紺碧の境界線を越えるためのスウィング、あるいは「欠陥品」の神学
メグが戻ってきた日、僕は彼女に何も言わなかった。
彼女の方も何も言わなかった。ただ、隣室のドアが開く音がして、しばらくしてフェンダー・ローズの音が壁越しに聴こえてきた。
それで十分だった。
翌日の夜、マルレの定期公演。ショーン・ハミルトンとメグ・ポッターが初めて同じステージに立つ夜。
ホールの袖で、僕は団員たちの最終確認を終え、メグの方を見た。
「怖いか」
「怖い。でも、怖くない時の音の方が、あたしは嫌いだから」
「——そうか。では行くぞ」
ステージへ歩み出た瞬間、ホールの空気が変わった。パリの聴衆は厳しい。百五十年の伝統を知っている。新参者への目は冷たい。
それでいい。
僕の右手が上がった。
マルレが、動いた。
シモンのサックスが、三ヶ月前とは別人の音を出した。ノエミのコントラバスが、低く深く地面から引き抜かれるような音を響かせた。
そしてメグが——弾いた。
彼女の音は、マルレのアンサンブルに溶け込まない。正確に言えば、溶け込もうとしない。彼女の音は常に、アンサンブルのすぐ外側に存在して、内側に手を伸ばしている。
その「外側からの引力」が、マルレを変えていく。
完璧なアンサンブルは、正解の音を積み重ねた建物だ。しかし今夜の音は、欠陥を抱えたまま立っている建物だ。ひびが入り、歪み、それでも倒れない建物。
聴衆が、息を止めた。
「見て、ショーン。境界線が、青く燃えている」
メグが言った。
拍手は、演奏が終わってから数秒後に始まった。その空白が、全てを語っていた。
伝統と呼ばれるものは、過去への敬意ではない。今この瞬間に「正しい欠陥」で立ち続ける意志のことだ。
「メグ」
「うん」
「——お前は、欠陥品ではなかった」
「知ってる。キミもね」
パリの夜が、静かに次のページをめくった。




