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第5話 音、零なる世界 ep1

この島、根大島には不気味な言い伝えがある。

何かへの強い感情を抱えると、人は「大切な何か」を喪失するという。

ある人は、身体の感覚を。

ある人は、自分の名前を。


そして四月五日───

アオイは喪失するもの達をその日を境に多く出会うことになる。


そしてその最初の一人は┈┈┈

この島、根大島にはある言い伝えがある。

 何かへの大きな恐怖心、執着、憎悪を抱えると人間として大切な何かを喪失するという。


 喪失するものは様々であり些細なことから概念までもねじ曲げるようなものだってある。

 ある人は身体の何かの感覚を奪われ、あるいは名前も奪われ、最悪なものだと存在自体も…


 それは、島のどこかに潜む「影」に魅入られた報いなのか。

 あるいは、心が限界を迎えた時に鳴り響く、終焉の合図なのか。


 しかし失うだけでは無い、人間だからどこかで壁にぶつかっても克服、努力をすればきっと大切な何かに気づき、得ることができる――――


「というのが、この島の昔からの都市伝説的なやつです!」


「寝る前にこの話は怖いよ」


 ミカちゃんが今日商店街の人から貰ったと言う、本を読んでいた、どうやら僕と一緒に読みたかったのか夜寝る前にリビングで一緒に読もうと約束し今それをミカちゃんが読み上げてところだ。


「大丈夫ですよ!都市伝説ですから」


 ミカちゃんはケロッとした顔で笑い、テーブルの上に本を置いた。

 その無邪気な笑顔を見ていると、先ほど読み上げられた「喪失」という不気味な言葉が、ただの古臭いお伽話のように思えてくる。

 けれど。


 (人間としての大切な何か……名前……存在……)


「ふぁ〜、眠くなってきました…ミカはもう眠ります」


「うん、僕もそうする、おやすみミカちゃん」


「おやすみなさい、お兄ちゃん。……変な夢、見ないようにしてくださいね?」


 茶目っ気たっぷりにそう言い残して、ミカちゃんはパタパタと廊下へ消えていった。

 一人残されたリビング。

 さっきまで彼女が座っていたソファの窪みと、テーブルに置かれた古い本。

 僕はなんとなく、その本をもう一度手に取った。

 ページをめくると、そこには掠れた文字でこう記されていた。


『――零れ落ちたものは、からだがそれを忘れることで、はじめて完全な無となる』


 残念ながら僕は書いてる事が何が言いたいのか分からなかった、しかし少し不気味だてのは感じた。

 僕はリビングの電気を消し、自室に戻り床に着いた。


 四月四日が終わりを迎えようとした。

 





 『……おーい…あ、起きた』


「……うーん…………はっ!」


 僕はまたあの夢の世界に来ていた、ここに来たのは二日ぶりだろうか、いやこれが夢だとしたら0時を過ぎ三日ぶりという可能性もある。


 『立てる?』


 夢に出てくるこの銀髪の長い髪の少女は僕が前にハルナと名付けた。度々思う、名前がつけらればそれが存在として確立され概念となるのか。

 

