もんもんぐんぐん
六月が来るたび、銀河帝国軍第七辺境艦隊は妙な空気に包まれる。
――もんもんぐんぐんの季節が来た。
「艦長、今年も……来ました」
副官のミナセ少尉が、青ざめた顔で報告する。
旗艦《ヴァルハラⅨ》の艦橋は重苦しい沈黙に支配されていた。
艦長グレイヴ准将は深く目を閉じる。
「観測値は」
「精神波指数、通常の三倍です。すでに下層デッキでは幻聴被害が発生しています」
「症状は?」
「“もんもんする”“ぐんぐんくる”と証言する者が続出しています」
准将は頭を抱えた。科学部の連中が自慢していた防御フィールドが全く機能していないではないか。
ここ数十年ろくな新発明もない。
「これだから頭でっかちどもは……」
苛立ちを短く吐き出すと、准将は指示をとばした。
「自動探査ドローンを全機放出しつつ、艦隊は危険地域から速やかに撤退せよ」
「了解!」
毎年六月になると、辺境宙域にだけ現れる不可解な現象。
兵士たちは突然そわそわし始め、落ち着きを失い、やがて意味不明な言葉を繰り返す。
そして、最後には全員が同じことを口走るようになる。
「もんもんぐんぐん」
原因不明。感染経路不明。だが確実に広がる。
帝国中央はこの件を極秘指定し、存在そのものを隠蔽していた。
対処不能の精神異常が広まるなど、知られれば星域規模のパニックが起こりかねない。
「去年のデータとの比較を開始」
「了解!」
ホログラム映像が展開される。そこには昨年の艦橋が映っていた。
屈強な海兵隊員たちが、みんな虚ろな目で壁を見つめている。
「なんか……もんもんする……」
「胸のあたりが……ぐんぐんする……」
「ぐんぐん……もんもん……」
そこに帝国軍最精鋭部隊の威厳はどこにもない。
しかも厄介なのは、症状が進行すると創造性だけが異常に高まることだった。
昨年は兵器開発局の技師たちが、三日で超光速機関を理論完成させた。
「准将!」
通信士が叫ぶ。
「辺境惑星ネレイスより緊急通信! 住民が集団発症しています!」
映像が切り替わる。
そこには避難所の光景が映っていた。
市民たちは毛布にくるまり、みんな同じ方向を見て震えている。
「だめだ……ぐんぐんくる……」
「もんもんが止まらない……」
「空が……空がもんもんしてる……」
そして、一人の老人がカメラに向かって叫んだ。
「今年は強いぞ!」
通信が切れた。艦橋に沈黙が落ちる。
「……強いらしいな」
「そのようです」
副官は真顔で頷いた時、艦内警報が鳴り響いた。
『警告。外宇宙より高エネルギー反応接近』
全員がモニターに目をやる。
暗黒宇宙の彼方。
そこに、巨大な“何か”が浮かんでいた。
半透明の球体。
ゆっくり脈動しながら、銀河を漂っている。
観測士が震える声を出した。
「……あれです」
「何だ」
「もんもんぐんぐんの発生源です!」
「断定できるのか」
「スペクトル波形が一致しています!」
艦橋がざわついた。
帝国が数十年、追い続けていた謎。ついに、その正体を捉えたのだ。
「解析急げ!」
「はい!」
技術士官たちが一斉にコンソールを操作する。
だが数秒後。
「だめです!」
「どうした!」
「解析班が全員、“もんもん”しか言わなくなりました!」
モニターには、白衣の研究員たちがぼんやり踊っている姿が映る。
「宇宙って……ぐんぐんなんだよ……」
「もんもんを感じろ……」
「真理はもんもんぐんぐんしている……」
准将は眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。
その直後、艦全体を青白い光が包み込む。
球体が脈動したのに合わせ、全員の脳内に直接“声”が響いた。
『――観測成功』
艦橋が凍りつく。
『知的生命体との接触を開始します』
「……しゃ、喋った?」
『我々は外宇宙探査生命群』
球体の表面が波打ち続ける。
『あなた方の言語では表現困難ですが、便宜上、“モングング種族”と呼称してください』
「モングング……」
『我々は感情進化型生命です』
准将が眉をひそめる。
「感情進化型?」
『知性のみでは文明は停滞します。感情の揺らぎこそ進化の原動力です』
球体はさらに揺らめきと、輝きを増した。
『我々は銀河各地に“情緒刺激波”を送信し、文明の活性化を行っています』
副官がぽつりと呟く。
「それが……”もんもんぐんぐん”だというのか?」
『正式名称はありますが、あなた方の脳構造では“もんもんぐんぐん”としか認識できません』
「なんて迷惑な」
『なお、刺激波を受けた文明は平均四百七十%の技術進歩を達成しています』
准将は固まった。
「……去年の超光速理論」
『その副産物です』
「つまり」
『あなた方は“もんもんぐんぐん状態”において、極限の創造性を発揮しています』
艦橋の全員が複雑な顔になった。
確かに成果は出ている。だが、あまりにも不合理だ。
人類は余計な感情に囚われず、理性を伸ばすことで進化してきたのではないか。
「もっと……こう……別の手段なかったのか」
『ありません』
球体が答える。
『九十八%の知的生命体は最終的に停滞します』
「なぜだ?」
『生き物には感情が必要不可欠だからです。それを否定し偏った理性だけでは不合理を受け入れられず停滞してしまうのです』
沈黙。
誰も反論できなかった。確かにこの現象に見舞われるまでのこの数十年、人類は目立ったブレークスルーもなく、行き詰まりを感じていたのだ。
すると突然、艦内通信が開く。
『こちら兵器開発局!』
「どうした!」
『新型重力砲が完成しました!』
「早すぎるだろ!」
『あと猫型量子AIも完成しました!』
「なんで猫型なんだ!」
『名前は“ぐんにゃんMk-Ⅱ”です!』
「すこし落ち着け!」
准将は叫んだ。
だがその横で、副官が静かに宇宙を見つめていた。
「……でも」
「何だ」
「少し、わかる気がします」
彼女は窓の向こうを指差す。
そこには無数の星々。
銀河。
暗黒宇宙。
遥かな光。
「人類って、ずっと効率とか合理性とか、そういうものだけで進んできました」
「……」
「でも、本当に文明を前に進めるのって、“なんかわくわくする”とか、“意味もなく好き”とか、そういう感情なのかもしれません」
准将は黙る。
モングング種族も静かに脈動していた。
『その通り』
声が響く。
『胸がざわつくこと』
『理由もなく惹かれること』
『説明できない衝動』
『それらを、あなた方は"もんもんぐんぐん"と呼ぶ』
艦橋に静かな空気が流れる。
宇宙は広い。きっとまだ出会ったことのない文明も無数にあるのだろう。
そのどこかで。
きっと今日も誰かが、理由もなく胸を高鳴らせている。
研究者たちは妙な発明を始め。
若者たちは無意味に走り出し。
誰かが恋をし。
誰かが詩を書き。
誰かが宇宙へ旅立つ。
そのすべてを包み込むように。
宇宙の彼方で、巨大な球体が静かに脈動していた。
もん。
もん。
ぐん。
ぐん。




