7.吐いてスッキリ、目覚めてビックリ
「――気がついたか?」
あれ?
「――ンッ!」
眩しい。
そして。喉が、――辛い。
「起きられるのなら、少し水を飲んだ方がいい」
差し出されたコップ。中には、冷たそうなお水。
差し出してるのは、――お義兄さま?
「ありが……ゴホッ」
どうしてコイツが?
どうしてわたし、寝ていたの?
頭が少しクラクラする。
わけがわかんなくて、訊きたいことだらけ。
けど、お水欲しさに、問いただすより先に、ゆっくりと体を起こす。
「礼はいいから。ゆっくりでいいから。飲めるだけ飲んで」
言われるままに、コクリコクリと区切りをつけて、水を飲み干す。
おかげで、辛くて痛かった喉が、幾分か楽になった。
お水の冷たさが、お腹に、そして体に染みわたっていく。
「気分は? 体調におかしなところはないか?」
「ない……わ」
水を飲むために、身を起こせたし。気分悪いとか、そういうのは、とりあえず消えている。
「それならよかった」
彼が、ホッと体から力を抜く。
「あの。その……」
彼は、倒れたわたしに付き添ってくれていたのだろう。
あのバルコニーで、ものすごく。ものすごく気持ち悪くなってからの記憶がない。
けど。
(名前、呼ばれてた)
ノエル、ノエルって。
懸命に。必死に。
あれからどれだけ時間が過ぎたのかわかんないけど。
こうしてそばにいるってことは、ずっと看病してくれてたってこと?
だから。
「ありがとう、お義兄さま」
素直に――は難しいけれど。でも、キチンと礼を述べる。
まだ、顔を見ては難しいから、両手で包むように持った空のコップを見下ろしながら、だけど。
「体調がよくなったのならよかった」
俯くわたしと違って、義兄は、朗らかに笑ってわたしを見てくる。
(迷惑、かけたな)
冷たいお水を飲んだおかげで、体にも心にも余裕が出てくる。
見えた景色は、見慣れたわたしの寝室。横になっていたのは、体に馴染んだわたしの寝台。
ここは我が家。
暗い部屋をわずかに照らす、枕元の灯り。
わたしが引き取られてからの八年。ボンヤリ照らし出されているのは、ずっと使い続けている、わたしの部屋だ。
わたしが倒れたのは、あの舞踏会の会場。
だとすれば、わたしが倒れてから。意識のないわたしをここに運んでくれたのは、この義兄ということになる。
(重かった……かな?)
馬車に乗せるのも。寝台に寝かせるのも。
いつの間にかドレスは脱がされて夜着になってるから、そのへんはさすがにサウラがやってくれたのかもしれないけど。――って!
「お義兄さま、服!」
コップを放り出して、彼のシャツにしがみつく。
服が! あの夜会服が!
「ああ。着替えた」
「着替えたって……」
それって、もしかしてもしかすると、わたしが……。
さっきまで、喉がひりつくように痛かったのって。おそらくだけど、吐いちゃったから……だよね?
わたしが夜着に着替えているのも、ドレスが汚れちゃったからで。
そして、吐いたわたしを介抱してたから、それで服が……。
「気にしなくていい」
真っ新な白いシャツ姿の彼が、焦るわたしの頭を、ポンポンッと優しく叩くように撫でる。
「君が倒れたのは。僕の気が利かなかったせいだ」
「え?」
「初めての舞踏会で疲れているだろうに。そのことに気づかなかった。僕の配慮不足だよ」
「そんな……」
そりゃあ、確かに放置されてたけどね?
でも、そうされなきゃ、未来の夫は見つけられないわけで。
全面的にコイツだけが悪いってわけじゃあ。
「とりあえず。体調が戻ったのはよかったけど、今日はこのまま休んで」
「――はい」
「ゆっくり休むんだよ」
「――はい」
なんだろう。
今日はなぜか、とても従順に、仲のいい妹のように言うことを素直にきいてしまう。
静かに、歩く足音もさせずに、部屋から出ていく義兄。
「おやすみ、ノエル」
その言葉に従うように。
わたしは寝台のなか、楽になった体ごと眠りに引き込まれていった。
*
翌朝。
体調が戻ったのを確認して、お父さまのもとへ顔を見せに行く。
お父さまだって、わたしが倒れたことは聴き及んでいるだろうし。心配なさっておいでだろうから、顔を見せて安心させておこう。
それに……。
アイツもいるかもしれないから。
まずは、お父さまにお会いして、それから気合いを入れてアイツにお礼を言いに行こう。
素直にお礼を言うのは、勇気がいる。
体が辛い時ならまだしも。こうしてスッキリしてしまった後は特に。
そんな目論見を含んで父の部屋を訪れたのだけど。
「セシュレイなら、王宮に戻ったよ。なんでも仕事が押してるらしくてね」
寝台の上。
たくさんのクッションを背に座るお父さま。
わたしが元気になったのはうれしいみたいだけど、息子がいなくなってしまったのは寂しい。
喜んでいいのか、寂しがったらいいのか。
どっちともつかない表情をなさった。
「ノエルも寂しい?」
「――え?」
「セシュレイがいなくなって」
お父さまが、俯きかけたわたしを見つめる。
兄がいなくて寂しい? 兄と離れて悲しい?