「あぁ大丈夫だハルナ、立てる」


 僕は立ち上がり辺りを見た、今回は前回の商店街ではなく既視感のある砂浜だった。


 『また会えるの待ってた、じゃあ一緒に歩こ?』


 ハルナは僕の返事を待たず、波打ち際をゆっくりと歩き出した。

 この砂浜には既視感がある。昨日、レイナさんと歩いたあの砂浜だ。

 けれど、夢の中のこの場所は、音の粒が一つ一つ透き通っているような、奇妙な静寂に包まれていた。


「ハルナは何故ここにいるの」


 『いたいからここにいるという訳ではない、それだけは確か』


 彼女は寄せては返す波を見つめたまま、淡々と答えた。

 その声は、潮騒に溶けてしまいそうなほど頼りない。


 『でも私は、何かから逃げようとして気づいたらここに来てたというのは覚えがある、それ以上は何も分からない…』


「そうか…ハルナはどうなりたい?」


 ハルナは歩みを止め、波に洗われる自分の足元をじっと見つめた。

 透き通った水が彼女の肌を叩いているはずなのに、そこには波紋ひとつ立たない。


 『思い出したい、前の自分は何者だったのか……』


 唇より上を見ることはできない、それでも僕は彼女が悲しそうな目をしてるように思えた。


「じゃあ、僕が思い出させてやる」


 咄嗟に僕はそういった、多分僕は彼女と僕自身を照らし合わせたのだろう、同じく何かを喪失した者同士という共通点において。


 『ほんと…?』


「あぁ、どうすればいいかは分からないでも、でも僕が僕自身で経験したことを話せば何か思い出せるんじゃないかて思う」


 僕は彼女の隣に並び、現実の世界では明日になれば四月五日の光に照らされるであろう水平線を見つめた。


 「僕は、この島に来て色んなものを見た。商店街の活気、防衛隊なんて名乗る騒がしい連中、そして……」


 僕は言葉を一度切り、ポケットの中で拳を握りしめた。


「ミカちゃんという大切な妹も」


 ハルナがその名前を聞いて、ハッも息を着いたように見えた。


「その名前…今何かとても大事なことを忘れてるて明確にわかった気がする……」


 ハルナの肩が微かに震える。


「ミカちゃんのことを……知っているのか?」


 『わからない、思い出せないの。でも、その名前を聞いた瞬間、胸の奥がすごく熱くなって……。ねぇ、アオイ。その子は、どんな子なの? どんな風に笑って、どんな風にあなたの名前を呼ぶの?』


  彼女は顔を上げ、見えない瞳で僕を真っ直ぐに見つめてきた。

 僕は、今朝リビングで本を読んでいたミカちゃんの姿を思い浮かべた。


 「……お節介で、明るくて、僕のことを『お兄ちゃん』って呼んで、いつも美味しい朝ごはんを作ってくれるんだ。僕にとっては、この島での唯一の拠り所だよ」


 『……そう。素敵な子なんだね。……ミカ、ちゃん』


  ハルナがその名前を反芻するように呟く。

 その瞬間、彼女の輪郭が、ほんの少しだけ夢の霞から解き放たれ、現実的な実感を伴ったように見えた。


 『アオイ……お願い。もっと、もっと聞かせて。あなたが今日見るもの、聞くもの、触れるもの……。それが、私の「空白」を埋める光になるから』


 ハルナが僕の手をそっと握った。

 温もりはないはずなのに、彼女の必死な想いが指先から伝わってくる。


「きっとまたここに来て沢山経験した事を話すよ…………ウっ…頭が…ハルナ多分今日はここまでだ」


 『うん…ずっと待ってるから……私を見捨てないでくれてありがとう』


 「……っ、はぁ……はぁ……」


 バッと跳ね起きると、そこはいつもの自室だった。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、痛烈に網膜を刺す。夢と現実の境界線でバグを起こしたかのように、頭の奥がズキズキと熱を持っていた。

 掌を見る。そこには何の感触も残っていない。

 けれど、耳の奥には確かに、ハルナの震える声が残っていた。


 「本当にあれは夢なのか……」


 正直ただの出来すぎた夢じゃないのかと疑いもあった。

 一旦冷静になり現実を見るよう切り替えようとした。


 「……まあ、ただの夢だよな」

 僕はカーテンを開け日に当たり、無理やり思考をシャットダウンした。


 浪人生として、根拠のないオカルトに脳のリソースを割くのは効率が悪い。

 昨夜、ミカちゃんがあんな不気味な本を読み聞かせたのがいけない。脳がその情報を睡眠中に整理して、適当な美少女と悲劇的な設定をデッチ上げただけだ。

 ハルナがミカちゃんの名前で反応したのも、僕が普段から妹を気にかけているから、深層心理が勝手にリンクさせたに過ぎない。


 「よし、切り替えよう」


 僕は自分に言い聞かせるように呟き、洗面所に向かい顔を洗いにいった。


 「全く、夢の自分はどんだけお人好しで青臭いんだ、タダでさえ浪人生なのに」


 鏡に映る自分は相変わらず冴えない顔をしていて、特別な何かが始まったような気配なんてどこにもない。冷たい水で顔を洗うと、ようやく脳の奥の熱が引いていくのが分かった。


