もんもんぐんぐん
未瑠はネコミミパーカーのフードを深く被り、喧騒の中をかき分けるように歩いていく。
夏祭りの夜。その装いは人混みの中でも一際目立っていた。
「視線が集まるは選ばれし者の運命」
未瑠はそう独りごちると、パーカーの上から左腕を抑えた。
「祭りは滞り無く行われている」
夜空を見上げ、物憂げに呟く。
折しも今夜は満月。妖しい輝きを放つそれは、遍く地上の人々を祭りの狂騒にもんもんと誘うのだ。
未瑠はただ歩いているように見えて、辺りに視線を配るのを忘れない。
右よし。左よし。背後よし。
「……クリア」
そうして少し歩いては、同じことを繰り返す。
「お嬢ちゃん」
声をかけてきたのは、縁日の一角に店を構えるテキヤの男だった。
「ん?」
「どれか買っていかないか?」
人相の悪い男が、いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべて話しかけてきた。
屋台の看板に目をやると、カラーヒヨコいう文字がデカデカと掲げられている。
今どきカラーヒヨコの屋台があるとは珍しい。何より、こういう場所では秘密の取引がよく似合う。未瑠のテンションがぐんぐんと上がっていく。
「面白い。終末を告げる鳳、か」
その言葉に、男の笑顔が固くなったが、未瑠は気がついていない。
「鳳はいつ鳴き声をあげる?」
男の問いに未瑠は目をしばたたかせ、口角をわずかに上げた。
人混みに紛れて行われる秘密の取引。何気ない会話の中に隠された合言葉。
この男……わかっている。
「大いなる月が沈むとき。それは夜の終わりを告げる合図」
未瑠が負けじと言葉を返すと、男の顔にもんもんと緊張の色が漂う。
テキヤの男は、辺りを見回すと声を潜めた。
「ならば問おう。夜明けを恐れる者とは?」
「夜明けを恐れるのは、闇に生きる者だけだ」
「……見事だ」
(見事だって)
未瑠は頬が緩みそうになるを必死に堪えた。
「最後の問いだ」
男はさらに声を落とした。
「大いなる終焉を迎える者に、何を託す?」
未瑠は人差し指を額にあてると。言葉を紡ぎ出した。
「未来。何人たりとも見ることのできない、その先を」
男はしばらく未瑠を見つめていた。やがて、深々とうなずく。
「つくづく人は見かけによらんな……待っててくれ」
男は裏から小さな木箱を持ってくると未瑠に差し出した。
「開けろ」
蓋を開けると中にいたのは、一羽のヒヨコだった。
「ピヨ」
「ほう、これが」
「そうだ」
未瑠はヒヨコを見つめた。ヒヨコも未瑠を見つめている。
「ピヨ」
(……かわいい)
「このヒヨコが成鳥となったとき――夜の終焉を告げる鳳となる」
(決まった……!)
未瑠は言い終わると、人指し指を額に当てた。
「こいつは任せた」
男は真剣な表情だ。
「ああ」
短く答えると、コイントレーに500円玉を置く。
未瑠はおもむろにヒヨコを箱から取り出し抱き上げてみせると、男の肩がビクリと震えた。
「ピヨ」
ヒヨコは未瑠の指先をくすぐったそうにして目を細めている。
「……流石だ」
男は立ち上がった。
「奴らも、この鳳を狙っている」
「やはり……もう動き始めているんだな」
「そういうことだ」
男は人混みの向こうを見る。
「ここは俺が食い止める。あとは任せた」
そう言って、男は去っていった。
「……格好いい」
一度でいい。ああいう台詞を言ってみたかった。未瑠は腕の中のヒヨコを見る。
「お前もそう思うだろ?」
「ピヨ」
「そうだよね」
未瑠は満足げに頷いた。
「お前の名前は『まろ』にしよう」
「ピヨ」
その直後、周囲の屋台の提灯の明かりが次々と消えた、突然の異変に未瑠の目が向けられる。
近くの少年が未瑠を指さした。
「お姉ちゃん、そのヒヨコ光ってる!」
「え?」
未瑠が手元に視線を落とすが、こちらを見上げて小首をかしげたヒヨコがいるだけだ。
「何言ってるの?」
「いや、今、すっごい光って――」
「……そうか、お前にも鳳の輝きが見えたんだな」
「え?」
「フッ、だがまだ時ではない。少年よ」
お決まりの人差し指を額に当てるポーズをとると、少年は首を傾げて去っていった。
未瑠はヒヨコを抱きしめた。
「彼にはまだ早かったようだ」
「ピヨ」
まろが小さく鳴くと、間もなくして屋台に灯りが戻った。一時的な不調だったようだ。
——
遠く建物の陰から、未瑠を監視する黒い服の男が、スマホで誰かと通話をしていた。
「存在Pを確認した」
『何? 間違いないのか?』
「間違いない」
『了解。回収班を向かわせる。相手はどんなやつだ?』
「……」
『どうした?』
