灰の上のインプロヴィゼーション、あるいは譜面を焼いて得た孤独な自由
練習室の床には、僕たちがそれまで崇拝していた楽譜の残骸が散らばっている。
燃え尽きた紙片から立ち上る煙は、無機質な匂いを伴って部屋の隅に溜まり、まるで僕たちのこれまでの矜持が灰になっていく様を証明しているかのようだった。
「……やりすぎたな」
僕は灰皿の中で燻る最後の一枚を見つめながら、乾いた声で呟いた。父マックス・ハミルトンの背中を追い続け、バークリーの権威を信じ、精緻な設計図を描き続けた日々。そのすべてが、今この瞬間、僕の手から離れて灰と化した。
メグが、背後からそっとRhodesの鍵盤に触れる。彼女の指先は、灰の付着した僕の手を無視するように、ただ静かにコードを奏でた。その音は、かつてないほどに純粋で、そして冷たかった。
「ショーン、やっと見つけたね」
「何をだ」
「キミの音だよ。設計図の中に閉じ込められていた時は、一度も聞こえなかった音」
僕は彼女の言葉に、反論しようとして口を閉ざした。
メグの言う通りだ。僕はこれまで、音そのものではなく、音が収まるべき「箱」ばかりを作っていた。完璧なポリリズム、計算されたテンション・コード。だが、その中には僕自身の呼吸などどこにもなかったのだ。
窓の外では、ボストンの冷たい風が校舎を揺らしている。僕たちは今、かつて僕たちが所属していた世界の、完全に外側に立っている。設計図を焼き捨てたことで、僕は「守るべきもの」を失った。だが同時に、誰からも指図されない、剥き出しの自由がそこにはあった。
「……メグ。この自由は、恐ろしく孤独だぞ」
「知ってるよ」
メグは鍵盤から手を離し、僕の目を見た。
「でも、その孤独を知らないと、本当の音楽は鳴らせないって、キミが教えてくれたんでしょ?」
僕は彼女の言葉に、皮肉げな笑みを浮かべることしかできなかった。
彼女は、僕という人間を解体し、再構築し続けている。僕にとっての設計図など、最初から彼女という名の嵐の前では無力だったのだ。
僕は灰皿を片付け、Rhodesの鍵盤蓋を開けた。
もう、楽譜はいらない。僕たちの前にあるのは、ただ真っ白な沈黙と、それを塗り替えるための衝動だけだ。
ドアの向こうでは、79話で僕たちが突きつけることになる新しい旋律が、荒野を駆ける準備を整えている。僕は深く息を吸い、迷いなく鍵盤に手を伸ばした。
行こう。灰になった設計図の先へ。
僕たちは、自分たち自身が音そのものになるために、この凍てつく夜の底へと飛び込む。




