亀の話 part1
1
ウサギはかけっこに参加しないまま冬を過ごした。しかし、一日に一度はランニングしていた。走らないと太ってしまうことが、大きな問題だった。また、何かしらの形で続けることに損はない、という大鷲の意見にも納得していた。しかし大鷲の話には何か矛盾があるような気がした。考えてみたが、それがなんであるかわからなかった。
例のトンネルは塞がったままだった。今年は雪が良く降った。何度か雪がどけられて通れるようになっていたが、すぐに新しい雪でふさがった。そのうち雪かきされることもなくなった。ウサギはその間トンネルとは反対方向のエリアで走ることを余儀なくされた。そうなるとかけっこのコースの近くを通るしかない。何度かイタチと顔を合わせることになり、それが嫌だった。だから昨日、トンネルが開通したと大鷲から聞いたとき嬉しかった。近頃は降雪量が減り、寒さもやわらぎ始めていた。
大鷲はウサギにかけっこのニュースを教えるようになった。イタチが最近やけに張り切ってトレーニングしているとか、自信をつけているだとか、かけっこで成績をのばしているとか。大鷲によれば亀でさえも速くなってきているらしかった。ただし、 かけっこに出るよう勧めることはなかった。
2
ウサギは久しぶりにトンネルの向こう側へ言ってみることにした。トンネルを通って三叉路で右を行き、長くて緩い坂道を上って川に着く道のりを走った。トンネルが塞がる前まではこのコースをよく使ってた。川で一休みしてから走って家に帰ったり、ぶらぶらと寄り道をしたり、時には川で遊んだりしていた。
ウサギは川辺に着いた。雪解けで水かさを増した川は普段より勢いよく流れ、きらきらと透き通った中に所々白いしぶきを上げていた。ウサギは川の土手に腰かけて、しばらくぼーっと眺めた。ふと水に触りたくなって身を乗り出した。なかなか手が届かない。ウサギは何度か川に落ちそうになった。土手のぬかるんだ急斜面は踏ん張りが利かなかった。そこでウサギは、近くのツルに捕まって斜面を降りる手を思いついた。ウサギはツルを右手に掴み、体をいっぱいにのばしながら慎重に水面に近付いて行く。あと少し、あと少しとウサギはにじり寄って、ついに水に手を触れることに成功した。水はとても冷たく手は凍りそうだったが、ウサギはうれしくなった。満足したウサギが土手を上がろうとツルを引っ張った次の瞬間、ツルがブチッと音を立てて切れた。ウサギは川に落ちてしまった。すぐに土手に上がろうとしたが、思いのほか川の流れが強く、なかなか川から脱出することが出来なかった。少し下流まで流され、やっとのことで川岸にたどり着き、水から上がった。ウサギは寒さに震えた。体をブルブルッと震わせていくらかの水滴を落としたが、ウサギの毛は当分乾きそうにない。ここから家までの道のりを考えると、ウサギは絶望的な気持ちになった。
とそこへ声がした。
「ウサギさん、何をやっているんですか。」
亀だった。
「川に落ちてしまって。」
「大丈夫ですかそんなに濡れて、どうぞうちで暖まって行きませんか。」
「いいんですか。」
「ええ。」
「助かります。」
「じゃあ行きましょうか」
亀は歩き出した。ウサギはついて行った。
3
亀の家は洞穴だった。玄関にはドアがついていたが異様に狭い。通るときにはウサギはともかく亀さえもかがんだ。また家の中は少し広がっているものの、こじんまりしている。時々ウサギの耳が低い天井を擦った。とても金持ちの家には思えなかった。亀は部屋に入ってまず豆電球を付けた。窓がないせいで昼でも暗い。通気口のようなものがいくつか掘ってあったが、やはり空気は淀んでいた。部屋はひとつきりしかなく、小さな机、タンス、冷蔵庫がひとつずつ、椅子は二脚あった。
亀はタンスからタオルを取り出し、
「狭くてすいません、これで体を拭いてください」
と言ってウサギにそれを手渡した。ウサギが
「ありがとうございます」
と言って体を拭き始めると、亀は暖炉で火を焚き始めた。すぐに火は大きくなって部屋全体を温めた。ウサギのために牛乳を温めてくれた。数分後にはウサギの体はすっかり暖まった。少ししか話していないのに、ウサギは亀に対して親しさを覚えた。
「本当にありがとうございます。もうすっかり暖まりました」
「それは良かった。」
亀の描いた図書館の絵のことを、ウサギは思い出した。
「ところで亀さんは画家さんなんですね。図書館の絵を見た時はびっくりしました。あれはすばらしかったです。大鷲さんも好きだと言っていました。」
「ええそうです。そう言って頂けると嬉しいです。といってももうほとんど辞めてしまったんですけどね。」
ウサギは辺りを見回した。確かに絵を描く道具は見当たらない。あの一つきりの小さなタンスにしまってあるのかもしれない。
「あんな絵が描けるのに、どうして。」
「それはあなたも、、、」
「そうですね、すみません。」
ウサギが気まずそうに謝ると、亀は静かに笑った。
「いや冗談です。少し話が長くなっても構いませんか?」




