もんもんぐんぐん
タカシが「もんもん」を飼いはじめたのは、小学三年生の春のことだった。
もんもんは、見た目はただの黒いもやで、猫みたいに丸くなることもあれば、煙のように細長く伸びることもある。重さはない。においもない。ただ、そこにいる。
タカシが学校から帰ってくると、もんもんは玄関で待っている。
「おかえり」とは言わない。もんもんはしゃべらない。ただじわっと寄ってきて、タカシのランドセルにくっつく。そのぬるいような感触が、タカシは好きだった。
もんもんは、お母さんには見えていないらしい。
「またぼーっとして。宿題は? 習い事の準備は? ゲームはごはんの後でしょ」とお母さんは言う。
その声を聞くたび、もんもんは少しずつ大きくなっていった。
最初はタカシの足元に収まるくらいの大きさだったのに、一週間で押し入れいっぱいに広がり、二週間もすると部屋の半分を埋めるほどになる。タカシは布団を敷くとき、もんもんをよけなければならなかった。よけられると、もんもんはしょんぼりした形になる。タカシは申し訳なくなり、「ごめんね」と声をかけた。
もんもんは学校にもついてきて、授業中はタカシの隣に座るようになった。
担任の加藤先生にも、もんもんは見えていない。
「タカシくん、漢字テスト直しは? 体操服は? 先生の話聞いてる?」
先生が何か言うたび、もんもんはぐんぐん育つ。給食の時間には教室の半分を占めていた。他の子たちは気づかないから、何人かはもんもんの中を通り抜けていく。通り抜けた子は、少し暗い顔になる。
三週間後、もんもんは校舎と同じくらいの大きさになっていた。
ある日の放課後、タカシは校庭のすみに座り、もんもんに尋ねた。
「ねえ、もんもん。なんでそんなに大きくなるの」
もんもんは答えない。ただ、丸くなっている。
「食べてるの? 何かを」
丸くなったまま、じっとしている。
タカシは考えた。大きくなるのはいつも、お母さんか先生が何か言った後。小さくなるのは、タカシがなでた時か、一人でぼーっとしている時だ。
「もしかして」とタカシはつぶやく。「ぼくが言えなかったこと、食べてるの?」
もんもんはぷるぷる震えた。
タカシは思い返す。「宿題は?」と言われた時、本当は「今やろうとしてた」と言いたかった。「先生の話聞いてる?」と言われた時は、「聞いてるけど、もんもんのことも心配だった」と言いたかった。でも言えなかった。言えなかった言葉がふわふわ漂って、もんもんのごはんになっていたのかもしれない。
「じゃあ、もんもんはぼくのもんもんなんだ」
もんもんは嬉しそうにぷるぷると揺れた。
お母さんがある夜、夕ご飯を食べながら、「タカシ、最近どう?」と聞いてきた。「何々した?」ではなく、「どう?」だけ。タカシは少し考えて、最近の出来事を話した。タカシが話すたび、もんもんはひっそりと小さくなっていった。
その夜、タカシは布団の中でもんもんにも話しかけた。
「ねえ、もんもんは何かしたいことあるの?」
もんもんは何も言わない。静かにそこに佇んでいる。
冬になる頃には、もんもんは猫くらいの大きさに戻っていた。大きくなったり小さくなったりしながらも、だいたいはタカシの足元に収まっている。
クラスの友達の足元にも、よく見るとそれぞれのもんもんがいた。形も色も大きさも違う。ヨシコのもんもんはとがっていて、ケンジのは薄くて平べったい。
タカシは誰にも言わなかった。みんな自分のもんもんのことは、自分がいちばんよく知っているはずだから。




