もんもんぐんぐん
「はあ、あっつい。早く海の家で、お酒飲まなくちゃ……」
夏の海。太陽は今日もうるさいくらいに眩しかった。
熱された砂浜を歩く未瑠は、ネコミミのついたパーカーを羽織っている。暑いことよりも、直接の日差しを避けるためだ。
海の家が見えてきたところで、立ちふさがるひとつの影。
「見つけたぞ」
もんもんと恨みの籠もった低い声が、足元から響いた。そこには、一匹の黒猫が牙を剥いていた。
「覚悟しろ! 親の仇!」
「は?」
未瑠が聞き返す間もなく、黒猫は跳びかかってきた。
「ちょ、ちょっと待って、心当たりないんだけど!?」
問答は成立しなかった。黒猫のしっぽは全開に膨らんでいる。
未瑠は慌てて走り出すと、黒猫は本気の形相で追いかけてきた。
砂浜を全力疾走する二人。
「どけどけどけーーー!」
興奮した黒猫はぐんぐんと速度を上げ、未瑠を追い越し、そのままフラッグ目がけて跳んだ。
第十二回、全国ビーチフラッグ大会参加者の飛脚も、カンガルーも、なす術なく置き去りにされる。
「勝者、黒猫!」
司会のアナウンスが響き渡る中、悔しがる飛脚とカンガルーを尻目に、黒猫は堂々とメダルを受け取っていた。
「……なんなんだ、あいつ」
未瑠はその隙に海の家に逃げ込み、注文したビールを呷っていた。
「昼間に飲むビールうまーい! この一杯のために生きている!」
だが、そんな至福の時間も長続きはしなかった。つまみも頼もうと、上機嫌でメニュー表を眺めている店内に、響き渡る正義の声。
「天網恢恢疎にして漏らさず。見つけたぞ、親の仇め!」
優勝メダルを首から下げた黒猫が、海の家に颯爽と現れた。優勝したぐらいでは、もんもんとした彼の怒りは収まらなかったらしい。
黒猫の言葉に、周囲の客の冷たい視線が、未瑠にグサグサと突き刺さる。
「おい、逃げるとは卑怯だぞ」
「そっちが追い越して、どっか行ったんでしょ!?」
言い合いがぐんぐんと白熱してくると、厨房から長ネギを手にした店主が顔を出した。
「敵討ちなら外でやりな!」
渋々外に出た二人。
未瑠の提案により、海の家名物特大ラーメンの早食い対決で決着をつける事になった。
二人の前に置かれたのは、盥と見紛うほどのどんぶり。具は一切無しの麺とスープだけという潔さに、店主の心意気を見た。
「よーい、どん!」
黒猫は快調に麺をすすっていく。一方の未瑠は――猫舌だった。
「あつ、あつい、あづい……!」
必死に食らいつこうとするが、差は開くばかり。このままでは負ける。焦る未瑠に、天啓が舞い降りた。
「おまたせしました」
店員が黒猫のラーメンに、替え玉を投入する。
「なんだと!」
黒猫の全身の毛が逆立つ。
一方、未瑠のラーメンは温度も下がり、麺も残りあと半分というところまで進んでいた。
黒猫のヒゲがピンと立った。
「おまたせしました」
未瑠のどんぶりに、熱々の替えスープが注入される。
「なんでーーー!」
もんもんと湯気の立つどんぶりを前に、絶望する未瑠。状況は振り出しに戻った。
そんな二人のデッドヒートを、鼻で笑う二人組がいた。
「見ろよ髙山、ラーメン食ってるぞ。海の家ならカレーだろ、常識的に考えて。そもそも歴史的にみて——」
「そうだな、曲彦。海まで来てラーメンとかないわー」
海とカレーの関係性を紐解き始める曲彦。勝手に対決の様子をスマホで撮影しはじめる髙山。
横暴な二人の態度に、ぐんぐんと怒りのボルテージがあがっていく。やがて未瑠と黒猫の心はひとつになった。
「お前ら表出ろ」
かくして、髙山&曲彦vs未瑠&黒猫のビーチバレー対決が始まった。
黒猫は持ち前の動体視力で、鋭いアタックを次々と決めていく。一方の未瑠は、転んで膝をすりむき、血をにじませながら足を引きずっていた。
「このままじゃ……」
黒猫は獅子奮迅の働きっぷりだが、未瑠の動きがいまいち精彩を欠く。ねこさんちーむは負ける。観客の誰もがそう思った、その時。
『ぐぅ~~』
未瑠の腹の音が鳴り響いた。先ほど食べたラーメンが消化され、ようやく自由に体が動くようになった合図だ。そこから見違えるように未瑠の動きが変わった。華麗な回転レシーブが、砂浜に舞う。
黒猫のアタックと、未瑠のレシーブ。噛み合わせてみれば、二人は驚くほどのベストコンビだった。でこぼこフレンズは、なすすべもなく失点を重ねていく。
『ゲームセット! ウォン バイ ねこさんちーむ!』
ハイタッチを決める二人。勝利コールに沸き立つ観客たち。
でこぼこフレンズは滝のような涙をながし、悄然とした様子で会場を去っていった。
「俺たち……悪くないコンビだったな」
「まあね」
そんな空気も束の間、黒猫がふと真顔になった。
「だが、この因縁は、まだ終わっていない」
そこに待っていたのは、友情を引き裂く無情な運命。二人は静かに頷きあった。
かくして最終決戦の舞台が用意された。「黒猫危機一髪」――樽に入った黒猫めがけて、長ネギを次々と刺していくという、あの遊戯である。
黒猫は粛々と、樽の中に収まった。
「これで決着だな」
「どちらが勝っても、それが運命よ。悪く思わないでね」
一本、また一本と、長ネギが刺さっていく。最初はうるさかった黒猫もいつしか沈黙を守っている。樽はまたたく間に、ハリネズミのような姿になった。
「ねえ、中の黒猫、どうなってるの?」
見物人の一人が尋ねてきた。未瑠は、したり顔でこう答えた。
「いまこの樽の中は、貫通された黒猫と、貫通されていない黒猫が、重なり合った状態なんだよ」
その説明に、もんもんとしていた見物人たちの胸のつかえがスッと取り払われていく。
「蓋を開けて観測したときに、初めて状態が確定するの。つまり――開けない限り、可能性はぐんぐんと膨らみ続けるってこと」
未瑠の説明を受けた見物人たちは、なるほどそういう事かと満足気に頷いた。
——
海の家に戻った未瑠は、黒霧島の瓶をラッパ飲みしながら、箸で餃子を摘んだ。
「ぶひゃひゃひゃひゃ! 海と来れば、ギョーザだよな!」
満足行くまで飲み食いした未瑠は、伝票を黒猫のツケにすると、海の家を後にした。
めでたし、めでたし。