 「……あんなに鮮明なのは、やっぱり寝る直前にミカちゃんの話を聞いたからだ。そうに決まってる」


 僕はタオルで顔を拭い、無理やり思考を日常のレー

ルへと戻した。

 ハルナの寂しげな微笑みも、あの透き通った音のない砂浜も、すべては脳が見せた一時の幻影、根拠はミカちゃんとリアルで砂浜に行ったという過去がある事だ、それからきっと連想されたんだろう。


 「あ!お兄ちゃん起きましたか!」


 ダイニングに行くと、既にエプロン姿で朝食の準備を整えたミカちゃんが、明るい声で僕を迎えた。

 テーブルの上には、こんがりと焼けたトーストと、湯気の立つお味噌汁。相変わらずの和洋折衷だ。


 「……ああ、おはよう、ミカちゃん。昨日読み聞かされたあの話のせいで、変な夢見ちゃったよ」


 「えへへ、やっぱり怖かったですか? でも、お兄ちゃんが夢の中でも私を思い出してくれたなら、妹としては100点満点です!」


 ミカちゃんはケラケラと笑いながら、僕の席に箸を並べる。その無邪気な様子を見ていると、やっぱりあの砂浜も銀髪の少女も、僕の脳が昨日の断片的な情報を繋ぎ合わせて作った「出来の良すぎる幻」だったんだと、妙に納得できた。


 (そうだ、ただの夢だ。浪人生がオカルトにうつつを抜かしてどうする)


  僕は椅子に座り、味噌汁を一口啜った。喉を通る温かさと出汁の香りが、僕を確実に現実へと繋ぎ止める。

 夢の中でハルナが言った『空白を埋める光』なんていう詩的な台詞より、この実感を伴った温かさの方が、今の僕にはよっぽど信頼できる。


 「よし。しっかり食べて、シャキッとしよう」


 朝食を食べながらミカちゃんの楽しく話した。


「そういえば、ナギサさんは?」


「お母さんは急遽出張で本土に行きました!多分明日には帰ってくるはずです」


 もし僕がいなかったらミカちゃん一人だったわけだ。


「よし、今日は勉強休んで兄ちゃんと遊ぼうか!」


「えっ、本当ですか!? やったぁ!」


  ミカちゃんは手に持っていたトーストを皿に落としそうになるくらい、身を乗り出して喜んだ。その弾けた笑顔を見ていると、朝まで頭を支配していたあの「不気味な夢」の冷たさが、急速に体温で上書きされていくのがわかった。


「今日はどこ行こうか?」


「今日は違う方の海辺に行きたいです!」


「よしそこに行こうかじゃあ」


「わーい!帰りに商店街で何か食べ歩きしましょう!昨日沢山お小遣い貰えたので!」


 ミカちゃんはそう言うと、パタパタと自分の部屋へ着替えに走っていった。

 一人残されたダイニングで、僕は最後のお味噌汁を飲み干す。

 窓の外からは海鳥の鳴き声が聞こえる。夢の中の、あの耳が痛くなるような静寂とは正反対の、騒がしくて平穏な日常の音。


 (……やっぱり、夢は夢だ)


  銀髪の少女、ハルナ。

 彼女が必死にすがってきたあの感覚も、目が覚めてしまえば、輪郭のぼやけた古い記憶の断片のように思えた。

 僕は自分の頬を軽く叩き、皿洗いを済ませ外に出る準備をした。

 夢の少女よりも、現実、今目の前にいるミカちゃんという少女の為に尽くそう。


 部屋に戻って着替えを済ませ、鏡の前で軽く髪を整える。

鏡の中の自分は相変わらずパッとしない浪人生のままだが、昨日までのような「何かに追われているような焦燥感」は少しだけ薄れていた。


 (今は、ミカちゃんを楽しませることだけ考えよう)


