。

 彼女の瞳には、自分の技術への自信よりも、「正解がわからない」という深い不安が色濃く滲んでいた。


 「……アオイ、どう? 変な味、してない?」


 僕は箸を取り、彼女が沈黙の中で格闘して作り上げたその一片を口に運んだ。

 

 ――サクッ。

 衣の軽やかな音が頭蓋に響く。

 身は驚くほどふっくらとしていて、脂の乗ったアジの旨みが口いっぱいに広がった。

 

「……美味しいよ。今まで食べたどのアジフライよりも」


 僕が正直な感想を伝えると、レイナは一瞬だけ呆然としたあと、崩れ落ちるようにカウンターに手をついた。


「良かったぁ〜〜……料理の味が落ちてたらワタシもう…」


 レイナは消え入りそうな声で、けれど心の底から安堵したように呟いた。

 視力や体力といった身体的な機能ではない。「料理ができる」という、彼女を彼女たらしめている誇り。音が消えゆく恐怖の中で、彼女が最も恐れていたのは、積み上げてきた自分自身が指先からこぼれ落ちていくことだったのかもしれない。


「レイナさん!本当にこれ美味しいです!」


 ミカちゃんが、口いっぱいにアジフライを頬張りながら力強く言った。


「……!?」


 レイナの目が大きく開く。


「聴こえる……水が沸騰する音、野菜を切る音……戻ったわアオイ!料理の音が聴こえる!」


 レイナは弾かれたように立ち上がり、自分の耳に手を当てて、何度も周囲の音を確認するように首を振った。

 喜びを爆発させる彼女の姿に、僕も、そしてミカちゃんも「よかった……!」と顔を見合わせた。



 けれど。



「わぁー!この曲好きかもです!」


 店のテレビから最近話題になってる曲が流れた。


「ん?このみさんの曲か」


 僕もその曲に耳を傾けようとした時レイナがトレーを落とす。


「ちょっとレイナ、大丈夫?」


 厨房からアヤカさんが顔出す。


「ごめん、ママ1回外の空気吸ってくる…………アオイ……来て」


 僕はレイナに腕を軽く引っ張られ外に出された。

 レイナはとても深刻そうな顔をして言った。


「テレビから曲が流れてたの……?」


「あ、あぁ」


 レイナは俯き、更に暗い顔になった。


「ワタシには曲が一切聞こえなかった……」


「……え?」


 僕は思わず聞き返した。

 店の外にまで微かに漏れ聞こえている、あの軽快なアップテンポのメロディ。

 僕にはこんなにもはっきりと聴こえているのに。


「……ミカちゃんが楽しそうにリズムを取っていたのも、テレビの画面が切り替わったのもわかった。でも、私には……ただの『無音の映像』にしか見えなかったの」


 レイナは自分の耳を、まるでもう役に立たない器官であるかのように、ぎゅっと強く押さえた。


「料理の音は、さっきよりずっと鮮明に聴こえる。お母さんが野菜を刻む音も、蛇口から流れる水の音も……でもその分違う音が聞こえなくなってる…曲だけじゃない……アオイとミカちゃん、ママを除いてお客さんのみんなも……」


 まるでノイズキャンセルかのように料理の音が他の音を除いて鮮明に聴こえるようになっている様だ。


彼女の指が、僕の腕を強く掴む。


「次は? 次は誰の声が消えるの? ミカちゃん……ママ……アオイ……防衛隊のみんな……? 嫌、嫌よ、嫌嫌嫌嫌!!!」


「落ち着け、レイナ!」


  僕は震える彼女の肩を掴んだ。だが、レイナの瞳は虚空を泳いでいる。


「ごめんよレイナ」


 正気を戻す為に僕はレイナのほっぺを軽く叩いた。


 ペチンッ


「ハッ…ワタシ一体……」


「ごめん……あまりにも我を失ってようだから」


「……ううん、こちらこそ。少し、頭が冷えた気がする」


 レイナは赤くなった頬をさすりながら、力なく微笑んだ。

 春の柔らかな潮風が通りを抜けていくが、彼女の表情はまだ、雲に覆われた空のように暗い。


「ごめん今日はもう家で寝るわ……」


「……そうか。分かった。無理しないで」


 僕がそう言うと、レイナは俯いたまま小さく頷き、逃げるように自分の原付へと向かった。

 キック一発でエンジンがかかる。その「ブロロロ」という排気音だけが、今の彼女の世界では不気味なほど鮮明に鳴り響いているのだろう。

 僕はアヤカさんにはレイナは体調不良で家に帰ったと伝えた。


「そう……。最近、根詰めてたからねぇ」


 アヤカさんは心配そうに、レイナが走り去った表の通りを見つめていた。


「アオイくん、ミカちゃん。せっかく来てくれたのにごめんね。今日はもう、ゆっくりしていって」


「……ありがとうございます、アヤカさん」


 僕は出されたアジフライを、どこか砂を噛むような思いで口に運んだ。

 あんなに美味しかったはずなのに、喉を通る感触はひどく重い。

 

 料理の音が戻った代わりに、世界の色彩ともいえる他の音が削り取られていく。

 彼女が守りたかった「職人の誇り」が、皮肉にも彼女を孤立させる檻になってしまったのだろうか。


「レイナさん、大丈夫かな……」


 隣でミカちゃんが、小さく呟いた。

 

「……ああ。今は休ませてあげよう」


 僕はミカちゃんにそう答えたものの、胸のざわつきは収まらなかった。

 もし、明日の朝になっても彼女の世界から「僕たちの声」が消えたら――――

 

 空はどこまでも青く、商店街は変わらず活気に満ちている。

 けれど、その賑やかさが今の僕には、レイナを置き去りにして進む残酷な秒針の音のように聞こえていた。


割と今回のエピソードは書くのに手こずりました。

多分あんまできはあんまかもです笑

大目に見てくださいね笑

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