第89話『Running To Horizon(決死を”賭けた”地平の彼方)』 A Part
スペキュラ・カルベロッソが曇天に展開した鏡面に打ち付ける激しき雨。
そしてヴァデリ・カルベロッソが地面へ突き刺した杖を媒介にした音響さえも叩き弾ける豪雨が酷く邪魔をした。
ベランドナとファグナレンの両者を散々苦しめたカルベロッソ兄妹の異能に依る幻術の地獄。まさかの地球がこれらを否定したのだ。
「もぅ勝った気でいるなよ!」
「そうよそうよ! 私の怨響だって伝達するんだからぁ! マーダ様から貰った力はこんなもんじゃない!」
あっという間に泥塗れへ転じた兄妹、自分達の異能は未だ有効だと雨に打たれ濡れた地面を地団太踏みながら嘯く。叩きつける雨が掻き消す憐れなる仕草。
「マーダ様 ? 貴女……力を貰った?」
強がる兄妹の台詞の中に漏らした真実──生きた彫刻べランドナの美しさ極まる白い顔に堀を刻み顰めた眉を雨が滴り落ちる。
アドノス島を阿鼻叫喚の渦中に堕としたあの黒騎士に敬意を込めた子供の本音。
それは強さに媚びうる大人の建前とは明らかに異なるもの──豪雨の最中でも聞き捨てならなかった。
「そうさ……僕達だけじゃない。御父様含め此処を護る兵士達は皆マーダ様の元、改造を受けたんだ」
「そうよ! 死にかけだった処を救ってくれたんだから」
まるで自分達の手柄が如く自慢げに秘密をひけらかした子供の純朴なる罪の形。
互いの視線を重ね合わせたべランドナとファグナレン。共に目蓋の下が、怒りに歪んで震えていた。
『改造×救済』決して交わってはならぬ言葉が此処を護る者達の絶対的支柱である失望を思い知った。
ギュゥゥイン……ビュッ!
べランドナが背負っていた弓矢を引き絞り雨中に放った矢。雨音を弾いて自己を響かす音が鏑矢を彷彿させた刷新の宣戦布告だ。
ガツンッ!
「あッ……!」
大層可愛かったお人形さんの打った矢がヴァデリをさらなる絶望へ貶める。
彼女が予め地面に刺してた杖が破砕された音だ。自身を打ち抜かれた様な失望を抱いて泥々の大地に崩れ落ちた。
「これで広範囲に怨響を振り撒けない。あの杖は云わば拡声器の様な物」
ロイドがスペキュラの張り巡らした恐面の結界を砕き、さらに地平線の彼方からやって来た伏兵がべランドナの冷静さを漸く取り戻す。
散々探し求めたヴァデリ最大の弱点を遂に探し当てた。それでも顔色ひとつとして変えぬべランドナの平静。
ヴァィィィンッ!
「……ッ!」
「アァァッ!?」
ヴァデリの異能『怨響現界』を打ち破ったかに思えた束の間──次なる地獄がベランドナ達を新しい狂気へ案内した。
泥水に堕ちた絶望──抗う力など失われたかに思えたヴァデリ、水溜まりに構わうことなく柔い両手を突っ込んだ。
自身の躰を元手に雨の溜まった地面を震わせ怨響を奏でる。
油断し切った迂闊な大人二人を、またもや自分の描いた冥界へ引き擦り堕とした。
ダンッ!
兄スペキュラが地面を強かに蹴り飛び上がる濁った音。
ロイドに割られた鏡面を短いレイピアを宙で振り再び描き始めた。自分も未だ終わらない体現を示した。
「よ、止しなさい! それ以上は貴方達の躰がもたな……いィッ!」
苦しみ藻掻くべランドナ。耐え切れぬ鼓膜は破れて血を落とし、髄液に浮かんだ脳を揺さ振られ割れるほどに奥歯を噛む。
然しべランドナは苦痛の最中──未だ敵を辞さない決死ぶりを続ける子供相手に忠告を言い渡した。
例え種族は違えど未来を担うべき幼き命の繋ぎ止めを優先した。
「何云ってるのよッ! 今更後戻りなんて出来やしないィッ!」
「そうだッ! マーダ様の実験で開花したこの力! 争いの中でしか意味を持たないッ!」
全身を賭けたカルベロッソ兄妹、幼さ溢れる甲高い声。絶叫に近しい宣言を豪雨の渦中でも貫いた。
パァンッ!
