もんもんぐんぐん
「くそっ、テロリストどもめ! なんてことを!」
保安局員クレイの怒りを嘲笑うかのように、それは起こった。
ドォォォォォォォォォォォォン……ッ!!
夜の静寂を切り裂き、鼓膜を震わせる爆音が鳴り響く。
バァァァァァァァァァァァァァンッッッ!! バチバチバチバチバチバチ!
特A級指定のテロリスト集団『人類幸福戦線』の犯行に違いない。なんたる非道! なんたる極悪! やつらこそは人の堕落の象徴だ! クレイは拳を握りしめ、地面を蹴る。やり場のない怒りが、もんもんとクレイの奥底に溜まっていくのがわかった。
その恐るべき犯行により、美しい調和を保っていたはずの市民たちの声が、あちこちから聞こえてくる。公共配信を見るべき時間帯に、人々はモニターではなく、外を見ている。
夜空というキャンバスに、赤や緑の極彩色に彩られた美しい大輪の花が、描かれては消えていく。クレイは歯噛みし、刹那に装飾された夜空を睨みつけた。
「やつら、花火なぞ、いったいどうやって……!」
『人類幸福戦線』は無許可で無辜の民に幸福を与える。極悪非道なテロリスト。
夜空を見上げた市民たちの顔に、次々と「笑顔」が広がっていく。あちこちで、ぐんぐんと伸びた幸福度上限を知らせる警告アラームが、あちこちで鳴り始めた。
まずは人々に、再び美しい調和を取り戻させなくてはならない。クレイは自分のやるべきことを思い出した。
「ええい、外を見るな! 外にいるものは地面を見るか、目を閉じろ!」
クレイは市民に向けて叫びながら、ふと自分の視界の隅のステータスを見た。
第2級市民である自分でも、このままでは幸福上限を超えてしまいかねない勢いだ。今日は昼の時点で、既にいつもより幸福過多気味だったのだから無理もない。
※
――数時間前の保安局の休憩室に遡る。
「今日は俺、弁当なんだ」
クレイがことさら平静を装って言うと、同僚の局員のひとりが怪訝そうに眉をひそめた。
「我々が食するべきは『完全栄養ブロック』。弁当など、明らかに1食の幸福規定値オーバーだろう」
「今日は俺の誕生日なんだよ」
クレイがエビデンスを提示すると、同僚はハッと息を呑んだ。
「なにっ、そうだったのか。それならば特別法により、本日に限り規定値1.5倍まで許容される。……なるほど、弁当もいけるというものか」
同僚はやや不満げながらも、クレイの主張を認めたようだ。渋い顔で完全栄養ブロックを口に放り込むと、部屋を出ていった。
クレイは弁当の蓋を少しだけ開けると、すぐに閉じた。その様子を見ていた同僚が声をかけてきた。
「どうしたんだ?」
「ああ、いや……久々の弁当だからさ。蓋を開ける前の余韻に浸りたいというか」
「……まあ、わかるよ」
同僚は、クレイの肩を軽く叩くと、部屋から出ていった。
クレイは一人になると、そっと蓋をあけて中身を再確認した。海苔と薄焼き卵を使って、子供の頃に夢中で見たアニメのキャラクターが精巧に描かれている。キャラ弁──これはいくらなんでも規定値オーバーだろう。ノスタルジーの誘発。愛おしさで、クレイの口から思わず笑みがこぼれる。
だが、運悪くそこへ忘れ物を取りに保安局員が戻ってきた。
「おい! それはキャラクター弁当。ノスタルジーの誘発……! 明らかに一食の幸福摂取量が基準値の2倍を超過しているぞ! これは査問委員会行きだな」
「ま、待て! 対応は考えてあるんだ!」
クレイは慌てて弁当箱を隠した。
「確かにこれ単体で見れば規定値以上の幸福だが、帳尻は合わせる! 今日は誕生日だが、帰宅してからのケーキは無い」
「誕生日にケーキが無いだと?」
「そうだ! さらに帰宅後は、ただ壁のシミを数えて過ごす。 これで一日の『総幸福量』は確実に規定値に収まる」
局員はチッと舌打ちをし、「夜間に抜き打ちチェックに行くからな。少しでもニヤついていたら即逮捕だ」と吐き捨てて去っていった。
クレイは急ぎ弁当を平らげる。口の中に広がる圧倒的な美味。頬が緩むのをいやでも自覚する。いかん、すぎた幸福は傲慢につながる大罪だ。もんもんとした気持ちを押し殺し、クレイは必死に無表情を作る。配給品の味気ない水で、幸福の余韻を洗い流した。
――
翌朝。
局に出勤したクレイを待っていたのは、かつてないほど物々しい空気だった。
「動くな! 連行しろ!」
怒号が飛び交う中、二人の武装した局員に両脇を抱えられ、見知った男が引きずり出されてきた。昨日、弁当箱を見て「まあ、わかるよ」と理解を示してくれた、あの同僚だった。
「お、おい! 一体何があったんだ!?」
クレイが尋ねると、局員は忌々しそうに吐き捨てた。
「『幸福貯蓄』だ。信じられん、身内にあんな凶悪犯が潜んでいたとは」
「幸福、貯蓄だと……!?」
幸福はその日のうちに消費せねばならない。それを密かに溜め込み、慢性的な精神の高揚を企てる行為は重大な反逆罪にあたる。
「奴は……毎年、家族からもらった誕生日プレゼントを捨てずに、自室に並べて飾っていたんだ! 部屋でそれらを見るたびに過去の幸福を違法に再生産し、規定値以上の喜びを恒常的に摂取し続けていたんだぞ! 完全な『幸福の秘匿』だ!」
