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宿屋「渡し場の灯り」①

セルリアンの城壁が背後に遠ざかり、 東の街道がゆるやかに森と草原の間を続いている。 風が心地よく、時折野花の香りが運ばれてくる。 馬の背に揺られながら、3日前に商人が消えたという現場を目指して進む。


太陽が少し傾き始めた頃、道の先に見えてきたのは、小さな川にかかる古い石橋──「灰の渡し場」だ。 橋の近くに、簡素な宿屋兼酒場「渡し場の灯り」がある。 ここで一泊して、明日の朝に現場へ向かうのが無難だろう。


宿屋の前では、50代くらいの陽気な主人が薪を割っていた。 ヨハクを見かけると、手を上げて声をかけてきた。



「おう、旅の冒険者さんか! 今日は泊まるかい? 部屋はまだ空いてるぜ。 夕飯は鹿のシチューとパンが旨いよ。」



夕暮れの空が、橙色に染まり始めている。 馬を厩舎に預け、宿屋に入るか、それとももう少し先まで進むか……



(現場まで後少しだが、夜は危険だな…)

「……ああ、部屋を頼む。」



馬の背から降りて鞍の留め具を外し、軽い荷物を肩にかけ直して厩舎に繋ぐ。

宿屋の主人は薪割りを中断し、汗を拭きながらにこやかに笑った。



「おう、決まりだな! 一人部屋でいいかい? ちょうど二階の角部屋が空いてるぜ。 窓から街道が見えて、夜風も気持ちいいよ。」


彼はヨハクを中へ案内しながら、太い声で続けた。


「夕飯はもう少ししたら出すから、ゆっくりしてな。 鹿のシチューに、焼きたてのパンとチーズだ。 ビールもいかが? それともワイン?」



宿屋「渡し場の灯り」の内部は、暖炉の火がぱちぱちと音を立て、 木のテーブルと椅子がいくつか並んでいる。 今はまだ客が少なく、奥のテーブルで陽気な商人たちが酒を飲んでいる。


主人はカウンターから鍵を取り出し、ヨハクに渡しながら言った。



「部屋は二階の突き当たりだ。 料金は一泊と夕飯と朝飯で銀貨3枚。 朝は早く出るなら、干し肉とパンを包んでやるよ。」


「ありがとう。早くに出るから包んでもらえると助かる」


銀貨を3枚渡し、鍵を受け取る。


「それから、飯にはワインを」


主人は銀貨を掌で軽く弾きながら、満足げに頷いた。


「あいよ。朝は干し肉とパンをたっぷり包んで、 水筒にも新鮮な水を入れておくぜ。 早朝なら、日の出前に出られるように準備しとくからな。」


彼は鍵をヨハクの手にしっかり握らせ、にやりと笑った。


「夕飯はワインだな。ちょうどいいのが冷えてるぜ。」


「そいつは楽しみだ。」


主人はカウンターの奥から水の入った陶器の瓶と、素朴な杯を一つ取り出した。


「夕飯はもう少ししたら出すよ。 シチューが煮えてる頃に、下へ降りてきな。 何か他に聞きたいことがあったら、遠慮なく言ってくれ。」


水を受け取って階段を上る。 二階の角部屋はシンプルだが清潔で、 小さな窓からは夕暮れの街道と、川の流れが橙色に染まって見えた。


ベッドの上には粗末だが厚めの毛布が畳まれ、 隅に小さな洗面台と鏡がある。


窓を開けると、川のせせらぎと、遠くの森のざわめきが優しく入り込んでくる。 太陽はもうかなり傾き、空は深い橙から紫へと変わり始めていた。


下の食堂では、主人がシチューを温め直すいい匂いが、 ゆっくりと二階まで漂い始めていた。

「腹、減ったな…。」

水と荷物を置いて、早々と階下に向かう。


ーーー


「おう、シチューはもう少しで出せるぜ、先に一杯やるか?」



ヨハクの姿をとらえた主人が奥から赤いワインの入った瓶を取り出す。



「依頼で商人を探してるんだが、3日前くらいに来なかったか?」



ヨハクが尋ねると、主人は少し考え込むような顔をした。 太い指で顎を撫でながら、遠くを見るような目をする



「3日前の商人…?んー、ああ、思い出した。 確かにいたよ。 中年の、ちょっと太った男で、荷馬車を一台引いてた。 名前は……確か、バルドって言ってたかな。 奥さんからの手紙を持ってるって自慢してたぜ。」



(そういえば、名前も風体もギルドで聞かなかったな…)