ファグナレンが自分の両頬を全力の平手打ちで叩いた気合一閃。カルベロッソ兄妹の幻術から逃れるべく自らに鞭をくれた。
「べランドナ! 彼等は本気、此方が殺られるッ!」
ファグナレンの叱咤激励──スペキュラとヴァデリはこの戦場で例え命失おうとも本望だとその所作が告げていた。短剣二刀を逆手に握る殺意。
『恐面幻下』と『怨響現界』は戦のみに於いてのみ花開く。小童と侮る事なかれ──此方も本気で相手せねば敬意を損なうのだ。
「ファグナレン……判った。これで足りるとは思えないけど……」
ザパッ! サラサラ……。
ファグナレンに対する敬語を捨てたべランドナの決断。
何とあの長い金色の髪をレイピアを扱い肩の辺りでバッサリ切り落としたのだ。
雨に晒した髪にも関わらず谷間抜ける風に揺られサラリッと流れた。
或る意味べランドナらしくない外連味じみた行為。
これから断ち切る若き生命の代償──『足りない』とは、カルベロッソ兄妹に対する供物の意味だ。
「……ッ!」
「ええッ!?」
驚き慄く周囲の反応を他所に、颯爽と戦いへ挑み始めたべランドナの品格。
音と絵が織り成す幻術に顔を顰めながらも、次の矢をつがえ解き放つ凛々しき面持ち。スペキュラが張り直した鏡を砕き散らした。
キンッキンッ!
「ぐっ!?」
「……」
べランドナの飛ばした矢が響かせた真実の残響。
その刹那な刻の流れを逃さずファグナレンがスペキュラに飛び込み、少年の握るレイピアを弾き飛ばした。
軽量過ぎたスペキュラ悲劇の様子──ファグナレンに打ち込まれた短剣が残した痺れに耐え切れず、か細きレイピアの柄を離してしまった。
情けも容赦とて捨てたファグナレンの真顔がスペキュラ相手の仕上げに掛かる。
「──ッ!?」
武器を落とし抗いを喪失した筈であるただの少年へ落ちた相手に一瞬遅れを取ったファグナレン。
スペキュラの背後、本物のべランドナが鏡面に映り込んだ虚面に一驚した不覚。
スペキュラは、落とした愛刀を拾い上げ、まんまと逃げ打つ──かに思えた直後、よもやな鏡面蹴り。
雨に濡れ、ぼやけた鏡を蹴るまさかの反転。加えて跳ねた泥を『背丈が低い』と小馬鹿にし続けたファグナレン向けて目潰しを狙う見事な駆け引き。
あの軽妙なファグナレンが完全に虚を突かれた形。歯軋りしながら後方へ跳ねる以外の選択肢がなかった。
「あんなに綺麗な髪を切っちゃうだなんて絶対ずぇぇたい赦さないんだからッ!」
べランドナに折られた杖を拾い投げ込むヴァデリ、女の子の感情を決して捨てない怒り。
兄スペキュラが張り残した鏡を盾に使いながら、ぬかるんだ地面を蹴り飛ばしてお人形を翻弄し始めた。
カルベロッソ兄妹、何れも自慢の異能を実質奪われ、何も成せぬかと思いきや全身のバネを存分活かした小動物が如き攻撃手段に転じた。
されどこの兄妹へ着実に忍び寄る負担の影色──総て投げ打つ最後の抵抗。待ち受けるは、身体機能が着いて行けない哀しき色褪せなのだ。