「お兄ちゃん、遅い! 準備できましたか?」


 今日のミカちゃんはお気に入りの白いワンピースと麦わら帽子を被っていた。


「ああ。行こうか」


 玄関を開けると、四月五日の眩しい朝日が僕たちを包み込んだ。

潮風の匂い、遠くで聞こえる波の音、近所の犬が吠える声。

 夢の中の「ハルナ」が羨んでいた、何気ない、けれど確かな現実の音。


「今日は自転車で行くのはどうですか?私は荷台に乗るので!」


「おっけー、落ちないようにだけは気をつけてね」


 僕が運転し、ミカちゃんの案内を聞きながら海辺に向かう。

 ※ 2026年4月からは青切符制度の対象となり、小学生以上を乗せるなど違反時には3,000円の反則金が科されるので真似はしないでください!


「しっかり捕まってろよ」


 「はーい!」


 自転車の荷台にミカちゃんを乗せ、僕たちは島の坂道を風を切って下っていく。


 二十分ほど自転車漕いだだろうか。


 「わあ、海が見えてきましたよ! お兄ちゃん、スピード上げてください!」


 「無茶言うなよ、危ないだろ」


  言い合いながらも、僕は少しだけペダルを強く踏み込んだ。

 四月五日。島は春の陽光に満ちていて、通り過ぎる近所の商店からは焼き魚の香りが漂い、軒先では洗濯物が気持ちよさそうに揺れている。


「ここです!」


 着いたところは高低差のあるところで下を見ると白い砂浜とその先は海が広がっていた。


「この階段で下に行きましょう!」


「階段、気をつけてな」


  自転車を路肩に止め、僕たちは長い石階段を下り始めた。

 一段下りるごとに、波の音が少しずつ大きくなっていく。ミカちゃんは一段飛ばしでトントンと軽やかに下り、白いワンピースの裾が春の光に透けていた。


 (……やっぱり、来てよかったな)


  昨日の夢のどんよりした重さとは対照的に、ここは命の音に溢れている。

 ようやく砂浜に辿り着くと、ミカちゃんはすぐに靴を脱ぎ捨て、裸足で砂の感触を楽しみ始めた。


 「お兄ちゃんも脱いでくださいよ! 気持ちいいですよ!」


  誘われるまま、僕もスニーカーを脱いで砂の上に足を下ろした。

 ひんやりとした砂の温度。時折寄せては返す波が足首を叩き、その「冷たさ」が僕に現実を教えてくれる。


「冷た…おお、やっぱ綺麗だな水が」


 周囲に広がる海は青く澄み渡っていた、しかしまだ昼前なので気温が少し低く冷たかった。


「えい!」


 そんな冷たいなかミカちゃんがいきなり僕に水をかけてきた。


「冷て!やったな!」


 僕は彼女が風邪をひかないように、手を濡らしそれはぱっぱっとし少ない海水をかけ返した。


「あはは! 冷たーい!」


 ミカちゃんは身をよじって僕のささやかな反撃をかわし、キラキラとした飛沫の中をさらに波打ち際へと駆けていった。

白いワンピースが海水で少し濡れ、彼女の肌に張り付いている。

太陽の光を反射して、水面が宝石をぶちまけたように眩しい。


「それにしてもここはどれくらい広いんだ――」


 僕はこの砂浜の周囲を見渡した、そしてその中に一人誰かがいた。


「うん?あれは……レイナ?」


 砂浜の少し先、岩場の影に腰を下ろして海を眺めている女性がいた。

昨日の砂浜でも見かけたレイナだ。彼女は波の音に耳を澄ませるように、じっと動かずに水平線を見つめていた。


「レイナ?どうしてまたこんなところに」


「へっ!?な、なんでまたアオイがいるのよ!もしかしてストーカー!?」


「なっ、人聞きの悪いこと言うなよ! たまたまだって。ミカちゃんがここの海に来たいって言うからさ」


 僕は心外だと言わんばかりに両手を広げた。すると、レイナさんは「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いたけれど、その耳元が少しだけ赤くなっているのを僕は見逃さなかった。