自分の迂闊さに呆れつつも、主人の話に耳を傾ける

主人は暖炉の火を軽くかきながら、記憶を掘り起こすように続けた。


「その日は結構混んでて、ここの部屋に泊まったよ。

夕飯もここで食って、ワインを少し飲みながら、

『東へ行けば大きな商売ができる』って上機嫌だったな。

次の朝、早く出ると言って、日の出前に馬車を引いて出ていったよ。 ……それ以来、見てねぇな。」


肩を軽くすくめた。


「狼の群れが出るって噂は最近多いからな。 無事に着いてるといいけど……まあ、冒険者さんがわざわざ探しに来るってことは、 何かあったんだろうな。」



「荷馬車…?。……護衛はいなかったのか?」



主人はワインの瓶を磨きながら、ゆっくりと頷いた。



「荷馬車を引いてたのは確かだな。それなりの商人って感じだったよ。 服も上等な生地で、指輪もしてたし……

まあ、貧乏人じゃねえってのは一目でわかった。」


少し声を落とし、暖炉の火を眺めながら思い出そうとしてるようだ


「護衛は……いなかったな。 一人で馬車を操ってた。

『護衛を雇うと金がかかるからな』って笑ってたよ。

狼が出るって話は知ってるはずなのに、『俺の馬車は速いから大丈夫だ』って、 かなり強気だったぜ。

まあ、商人ってのは大概そうだけど……」


主人はそこで言葉を切り、ヨハクの顔をまっすぐ見た。


「正直、ちょっと無茶だったと思うよ。 最近この街道は狼の群れが活発で、 単独の馬車は危ねえって、みんな言ってるんだ。 バルドさんは夕飯の時も『明日は大儲けだ』って上機嫌だったけど、 朝、出ていく時は少し顔が強張ってた気がするな…… それが最後だ。」



主人は陶器の杯にワインを注ぎヨハクの前にそっと置いた。



「まあ、飲みなよ。 シチューももうすぐできる。 もし他に聞きたいことがあったら、遠慮なく言ってくれ。 冒険者さんがこんなところまで来てくれるのは珍しいから、 俺もできる限り話すぜ。」



夕暮れの光が宿屋の窓を赤く染め、 暖炉の火がぱちぱちと優しく音を立てている。 食堂では、年配の行商人が静かにスープを啜る音と、 主人がシチューを掻き回す木べらの音が、穏やかに混ざり合っていた。


ワインの香りが、柔らかく鼻をくすぐる。



「冒険者が来るのは珍しいのか?平和なのかそれとも依頼を出す金がないのか…まぁ、事情は色々か。」

ごくりと飲み干し、杯を置く



「 この『渡し場の灯り』は街道沿いの小さな宿だから、 たいていは行商人や農民、時々巡回する衛兵くらいしか泊まらねえ。 冒険者さんはもっと奥の大きな街や、ダンジョン近くの宿に流れていくからよ。」


主人はワインの杯を軽く回しながら、続けた。


「平和……って言えば平和だが、金がねえってのもある。 この辺りの村々は豊かじゃねえから、魔物が出ても『自分でなんとかする』って我慢しちまうんだ。 ギルドに正式な依頼を出す金がないってのも、よく聞く話だぜ。」


「そうか… ま、よくある話ではあるな。」


報酬がなければ冒険者は動かない。


「狼について何か知ってたら教えてくれ、噂程度でも構わん」



主人はヨハクの問いに、太い腕をカウンターに預けながら、少し声を低くし暖炉の火をチラリと見てから、ヨハクに視線を戻した。


「狼の話か…… 最近、妙に活発なんだよ。 普通の灰狼じゃなくて、ちょっと大きめの黒い狼の群れがよく目撃されてる。 3、4匹で行動することが多くて、馬車を狙ってくるらしい。 ただの野獣じゃねえって噂もあってな…… 目が赤く光るって言う奴もいるし、 夜になると霧みたいなものをまとって現れる、なんて話もある。」


主人は少し肩をすくめ、声をさらに低くした。


「俺は直接見たわけじゃねえが、 先月、荷物を運んでた行商人が『狼に囲まれたけど、急に霧が出てきて逃げられた』って言ってたよ。 ただの狼じゃねえ……何か、魔物の気配がするってな。 バルドさんが無事だといいけど……正直、厳しいかもな。」


主人はカウンターから身を起こし、奥の厨房の方へ目をやりながら言った。


「シチューがいい具合に煮えてきたぜ。 席に着いて待ってな。 ワインはゆっくり飲めよ。 何か他に聞きたいことがあったら、いつでも声をかけてくれ。」


暖炉の火が優しく揺れ、 宿屋の中に鹿のシチューの濃厚な香りが、ゆっくりと広がり始めていた。

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