大鷲の話
1
その日は朝からしんしんと雪が降り続いていた。もうすっかり冬だった。真っ白な雪はウサギの家の前のモミの木の枝にも積もっていた。たまに強い風が吹いて木が揺れる、するといくらかの雪が枝から滑り落ちた。ウサギは家にいた。窓から外の様子ぼーっと眺めながら、テーブルの上のニンジンを手に取ってはかじっていた。
ニンジンはウサギの好物だった。特に亀とのかけっこの最中に寄り道したニンジン畑、あそこのは格別だ。さいしょはちょっとかじるだけのつもりだったのに、気がついたら無心に食いあさっていた。今食べているニンジンも、その畑から買い付けた物だ。
雪は昼頃にやんだ。しだいに空の方も晴れ間が見え始め、小一時間も経つとあたりは日光で溢れかえっていた。ウサギは外に出て運動をしようと思った。近頃、鏡の中の自分がぽっちゃりしてきたことに危機感を覚えていた。ウサギは外に出て雪を踏みしめた。振り返ると家の屋根にたくさんの雪が積もっているのが見えた。ひとまず屋根の雪を落とした。雪かきもしなければならなかったが、横着して家を後にした。
通りにでたウサギは、とりあえずいつものコースでランニングをすることにした。いつもより少し遅いペースで走り出した。走るのは久しぶりだったからなんだか妙な感じがした。冷たい空気はほてる体に気持ちよく、長いこと眠っていたウサギの体は久々の覚醒を喜んでいるように思われた。これだけさぼっていても意外と大丈夫じゃないか、とウサギはペースをあげた。
2
残念なことに、ペースを上げてからものの数分でウサギはばて始めていた。息は粗く、歩幅はばらついた。走れば走るほどうつむきがちになっていった。とにかくつらかった。三十歩進むたびにもうやめてしまおうかという考えがよぎった。体がなまるのはウサギにとって初めての経験だった。鷹に誘われてから亀に負けるまで、ウサギは走るのをさぼったことはなかった。
ふと道がわからなくなって顔を上げると、雪のせいで道が塞がってしまっていた。ウサギはトンネルを通ろうとしたのだが、トンネルの上の斜面から落ちてきた大量の雪が入口を塞いでいた。ウサギは立ち尽くした。どこへ行けばいいだろうか。まだいつもの半分しか進んでいなかった。後ろを振り返った。雪ばかりで、ウサギの家のある森と向かいの森、走ってきた道、その分かれ道をのぞいては一面雪に覆われ、その向こうには雪をかぶった山々が見えた。来た道を戻って分かれ道をたどればトンネルの向こう側へでることは出来た。しかし道は細く曲がりくねっており、走るのに向いていなかった。
ウサギはどこへ行こうか、それとも帰ってしまおうか悩んだ。あげくこんなことを悩む自分を滑稽に思い、疲れを感じた。一休みしようと、あたりに生えている木の中で比較的に表面が滑らかなやつを探した。そして気に入った木を見つけると、そのそばにぺたりと座り込んでもたれかかった。空を眺めつつもの思いにふけるのだった。
しばらくして、ウサギは大鷲が飛んで行くのを見かけた。図書館のある方向だった。ウサギは図書館に入ったことはなかったので、試しに行ってみることにした。最初は走ってついて行こうとしたが大鷲に追いつける訳はなく、結局歩いて行った。
3
図書館はウサギが想像していたものよりもずっと大きかった。ウサギが以前暮らしていた地域に図書館はなかった。本があるところといえば近所のアライグマのおじさんの家だった。大きなタンスいっぱいに本がしまってあったが、タンスはひとつきりだった。それでも本の多さに驚いたものだ。いったいここにはどれくらいの本があるのだろうと、彼は目の前の図書館の大きさに圧倒された。しばらく外観を観察したあと、ウサギは大きな木の扉を押して中に入って行った。
図書館の中はとても暖かかった。入ってすぐ左手のカウンターにはリスが座って何か書き物をしていた。やけに静かだ。大鷲はいるのだろうか。ウサギは奥の本棚のある方に向かって歩いていった。自身のコツ、コツという足音がやけに大きく聞こえた。右手にはデーブルで勉強や読書をする者達がいた。そばを通るときに何人かがウサギの方を見た。見られるのはあまり嬉しくなかった。通り過ぎると、彼らは何かに満足して各々の作業に戻った。一番奥の本棚と壁の間にはちょっとしたスペースがあった。壁には大きな二つの絵が飾ってあった。大鷲を発見した。椅子に座ってそれらを眺めていた。
ウサギはなんだかほっとした。
「大鷲さん」
大鷲はビクッと振り向いた。早歩きでウサギに近寄って
「静かにせえ」
といった。ウサギは困惑した。
「どうしてですか。」
「そりゃあここが図書館だからさ。みんな静かにしてるだろ?」
ウサギは小声で話すことにした。もっと説明が欲しかったが、訊くのは面倒なのでやめた。
「すみませんでした。何をしていたんですか。」
「絵を見ていたんだ。お前もどうだ。」
「はあ。」
大鷲は元の椅子に戻っていった。ウサギも隣の椅子に座った。近くで見るとますます大きな絵だった。
「迫力のある絵ですね」