連行されていく同僚は、どこか憑き物が落ちたような、穏やかな顔をしていた。
クレイは冷や汗を流しながら自らの胸元を強く握りしめる。
彼のワイシャツの下、心臓に一番近いポケットには、妻が弁当に使用した『キャラクターが描かれた海苔の切れ端』が、ハンカチに挟まれていたからだ。
※
その日の午後。
自席に戻ったクレイは、厳重にロックされているはずのデスクの引き出しに、純白の封筒が置かれているのを発見した。
差出人の名前はない。しかし、封筒からは微かに、この国では決して嗅ぐことのない甘いバニラエッセンスの香りがした。中には美しい文字で一行だけ記されていた。
『今夜20時、旧第7区の駅構内にて待つ。1人で来られたし』
いかにも怪しい手紙。クレイは迷ったが、結局誰にも告げずに単身で指定された場所へ向かうことにした。
旧第7区はかつて人類が作り上げた堕落の象徴として、封印指定された区域だ。警備の目を盗む手順は手紙に書かれていた。この送り主は、只者ではない。クレイは改めて相手の恐ろしさを感じつつも、脚を止められない自分と、胸の高鳴りに驚いていた。
指示のあった駅に行くと、柱の陰から男が1人、姿を表した。
「よく来てくれたね」
「お前を逮捕するため、と言ったら?」
「君はそれほど愚かでは無いはずだよ」
その男は余裕を崩さない。
「まずは自己紹介。私のことは『K』と呼んでくれたまえ」
「お前があの人類幸福戦線のリーダーだっていうのか?!」
クレイが思わず身構える。無意識に腰に手をやるが、テイザーは置いてきてしまっていた。
「今日のところは、平和にいこうじゃないか」
Kは付いてこいと身振りで示すと、歩き始めた。
封鎖され、廃棄されていると思われていた『駅地下街』。クレイは初めて入るその猥雑な雰囲気に飲まれまいと辺りを睨みつけるようにしながら歩いた。
暖かな色味の違法照明が連なり、あちこちから香ばしい匂いが漂う『闇のアーケード』。
Kに促されるまま、クレイはとある居酒屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませぇーっ!!」
店内に足を踏み入れた瞬間、活気に満ちた明るい声が響いた。
クレイは咄嗟に身構えた。頭にタオルを巻いた人間の店員の顔には、眩しいほどの『笑顔』が張り付いている。
(ば、馬鹿な!? 人間が笑顔で対応しているだと!?)
クレイの常識では、店というものは全て機械か、さもなくば死んだ魚の眼をした店員が淡々と対応するものだった。
戦慄するクレイをよそに、Kはカウンター席に腰を下ろした。
「さあ、座りたまえ。ここは『お通し』といってね。頼んでもいないのに、席に着いただけで勝手に美味しい小鉢料理が出てくるシステムが採用されているんだ」
「た、頼んでもいないのに、自動で提供されるだと……!?」
クレイの前にコトリと置かれたのは、湯気を立てる『枝豆』と、水滴のついた『よく冷えた生ビール』だった。
「まずは乾杯といこうか」
キンキンに冷えたジョッキを前に、クレイの喉がゴクリと音を立てた。
クレイは鋭い視線でKを睨みつけた。
「……こんなことで俺を堕落させたところで、世の中は変わらんぞ、テロリストめ」
「フッ……堕落、か」
Kは面白そうにジョッキを傾け、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「何がおかしい」
「人が、自分自身の幸せを規定されている。その方が、余程堕落した生き方というものだ」
クレイはKの言葉をすぐさま否定できない自分に戸惑った。
「今日、君の同僚が連行されたそうだな。家族の思い出を大切にすることすら罪とされる世界で、君は本当に、人間が『生きている』と言えるのか?」
Kは手元の枝豆を摘み、クレイの前に押しやる。
「私が君をここに呼んだのは、君を堕落させるためではない。ただ……君のポケットの中で震えている、その『海苔の切れ端』に込められた想いを、否定してほしくなかっただけだ」
クレイは無意識のうちに、胸ポケットを強く握りしめていた。
「私たち『人類幸福戦線』の目的は、社会を破壊することじゃない。奪われた『喜ぶ権利』を、人間の手に取り戻すことだ。……どうだ、公安の番犬殿。世界を変えるのは難しいかもしれないが、少なくとも今夜、君自身の世界くらいは、この冷えたビール一杯で変えてみないか?」
クレイは沈黙した。
視界の端で、幸福度ゲージの警告表示が明滅を続けている。
だが、その警告音よりも、目の前でシュワシュワと音を立てる黄金色の飲み物と、胸ポケットの小さな温もりに対する愛おしさのほうが、今のクレイにはずっと大きく響いていた。
ゆっくりと、震える手をジョッキに伸ばす。ぐんぐんと幸福度ゲージは上がり続けていく。
ジョッキを手に取り、口に運ぶ。
唇に触れた炭酸の泡が弾け、頭の中で響いていた警告音を完全にかき消した。




