もんもんぐんぐん
深い森の奥、ひときわ大きなカツラの木の洞に、一匹のエゾモモンガが住んでいました。名前は「もんもん」といいます。
もんもんは、森の中で一番の「考えすぎ」でした。
他のモモンガたちが夕暮れと共に「さあ、今日も美味しい樹皮を食べに行こう!」と元気よく飛び出していく中、もんもんは洞の入り口で、じっと自分の前足を見つめていました。
「もし、今日飛び出した瞬間に、風が急に止まったらどうしよう」
「もし、あっちの枝に飛び移る直前で、枝がポキッと折れたらどうしよう」
もんもんは、一度考え始めると、もう止まりません。心の中が「もしも」でいっぱいになって、手足がすくんでしまうのです。結局、他の仲間が夜の冒険を終えて戻ってくる頃、もんもんはまだ洞の中で、お腹を空かせたまま、もんもんとしていました。
「そんなに考えてばかりいたら、お腹の皮と背中の皮がくっついちゃうよ」
ある夜、隣の木に住んでいるムササビの「ぐんぐん」が遊びにやってきました。ぐんぐんは、もんもんとは正反対の性格でした。
「ほら、見ててごらん。風なんて、乗ってみなきゃわからないんだから!」
ぐんぐんは、大きな体をいっぱいに広げて、夜の闇へとダイブしました。滑空というよりは、まるで空を泳ぐような、大胆で力強い動き。ぐんぐんは一度も迷うことなく、遠くのナラの木まで一直線に飛んでいきます。
もんもんは、その姿を羨ましく、そして少し怖く思いながら見守っていました。
「ぐんぐんはすごいなあ。失敗するなんて、これっぽっちも思っていないみたいだ」
そこへ、ぐんぐんが戻ってきました。口には、今の時期一番美味しいとされる、ヤナギの芽をたっぷりくわえています。
「もんもん、明日、森の向こうにある『光る泉』へ行ってみないか? あそこには、食べると勇気が湧いてくるっていう、不思議な木の実があるんだ」
光る泉。それは森のモモンガたちの間で伝わる伝説の場所でした。けれど、そこへ行くには、遮るもののない広い谷を越えなければなりません。
「僕には無理だよ……。あんなに広い場所、もし途中で力が尽きたら、地面に落ちちゃう」
もんもんが震える声で言うと、ぐんぐんは笑って言いました。
「大丈夫。俺が横を飛んでやる。風が止まったら、俺の背中を蹴って飛べばいい。明日、日が沈む頃に迎えに来るからな」
次の日、もんもんは一日中、洞の中で震えていました。
「本当に大丈夫かな」「ぐんぐんとは体の大きさが違うんだ」「やっぱり断ればよかった」
日が沈み、森が深い青色に染まる頃。約束通り、ぐんぐんがやってきました。
「準備はいいか、もんもん? 行くぞ、ぐんぐん進むんだ!」
二匹は、森の境界線にある高い崖の上に立ちました。目の前には、暗く深い谷が広がっています。もんもんの小さな心臓は、壊れそうなくらい激しく打ち鳴らされていました。
「怖い……」
「怖いのは、生きてる証拠だ。もんもん、俺の合図で飛べ。三、二、一……行け!」
もんもんは、目をつぶって地面を蹴りました。
瞬間、冷たい夜風がもんもんの皮膜を押し上げました。落ちる、と思った次の瞬間、体がふわりと浮き上がりました。
「目を開けろ! 見てみろよ!」
ぐんぐんの声に、もんもんはおそるおそる目を開けました。
そこには、今まで見たこともない世界が広がっていました。足下には銀色に輝く森の冠が続き、遠くには町のアカリが宝石を散りばめたように瞬いています。
「……飛んでる。僕、飛んでるよ!」
「そうだ! 風は味方だ!」
しかし、谷の真ん中に差し掛かった時、急に嫌な風が吹き抜けました。もんもんの小さな体は、木の葉のように翻弄されます。
「あわわ、やっぱりダメだ! 落ちる!」
もんもんの視界がぐるぐると回り、パニックになりかけたその時、横から大きな茶色の影が寄り添いました。
「もんもん、俺を見ろ! 風を読むな、風になれ!」
ぐんぐんが、もんもんのすぐ下に入り、気流を遮るようにして安定した空気の道を作りました。
「ぐんぐん……!」
「さあ、あともう少しだ! あの光っている場所が目的地だ!」
谷の向こう岸、青白い光を放つ泉のそばに、二匹は着地しました。
もんもんは、地面の感触を確かめると、そのままへなへなと座り込んでしまいました。
「はあ、はあ……。死ぬかと思った……」
「でも、死ななかっただろ? ほら、あれを見てみろよ」
ぐんぐんが指差した先には、泉の水を吸って透き通るような実をつけた、小さな木がありました。その実は、星屑を集めたようにキラキラと輝いています。
もんもんがおそるおそるその実を一粒食べてみると、口の中に爽やかな甘さが広がり、不思議と手足の先まで温かくなっていくのを感じました。
「どうだ? 勇気が湧いてきたか?」
もんもんは、自分の小さくて震えていた前足を見つめました。まだ少し震えています。けれど、それはさっきまでの恐怖ではなく、未知の世界に触れた興奮の震えでした。
「勇気っていうのは……食べ物で増えるものじゃないみたいだね、ぐんぐん」
もんもんは、晴れやかな顔で笑いました。
「自分で飛んで、ここにたどり着いた。そのことが、僕の中に少しだけ、新しい種を植えてくれた気がするんだ。これからは、もんもんと考え込む代わりに、ぐんぐんと進んでみたい。君みたいに」
帰り道、もんもんはもう目をつぶりませんでした。
風が吹けば、それに合わせて体を傾け。風が止まれば、力一杯手足を伸ばす。
夜の風は冷たいけれど、隣を飛ぶ友だちの体温を感じながら、もんもんは初めて、自分の住む森がこんなにも美しく、広い場所であることを知ったのです。
それからのもんもんは、相変わらず慎重ではありましたが、洞の入り口で立ち止まることはなくなりました。
森の仲間たちは、時折、夜空を並んで飛ぶ二つの影を見かけます。
一つは大きなムササビ、もう一つは小さなエゾモモンガ。
二匹が通った後には、決まって楽しそうな笑い声が、夜風に乗って響いてくるのでした。