「そうだろう」
大鷲はちょっと嬉しそうだった。彼はまたこんな質問をした。
「お前はどっちの絵が好きなんだ?」
一方は花瓶に挿したヒマワリの絵だ。葉っぱや花びらのとがった先が、いろんな方向へ元気よく伸びている。黄色やオレンジ色、緑色がよく映えている。絵の下にはプレートがあった。”第53回北の森コンクール金賞”と書いてある。もう一方は夜の田舎道の絵だった。くねくねした杉の木が道のそばに立っており、月が怪しげに光っていた。紺や青、深緑など全体的に暗めの色遣いだった。プレートには”第52回北の森コンクール銀賞”とあった。
絵の良し悪しはよくわからない。どういうのがいい絵なんだろう。夜道の絵は少し陰鬱に感じる。うちには飾りたくないな。そもそもこんな大きな絵、飾る場所もないけど。
「僕はこっちが好きです」
といってヒマワリの絵を指さした。
「誰か有名な方の絵なんですか」
ときくと、大鷲は
「そうさ。亀さん、お前も知ってるだろ?あの人の絵だ。」
といって絵の下のプレートを指差した。
「え、あの亀が!?」
ウサギはもう一度プレートを見た。
亀はプロの画家だそうだ。若くして有名になった天才らしい。金賞と銀賞を取ったのは、どうやら権威のあるコンクールのようだ。亀の書いた絵は高額で取引されるそうだ。ただ最近は、新しい絵が出品されないらしい。きっと一生分稼ぎ切ったのだろう。
大鷲は亀の絵をとても気に入っていた。どちらの絵も素晴らしく甲乙付けがたい、とのこと。亀の絵は高額で手が出ないので、仕方なくこの二枚の絵を見るだけで満足することにしているらしい。
大鷲を見つけてから大鷲が話を終えるまで、ゆうに30分は経過していた。大鷲は興味のあることとなるととたんに饒舌になる。賭け事の話とか。しかしウサギは大鷲が芸術に興味を持っているなんて知らなかった。およそ大鷲には似合わない趣味だと思った。
「やめてしまうなんてもったいない話ですね。」
「おれもそう思う。だけどそれはお前だって同じだろう。」
ウサギは黙った。少し間をおいて、
「ちょっと外の空気を吸いに行きませんか」
といい、カウンターの方を目くばせした。リスにうるさいと注意される気がした。リスはカウンターを出て、こちらに歩いてきていた。大鷲がうなずいた。本棚をはさんでカウンターとは反対側にある通路を通って、二人はそそくさと図書館を後にした。
4
外はまだ真っ昼間という感じで、空は清々しいほどに晴れ渡っていた。ウサギは図書館の中がいいかげん暑いと思い始めていたので、冷たい空気と心地よい微風を喜んだ。二人はしばらく無言で歩いていたが、とうとう大鷲が切り出した。
「それにしても、どうしてかけっこをしなくなったんだ」
ウサギはやはり少しの間沈黙して、
「かけっこが面白くなくなってしまったんです」
と答えた。
「そうか、残念だなあ。なにもやめちまうことはないと思うけどなあ。もったいない。」
「そうですか。」
「なあ、ひとつ昔話をしてもいいか。」
大鷲がしつこいことにウサギは苛立ったが、
「いいですよ」
と言ってしまった。すると大鷲はウサギから視線をそらして固まり、数秒経ってからウサギに向きなおった。どうやら考えがまとまったようで、大鷲は話し始めた。
「俺にも昔はなりたいものがあった。夢を叶えるために必死で努力したことがあったんだ。きっかけは多分憧れだったと思うんだが、最初は練習したり、いろいろ試してみたりするのが楽しかったよ。自分の人生はこれのためにあるんだって思うくらいだ。けど人には向き不向きがあって、俺は後者だったから、他のやつが自分よりずっとうまくやるのを見ては『俺は才能がないんだ』って思ってたんだよ。そしたらだんだん続けるのがつらくなってきてさ、ある時、ふと一生かかってもこの夢は叶わないんじゃないかって考えたんだ。急に耐えきれなくなってな、俺は努力するのをぱったりやめちまったんだ。そしたらそれまでのことが嘘みたいに気持ちが楽になったよ。自分が思っていたより執着がなかったんだな。
でもやめることはなかったなって、時たま思うんだ。当時の俺の見立ては正しかったと思う。でも何かしらの形で続けることはできたし、それ自体は損するところがないからな。なにより、続けることがつらかったのと同時に好きでもあったんだ。だからさ、お前もやめることはないって思ったんだよ。まあでも、俺とお前じゃ話が違うな。お前のかけっこの才能は間違いないし、実績も申し分ない。」
ウサギは何も答えず、賛成も反対もしなかった。大鷲はいっこうに構わないようで、
「そうだなあ、今度かけっこで一等賞を取ったらお前を乗せて飛んでやるからさ、元気出せよ。それじゃ」
と言って帰り支度を始めた。ウサギは今更だと思ったので、ありがとうと言う代わりにひとつ質問をした。
「いったい大鷲さんのなりたいものって何だったんですか」
すると大鷲は、
「絵描きさ。絵を描くのが好きで、絵描きとして生きていくのが夢だったんだ。」
と言って飛び去って行った。