 「レイナさーん! こんにちは!」


 ミカちゃんが波打ち際からパシャパシャと音を立てて駆け寄ってくる。レイナはミカちゃんの眩しい笑顔を見ると、毒気を抜かれたようにふっと表情を緩めた。


「……こんにちは、ミカちゃん。相変わらず元気ね」


 「なんかあったの?」


 僕はレイナに問いかけた。


「別に、何もないわよ。ただ……」


 レイナは言葉を濁し、再び水平線へと視線を戻した。その横顔は、春の陽光の下にあるはずなのに、どこか冬の終わりのような冷たさを孕んでいる。


「ねぇアオイ、今海はどんな音をしているの」


「音って…波のうつ音だよ」


「……そう、やっぱりちゃんと聞こえるのね…」


 レイナは小さく、自分に言い聞かせるように呟いた。その声は波の音に混じって、消え入りそうなほど微かだった。


 「どういうことだよ、レイナ。あんたには、違う音が聞こえてるのか?」


 僕が問い詰めると、彼女はゆっくりと立ち上がり、砂を払った。その仕草はどこかぎこちなく、視線は決して僕の目と合おうとはしなかった。


 「……音が聞こえないのよ。一昨日から、波が砂を洗う音も、風が私の髪を揺らす音も、何も。ただ、鼓膜の奥で砂嵐が吹いているみたいな、ザラザラした雑音だけが響いてるの」