「いえ。そういうわけじゃありません」
キッパリ。
そこは断言。
「おや。そうなのかい?」
「はい。寂しいとかじゃなくて、キチンとお礼を言えなかった。それが悔しいのです」
そうよ。それだけよ。
妙に胸がざわつくけれど、それは、そういう理由だから。
お礼、言いそびれちゃった。
昨夜は、まだ本調子じゃなかったし。お礼を言えなくても仕方ない部分もあるけど、今は別!
ちゃんと顔を見て、「ありがとう」って伝えたかった。「もう大丈夫です」って、今の姿を見せておきたかった。
けれど、それができなかった。
だから、胸がざわつく。そういうことにしておく。
(でも、どうしよう……)
王宮に戻ってしまったとなったら。アイツ、いつこっちに来るかわからないよね?
(手紙でも書く?)
その節はありがとうございました?
今は元気になりました?
(うーん、違うな)
手紙は書いてもいいのだけれど、それだけで済ませることに納得がいかない。
言葉だけじゃなくて……。そうね、何か贈り物をして、「ありがとう」の気持ちを伝えたほうがいいわよね。
朝、キチンと言えなかった分。その分も加えて……。
「ノエル? どうしたんだい?」
(でも、何を贈ったらいいのかしら)
考え始めて、初っ端でつまづく。
わたし、贈り物なんて、やったことも考えたこともない。
(お父さまは、わたしが何を差し上げても、「宝物!」「国宝級!」とか言って飾っちゃう人だけど……)
お父さまの寝室。
わたしの書いた手紙。絵。わたしの刺した刺繍。
その周りの壁には、これでもかってぐらい、さまざまなものが額装され、飾られている。
上手い、下手、関係なし。
「ノエルが~」なものなら、なんでも宝物として飾られる。
(参考にならないわね)
ってことで除外。
わたしが吐いて、アイツの服をダメにしちゃったのなら、新しい服を仕立ててお詫びにしたらいい? アイツの服なら、この家の専属の仕立屋なら大きさとかアイツの好みとか知ってるだろうから、コッソリあつらえることだってできるはず。
それを、コッソリ用意しておいて、王宮にいるだろうアイツに届ける?
(ダメだわ)
汚しました、ごめんなさい。で、新しい夜会服をあつらえても、それじゃあ、ただの弁償にしかならない。
「おーい、ノエルぅ」
「え? なに?」
わたし、考え事で忙しいんですけど。
「いや、急に黙りこくって、どうしたのかなって」
あ。
今はお父さまのお見舞いの途中だった。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事を」
「考え事?」
「ええ。ちょっと贈り物をどうしようかなって……」
「贈り物っ!?」
「きゃあ!」
ガバッと身を乗り出してきたお父さま。そのまま、寝台から降りるんじゃないかってぐらい、鬼気迫る、ものすごい勢い。
「そっ、そそっ、それはっ、舞踏会で誰か良いおとっ、男にっ……!」
「お父さま、落ち着いてください。そういうのじゃないんです」
フンフンと鼻息を荒らす父を、とりあえず宥め、落ち着かせる。
「贈り物の相手はお義兄さまですよ」
「セシュレイ?」
「ええ。昨夜はお義兄さまに迷惑をかけたでしょう? だから、そのお礼を兼ねて、なにか贈り物をしたい。そう思っただけですよ」
舞踏会で良い人に出会えたわけじゃないです。
「なんだ、そういうことか……」
安心なさったのか、お父さまが寝台に身を沈める。
「アイツも。セシュレイも、ノエルの用意したものなら、なんだって喜ぶよ」
父が言う。
「わたし製」のものを、これでもかって蒐集する、ノエルコレクターの父が。
激甘父の意見。
(あてにならないな)
そう思った。




