↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
咲希という名の花を育てる物語 ~支配を脱ぎ捨て、私の人生を咲かせるまで~  作者: 灯野 しおん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/39

第23話 琥珀色のテーブルで、未来を計算する

週末の午後。私はお気に入りの小さなカフェの、一番奥にある特等席に座っていた。

窓から差し込む柔らかな光が、丁寧に淹れられたコーヒーの表面で琥珀色に揺れている。ここには、母の澱んだ視線も、佐藤さんの冷たい嫌味も、仕事の容赦ない締め切りも存在しない。あるのは、私の未来をこの手で形作るための、静寂と自由な時間だけだ。


私はバッグから、この間新調したばかりの「桜色のノート」を取り出した。

表紙をそっと撫でる。これまでの苦悩を刻んできた黒いノートとは違い、この桜色の表紙は、これから始まる私の新しい人生の証だ。


新しいペンを手に取り、ページを開く。そこに『予算計画』という見出しを書き記したとき、胸の奥で小さな鐘が鳴るような高揚感があった。これは、私をあの「毒の檻」から連れ出すための、真実の地図だ。


私はノートに、一つずつ数字を書き出していく。


・現在の貯金額:(先月から始めた、秘密の口座の数字)


・家賃の予算:(手取りの3分の1以下を目標に。水瀬先輩が教えてくれた、身の丈に合った自由の対価)


・初期費用:(敷金・礼金、仲介手数料、引っ越し代……。積み上げられた数字は想像以上に大きく、一瞬だけ呼吸が止まる)


・月々の固定費:(食費、光熱費、通信費……)


数字を並べるたび、現実の厳しさが容赦なく浮かび上がってくる。

これまで母に管理されていたとき、お金はただ「消えていくもの」でしかなかった。けれど、こうして自分で書き出し、計算してみると、その景色は一変する。お金とは、誰かに与えられる「配給」ではなく、私の自由を加速させるための「燃料」なのだと、初めて腑に落ちた。


私は、一口コーヒーをすすった。少し苦い。けれど、今の私には、その苦みさえも、大人になるための香ばしいエッセンスのように感じられる。


ふと、ノートの余白に、あの時切り抜いた「理想の部屋」の写真を並べる。

家賃をあと五千円抑えれば、その分、あの温かみのあるオレンジ色の照明を買えるかもしれない。どの無駄な出費を削れば、あのキッチンで淹れる朝のコーヒーを実現できるだろう。

計算を繰り返すたびに、夢が現実という名の手触りを持ち始める。


「……できるかもしれない」


唇から零れたその言葉は、祈りではなく、確かな決意だった。完璧な計画なんてなくてもいい。まず、こうして「自分で自分の人生を把握している」という事実が、私を何倍も強くしてくれる。


桜色のページの最後に、私は力を込めてこう付け加えた。


『母の同意なんていらない。これは私の人生の出費だ。私の給料で、私の部屋を借りる。誰にも文句は言わせない。私は、私の人生を所有する』


鉛筆を置くと、指先に心地よい疲労感が残っていた。

今までは、霧の中を彷徨い、誰かの影を歩いているような気分だった。けれど今は違う。私の手元には、自分の足で歩くための「設計図」がある。それだけで、足取りは驚くほど軽くなるのだ。


私はノートを丁寧に閉じ、バッグの奥深く、最も大切な場所にしまった。

帰ればまた、母の待つ「監視の家」がある。けれど、今の私には、この桜色のノートという「未来の種」がある。どんなに母が私を縛ろうとしても、ノートの中の私は、もうとっくに自由な空の下で呼吸をしている。


席を立ち、会計を済ませる。

カフェの扉を開けると、街の風が私の頬を撫でた。その風には、確かな季節の移ろいと、これから始まる「私の物語」の匂いが混じっていた。

私の新しい人生は、この桜色のノートから、今、静かに幕を開けたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。