 「えっ……でも、僕たちの声は聞こえてるんだろ?」


 「皮肉なことにね。人の声だけは、不気味なほど鮮明に聞こえるわ。でも、世界そのものが奏でている音が、昨日から少しずつ削り取られていくみたいな感覚なのよ」


 レイナは、自分の耳を塞ぐように両手を当てた。

 ふと僕は昨日読んだ本に書かれていた言い伝えを思い出した。


 【何かへの大きな恐怖心、執着、憎悪を抱えると人間として大切な何かを喪失するという。

 喪失するものは様々であり些細なことから概念までもねじ曲げるようなものだってある。

 ある人は身体の何かの感覚を奪われ、あるいは名前も奪われ、最悪なものだと存在自体も…】


「こんなこと言ってるワタシ、変でしょ、信じられないでしょ、だからワタシのことはもうほっとい――――」


「信じるよ」


 咄嗟にそう口にした、自分だって似たような経験をしたからだ。


「……えっ?」


 レイナの言葉を遮るように僕が言うと、彼女は驚いたように目を見開いた。


 「信じる。……というか、僕も昨日、似たような感覚になったんだ」


 僕は、夢の中で出会った銀髪の少女、ハルナのこと。そして、そこで感じた「音の粒が透き通るような静寂」について話しそうになったが、咄嗟に言葉を飲み込んだ。


 まだ自分でも整理がついていない夢の話をして、彼女をさらに混乱させるわけにはいかない。


 「昨日この島の言い伝えが書いてある本をミカちゃんが読んでくれたんだ……大切な何かを喪失するっていう話。それが、レイナの身に起きているんじゃないかって……」


 「……アオイ。あんた、本気で言ってるの?」


 レイナの声が微かに震える。

彼女の強気な仮面が剥がれ落ち、そこには得体の知れない現象に怯える、一人の少女の素顔があった。


「正直信じ難い。でも、一人で抱え込まないでほしい」


 僕がそう言うと、レイナはふっと視線を落とし、力なく笑った。


 「……お人好しね。浪人生のくせに、そんなオカルトに首を突っ込んでどうするのよ」


 「浪人生だからこそだよ。現実逃避にはもってこいだろ?」


 僕が冗談めかして言うと、レイナは「ふふっ」と、今日初めて本当の意味で笑った気がした。


 「レイナさーん! お兄ちゃーん!来てください!こんな所に綺麗な貝殻があります!」


 波打ち際からミカちゃんの元気な声が響く。

その瞬間、レイナの表情が、また少しだけ曇った。


 「……あの子の声だけは、失いたくないわね」


 彼女は小さく呟くと、立ち上がってスカートの砂を払った。


 「わかったわ。あんたの言葉、少しだけ信じてあげる。……でも、もし本当にワタシから世界の音が全部消えたら、その時は――」


 「その時は、僕が代わりに音を伝えるよ。……どんな方法を使ってでもね」


 僕の言葉に、レイナは少しだけ頬を赤くして、そっぽを向いた。


 「……バカね。恥ずかしいこと、平気で言わないでよ」


 そう言いながらも、彼女の足取りは先ほどよりも少しだけ軽くなったように見えた。


 「この事、防衛隊のみんなには言わないで…ミカちゃんにも」


 「あぁ、分かった、二人で解決方法を見つけよう」


 「約束ね。……さあ、行きましょうか。あの子、待ちくたびれて拗ねちゃうわよ」


 レイナは努めて明るい声を作り、ミカちゃんの方へと歩き出した。僕はその背中を追いながら、ふと自分の耳に意識を集中させる。


 ザザァ……という穏やかな波の音。

この当たり前すぎる「音」が、彼女の耳にはもう届いていない。そう思うと、春の陽光に照らされた美しい砂浜が、急に薄氷の上にあるような危うさを帯びて見えた。


 「お兄ちゃん、遅い! ほら、見てください。この貝殻、すごく透き通ってて綺麗じゃないですか?」


 駆け寄った僕の手に、ミカちゃんが誇らしげに一つの小さな貝殻を乗せた。

 それはサクラガイのように薄く、太陽にかざすと向こう側が透けて見えるほどだった。


 「本当だ、綺麗だな」


 「でしょ! これ、レイナさんにあげます。お揃いの、見つけましょうね!」


  ミカちゃんが無邪気に笑いながらレイナさんに貝殻を差し出す。レイナはそれを受け取り、そっと耳に当てた。

 もちろん、波の音なんて彼女には聞こえないはずだ。

 けれど、レイナは優しく目を細め、ミカちゃんの頭を撫でた。


 「ええ……。素敵な音ね、ミカちゃん。ありがとう」

 その嘘は、あまりにも優しくて、切なかった。

僕は二人の姿を視界に入れながら、波打ち際を歩く。


 (……もし、言い伝えが本当なら。レイナは何を『喪失』しようとしているんだろう。恐怖、執着、憎悪……彼女は何を抱えているんだ?)


「お兄ちゃん?顔色悪いですよ?」


「…ん、あぁ大丈夫、それにしてもミカちゃんお腹空かない?」


「空きました!」


「じゃあ商店街でご飯食べに行こうか!」


 僕はミカちゃんと何を食べようか話をした。するとレイナが一歩僕たちに近づき聞いてきた。


「もし決まってないなら、ワタシの家の店で食べるとか…どう?商店街にあるの」


「レイナさんのお店ですか!行きたいです!」


 ミカちゃんが目を輝かせて食いついた。レイナは少し照れくさそうに、視線を海の方へ向けながら答える。

 「……ええ。小さな定食屋だけどね。看板メニューのアジフライは、島でもちょっとした評判なのよ」


 「アジフライ! お兄ちゃん、決まりです! 今日のランチはレイナさんのお店に突撃しましょう!」


 ミカちゃんの勢いに押される形で、僕たちは砂浜を後にした。長い石階段を上りきり、再び自転車にまたがる。


「じゃあワタシ原付だから、先に行ってる…待ってるね」


「おう、じゃあまた後で」


 そういいレイナは原付のエンジンを付け去った。


 次の目的は商店街だ、正直レイナの定食屋の料理が楽しみだ。




 ――――ep2に続く


 


 



 


 


 


 


 

 


 



 

 


 


 

 






 

 

 

 


第5話 ep1、最後まで読んでいただきありがとうございます!


これより喪失編の開幕です!果たしてレイナちゃんは音を取り戻す事ができるのか、そして謎の夢の少女ハルナは記憶を取り戻せるのか…

乞うご期待です!

それとちょいとep2投稿までは遅れます!

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