もんもんぐんぐん
利きもんもんぐんぐん企画にて、寄せられた一遍。
著者:LackRock氏。
◇
むかし、世界のはずれに、二匹の化け物がおりました。
一匹は、《もぐもぐ》。
苺ミルク色の髪に、まん丸な金色の目。ぶかぶかの外套を着た、小さな女の子の姿をしていました。
けれど、おなかがすくと、その口は耳まで裂けました。
岩も、森も、お城も、雲も、思い出も。
もぐもぐは、なんでも食べてしまいます。
もぐもぐは、飢饉の村に残された、最後のパンくずから生まれました。
もう、誰もひもじい思いをしませんように。
そんな子どもたちの願いから生まれたのに、もぐもぐのおなかだけは、いつまでも空っぽでした。
「食べたくないのに、おなかがすくんだ」
はじめは、捨てられた物を食べました。
次に、誰も住んでいない家を食べました。
それでも足りず、とうとう町をひとつ、そこで暮らした人々の思い出ごと食べてしまいました。
もぐもぐは泣きながら、世界のはずれへ逃げました。
もう一匹は、《んんんん》。
ぼさぼさの白い髭に、雨雲色の目。擦り切れた灰色の外套を着た、背の高いおじさんの姿をしていました。
胸には、五十音のいちばん最後にある「ん」の形をした黒い留め金が、四つ並んでいました。
んんんんは、長い戦争でこぼれた、最後のため息から生まれました。
どうか、もう終わりにしてください。
そんな人々の願いを叶える、終わりの化け物でした。
んんんんが触れれば、どんなものにも終わりが来ます。
雨に触れれば、雨がやみました。
病に触れれば、苦しみが消えました。
戦に触れれば、剣を振るう者はいなくなりました。
けれど、花に触れれば枯れました。
歌に触れれば途切れました。
笑う子どもの頭をなでれば、その笑顔は二度と戻りませんでした。
「終わらせたくないのに、終わってしまうんだ」
んんんんは両手に包帯を巻き、誰にも触れず、世界のはずれへ逃げました。
二匹は、一本の道のまんなかで出会いました。
もぐもぐが道をこちらから食べ、んんんんがあちらから終わらせて、二匹の間には丸い地面しか残っていませんでした。
「僕に近づかないで。君まで食べちゃうよ」
「おまえこそ離れろ。触れれば、終わらせてしまう」
「離れる道は、僕が食べちゃった」
「こちらの道は、わしが終わらせた」
二匹は困って、地面の端と端に座りました。
そこには、食べるものも、終わらせるものもありません。
だから初めて、二匹は何も壊さずに話すことができました。
もぐもぐは、食べてしまった町の話をしました。
んんんんは、終わらせてしまった笑顔の話をしました。
「僕たち、悪い化け物なのかな」
「悪いことをした。それは、なくならん」
「でも、したくてしたんじゃない」
「それも、なくならん」
わかってもらえたことがうれしくて、わかってくれた相手まで傷つけてしまうことが悲しくて、二匹は夜が明けるまで泣きました。
もぐもぐの涙は、小さな池になりました。
んんんんは、その涙だけは終わらせないよう、包帯の手を固く握りました。
朝になると、子どもたちの笑い声が聞こえました。
風に飛ばされた赤い毬を追いかけて、こちらへ走ってきます。
もぐもぐのおなかが鳴り、口が耳まで裂けました。
んんんんの留め金が外れ、包帯の隙間から黒い指が伸びました。
「逃げて、おじさん。僕は、あの子たちを食べてしまう」
「おまえこそ逃げろ。わしは、あの笑い声を終わらせてしまう」
けれど、逃げる道は残っていません。
そのとき、もぐもぐは言いました。
「じゃあ僕が、終わりを食べてあげる」
んんんんは、雨雲色の目を見開きました。
「終わりを食べるということは、わしを食べるということだぞ」
「うん」
「おまえまで消えるかもしれん」
「それでも、二人で全部をなくすより、きっと優しいよ」
もぐもぐは笑いました。
それは、んんんんがどうしても終わらせたくないと思った、初めての笑顔でした。
おじさんは包帯をほどき、黒い手で、少女の頭をそっとなでました。
「わしを食べてくれ、もぐもぐ」
「いただきます、んんんん」
黒い手が頭に触れた瞬間、もぐもぐは、んんんんをひと息にのみこみました。
終わりが、終わらない空腹を終わらせました。
空腹が、終わりを食べました。
もぐ。もぐ。
ん。ん。ん。ん。
二匹の名前が、ほどけて、混ざりました。
もん。もん。ぐん。ぐん。
そこにいたのは、もう、もぐもぐでも、んんんんでもありませんでした。
それは大きな龍にも、ブリキのおもちゃのようにも、天女のようにも見えました。
ぼやけた輪郭の奥で、苺ミルク色の光と雨雲色の光が、静かに寄り添っていました。
その化け物は、何も食べなくなりました。
何も終わらせなくなりました。
子どもたちは赤い毬を拾い、化け物に手を振って帰りました。
化け物も手を振り、隣を振り返りました。
けれど、そこにはもう誰もいません。
「おじさん。これで、よかったのかな」
返事はありません。
胸の奥で、「もぐもぐ」と呼ばれた気がしただけでした。
春になると、赤い毬の女の子が訪ねてきました。
「ひとりで寂しくないの?」
「寂しいよ」
「じゃあ、今日は私がいるね」
女の子は、化け物のぼんやりした体に背中を預けました。
それから毎年、女の子はやってきました。背が伸び、大人になり、髪が雪のように白くなっても、赤い毬を抱えて会いにきました。
「あなたが私を食べず、私の時間を終わらせなかったから、おばあちゃんになれたのよ」
そう笑った年を最後に、女の子は来なくなりました。
化け物は、過ぎた時間を食べませんでした。
訪れた別れも終わらせませんでした。
ただ、赤い毬を抱いて涙をこぼしました。
涙から、小さな赤い花が咲きました。
化け物は、ひとりで悶々と考え続けました。
考えるたび、ぼやけた輪郭から木々がぐんぐん伸び、花が咲き、甘い実がなりました。
鳥は枝に巣を作り、旅人は木陰で眠り、子どもたちは絵本を読みました。
ただただひとりでもんもんして、ぐんぐんする、世界でいちばん優しい化け物になりました。
人々は、二匹の名前をどちらも忘れないように、その化け物をこう呼びました。
《もんもんぐんぐん》と。




