もんもんぐんぐん
スマホから甲高いアラームの音が鳴り響いた。
みち代は、あたふたとしながらスマホに手をやった。
スマホの画面をのぞき込み、老眼鏡をかけていなかったことを思い出す。
「ええと、どうするんだったっけ?」
みち代は電子機器に疎い。孫のミナに教わりながら、最近ようやくメールを送れるようになったばかりだ。
そんなみち代が、スマホの画面を見て眉をひそめた。
『もんもんぐんぐん警報』
スマホの画面に大きく赤い文字が表示されていた。
なんの警報だったかしら? みち代は頬に手を当て、小首をかしげる。
直後、スマホがぶるぶると震えた。
「ひゃっ」
みち代は驚いて、スマホを床へ落としてしまう。
画面には『ミナちゃん』の文字。
床に落ちたスマホから嫌な音がした。
「ああ、ミナちゃんに、怒られちゃうわ」
スマホの画面はクモの巣のようにヒビが走っていた。
「まだ使えるのかしら?」
恐る恐る画面をタッチしてみると、動作しているようだった。
見づらくはあるが、通話くらいならどうにかなるだろう。
画面には、ミナからの不在着信が表示されていた。
みち代は震える指で画面を押し、電話を掛け直す。
「もしもし?」
「もしもし? みち代おばあちゃん? 大丈夫?」
ミナちゃんの心配そうな声が聞こえてきた。この子はいつも自分を気にかけてくれる。優しい孫だ。
「ええ、大丈夫よ。どうかしたの?」
「どうかしたって、さっき警報鳴ってたでしょ」
「警報、鳴ってたわねえ。大きな音で驚いたわ」
「それよ。大丈夫なのね?」
「ええと、もん……なんだっけ?」
「もんもんぐんぐん警報!」
「そうそう、もんもんぐんぐん警報だったわね」
ミナは大真面目で言っているようだが、その言葉の響きにみち代はクスリと笑ってしまう。
「もう! 何笑ってるの? 真面目に心配してるのに」
「ごめんなさいねえ。でも、もんもんぐんぐん? が何なのか、お婆ちゃんわからないのよ」
「その感じだと大丈夫そうだけど、今日の夜、家に行くからね」
みち代は通話を終えると、スマホを棚の上に置いた。ヒビの入った画面が気になったが、今はどうしようもない。
老眼鏡はどこに置いたかしら。
みち代は部屋を見回した。テレビの上、仏壇の前、台所の出窓——見当たらない。
そのとき、縁側の方でがたりと音がした。
なんだろうと思いながら廊下を歩いていくと、縁側の硝子戸のむこうに、なにかいる。
「あら」
みち代は首をかしげた。老眼鏡がないので、よく見えない。
ぐんぐん、ともんもん、ともつかない、くぐもった声が聞こえてくる。
外国人かしら? 最近じゃあこの辺りでも珍しくない。
「どちら様?」
みち代は硝子戸を開けた。
ぼんやりとした輪郭しか見えないが、ふるふると震えていて、確かに具合が悪そうだった。
「まあ、大丈夫?」
みち代は眉をひそめた。顔色が悪い——なんとなく、そういう気がした。
「上がりなさい。お茶でも飲む?」
それはおずおずと、縁側に上がってきた。
みち代は台所へ行き、お湯を沸かしながら、ふと思った。
風邪じゃないかしら。
あのふるふると震える様子、くぐもった声。寒気がするのかもしれない。
「ちょっと待っててね」
みち代は棚から卵を取り出した。日本酒は——ああ、お正月の残りがある。砂糖をひとさじ入れて、卵を溶いて、温めたお酒に混ぜてゆく。台所に甘い湯気が立ちこめた。
縁側に戻ると、それはまだそこにいた。ふるふる、ぐんぐん、もんもん。
「はい、卵酒よ」
みち代は湯呑みを差し出した。
それはしばらくじっとしていたが、やがて湯呑みに手を伸ばした。
ゆっくりと、飲んでいるようだった。
みち代はそのそばに座って、お茶をすすった。縁側に夕方の風が流れてきた。
しばらくして、それは立ち上がった。ぐんぐんと、さっきより少し力強い声がした。
「よかった、元気が戻ったようね」
みち代はほほえんだ。顔があるのかどうかはやはりよく見えなかったが、なんとなく、そういう気がした。
「帰り道、気をつけるのよ」
それが縁側を降りかけたとき、みち代は思い出したように言った。
「ちょっと、お待ち」
台所からネギを一本取ってきて、それに持たせた。
「首に巻いて寝るといいわ。風邪のひきはじめには、これが一番」
それはしばらくネギを見ていた。
それから、ぐんぐん、と一度鳴いて、庭の向こうへ消えていった。
みち代は縁側に立って、見えなくなるまで手を振った。
夜、ミナが玄関を開けた。
「おばあちゃん! 大丈夫だった?」
「あら、来てくれたの」
みち代はお茶の間から顔を出した。
「さっきお客さんが来てたのよ」
「え?」
「具合が悪そうだったから、卵酒を作ってあげたわ。喜んでくれたみたいよ」
もんもんぐんぐん警報は、いつの間にか解除されていた。