「眠ったようだぜ、働かせすぎなんじゃないかな」
『何者だ!』
「鳳は渡さん」
人目に付かない場所で、誰にも知られない戦いが、静かに始まっていた。
——
その頃、未瑠は屋台で買ったりんご飴を食べていた。
「……おいしい」
「ピヨ」
「まろも食べたいの? 無理じゃないかなあ」
太鼓の音が、腹に響き始めた。夏祭りのフィナーレ、奉納太鼓の演奏が始まったのだ。
どん、どん、と地面から突き上げるような音。人々の視線が、一斉に櫓の上に向く。
未瑠は、その熱気から少し離れていた。人混みは、やはり得意ではない。
境内へと続く石段に、ひとり腰を下ろす。
肩に乗せていたヒヨコを、そっと足元に降ろした。ヒヨコは石段の隙間をつつきながら、自由気ままに歩き回っている。
「まろ、太鼓の音は平気?」
「ピヨ」
「そう。あまり離れないでね」
未瑠の座る石段から、遠く離れた裏山の斜面。
木々の間に身を潜め、黒い服の男が狙撃銃のスコープを覗いていた。
照準の先には、石段に座る未瑠の背中。
この距離なら、誰にも気づかれることなく、一撃で終わらせられる。迷いなく、それだけを考えていた。
最初の花火が、夜空で咲いた。どーん、という重い炸裂音。
その音に紛れるように、男は引き金を引いた。銃声は、花火の轟音にすっかり飲み込まれ誰一人気づくものはいない。
未瑠は花火に見とれたまま呟いた。
「夜空というキャンバスに、無数の魂が散っていく……」
放たれた弾丸は、夜の闇を貫き、まっすぐ未瑠の背中へと向かった。
その軌道上、足元にいたヒヨコの体が、突如として七色に輝いた。
光が弾け、弾丸はまるで硬い壁に当たったかのように、鋭く跳ね返った。跳ね返った弾丸は、来た軌道をそのまま逆に辿り、夜の闇を貫いて戻っていく。
「――え?」
男が声を漏らしたときには、遅かった。
弾丸は、寸分の狂いもなく、スコープを覗いていた男自身の眉間を撃ち抜いた。銃を握ったまま、男は音もなく斜面に崩れ落ちた。
「ピヨ」
「ん?」
未瑠が足元を見る。ヒヨコは何事もなかったかのように、石段の上でくつろいでいた。
「お前も花火、見えるといいな」
もちろん、ヒヨコがたった今放った光は、頭上の花火よりもよほど正確に、遠く離れた命ひとつを、静かに刈り取ったのだが。
そのことを知る者は、この石段には誰もいない。
——
実のところ、この夜、未瑠に差し向けられていた要員は、彼ひとりではなかった。
周辺に散っていた監視班、回収班。その全員が、同じように応答を絶っていた。
理由はいずれも異なっていた。
ある者は屋台の裏で足を滑らせ、頭を強く打った。
ある者は人混みに押されて川に落ち、意識を失った。
偶然か必然か。この夜、夜祭会場に配置されていた要員は、誰ひとりとして帰るものはいなかった。
誰も何が起きたのかも、少女の姿すら伝えることができなかった。
後日、現場周辺に設置されていた監視カメラの映像を確認しようとした者がいた。
しかし、該当の時間帯の映像は、なぜかどれも虹色にぼやけていて、何も判別することができなかった。その理由を、誰も説明できなかった。
結局、この夜のことは、正式な記録として残ることは、ついになかった。
——
未瑠の頭上では、次々と花火が咲いていた。太鼓の連打が、最高潮を迎える。
石段に座ったまま、未瑠は満足げに花火を見上げていた。
「……夏祭り、来て良かったな」
こうして、ひとつの重要国際事案『存在P』の行方は、誰にも報告されることのないまま、祭りの音と光の中に、静かに紛れて消えていった。
家に着く頃には、すっかり夜も更けていた。
玄関の鍵を開け、明かりをつける。
「よし、着いたぞ」
「ピヨ」
肩に乗せていたヒヨコを、台所の床にそっと降ろした。
冷蔵庫からキャベツを取り出すと、細かく刻んだ。
「ほら、お食べ」
「ピヨピヨ!」
まろは勢いよくキャベツをついばみ始めた。
その様子を眺めながら、未瑠は冷蔵庫を開けた。
黒霧島の瓶を取り出し、コップに注ぐことすらせず、そのまま口をつける。
「……ぶひゃひゃひゃ! いい祭りだったな~!」
「ピヨ!」
餌を食べ終えたヒヨコが、満足げに未瑠の足元にすり寄る。
未瑠はそれを見て小さく笑うと、瓶を片手に持ったまま、そのままベッドに倒れ込んだ。
数分後には、寝息が聞こえていた。空になりかけた瓶が、床にごろりと転がっている。
何も知らず、世界の危機をひとつ払いのけた少女は、幸せそうに大口を開け眠りこけている。
枕元のまろだけが、その寝顔を静かに見つめている。
ぐんぐんと、夜明けの時は近づいてきていた。




