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終焉のファンファーレ、あるいは「座標」を棄てた僕たちが夢見る不協和音

ボストンの冬は、静寂さえも凍らせる。


深夜、バークリー音楽大学の裏通りにあるダイナー「Red Lantern」。ヴィンテージのレコードジャケットに囲まれた店内で、僕は一人、冷え切ったコーヒーを口にしていた。

S・ビッグバンド。

ミルヒーという名の生ける伝説が、気まぐれに拾い集めた変人たちの集団。

その最後を飾るはずの演奏会が終わった。

達成感などない。あるのは、胃の底に澱のように溜まった、不気味なほどの虚脱感だけだ。


「……あは。ショーン、そんな顔してると、また眉間に新しい『テンション』が刻まれちゃうよ?」


背後から響く、温度を欠いた、それでいて残酷なまでに澄んだ声。

振り返るまでもない。メグ・ポッターだ。

彼女は、青白い肌に死線のような青い瞳を宿し、僕の隣のバースツールに音もなく滑り込んだ。

彼女の体からは、古い楽譜の匂いと、微かな「生活」の香りがした。


「……アンタこそ、何をしている。明日はもう、ケープコッドへ帰るんじゃなかったのか」


「帰るよ。でも、その前に……キミのノイズを聴いておこうと思って。……ほら、キミ、今にも『爆発』しそうな音がしてるから」


メグは、無邪気に世界を解体するような笑みを浮かべた。

彼女には聞こえているのだ。僕がどれほど完璧な論理で武装しても、その内側で鳴り響く、不格好な「恐怖」の旋律が。


僕は立ち上がり、店を出た。

追いかけてくる足音。

雪が降り始めていた。

ボストン・コモンの噴水のそばで、僕は足を止めた。

ここだ。僕が十年前から、一歩も外へ出られずにいた場所。

飛行機恐怖症。船舶拒否。

僕は「才能」という名の翼を持ちながら、自分自身が作り上げた重力に縛り付けられていた。


「ショーン。……ミルヒーは行っちゃったね」


「ああ。あのエロジジイ、結局最後まで僕に何も教えちゃくれなかった」


「……違うよ。キミはもう、知ってるんだよ。……譜面の外側にある、本当の『ブルー』を」


メグが、僕のコートの袖を、幼い子供のように掴んだ。

その瞬間、僕の脳裏に演奏会の情景が蘇る。

僕が編み出した、緻密で数学的なアプローチ。

それを、彼女のローズが、無秩序なポリリズムで完膚なきまでに破壊し、再構築したあの瞬間。

僕は屈辱を感じると同時に、言いようのない解放感に包まれていた。

論理では説明できない、感情の爆発。

それこそが、ジャズの、音楽の、真の姿だった。


「……メグ。アンタは、どうしてあんな風に弾ける」


「……壊れてるから。……壊れてるから、キミの精密な言葉が必要なんだよ。……繋がって、ショーン。……アタシを、キミの『楽団バンド』から出さないで」


彼女の瞳に、深い孤独の色が混ざる。

僕たちは、似た者同士だった。

世界と上手く「接続」できない欠陥品。

ゴミ溜めの中で、ただ音楽という名の酸素を求めて喘ぐ、壊れた傑作。


「……やれやれ。欠陥品同士、仲良くゴミ溜めで共鳴しようっていうのか」


僕は、彼女の冷たい手を握り返した。

驚くほど小さな手。

だが、この手が、世界を揺らす音を奏でる。


「ニューヨークに行く。……明日だ」


僕は、自分でも驚くほど静かに言った。

恐怖が消えたわけではない。

墜落のイメージも、溺死の記憶も、依然として僕の魂を蝕んでいる。

だが、それ以上に、僕は見たいのだ。

彼女の奏でる「野生の宝石」が、本場のジャズ・シーンでどのように磨かれ、あるいは全てを飲み込んでいくのかを。


「……ワープ航法は使えないけど、バスなら行ける」


「バス? あは。……ショーン、それって『銀河鉄道』より時間がかかるんじゃない?」


「うるさい。……アンタも連れて行く。……僕の助手として、こき使ってやるから覚悟しろ」


メグは、一瞬だけ目を見開き、それから、これまでで最も美しい、そして残酷な笑みを浮かべた。


「……うん。……キミについていく。……地の果てまで、不協和音を響かせに」


雪が、激しさを増していく。

僕を縛り付けていた「座標」は、今、白銀の闇に溶けて消えた。

僕たちは、もう後戻りはできない。

論理と本能が、愛と憎しみが、ジャズという名の巨大な渦の中で溶け合い、一つの巨大な「うねり」となって僕たちを突き動かす。


ボストンの冬の終わりに、僕たちは新しいコーラスを書き始めた。

それは、誰にも予測できない、即興演奏の始まり。


「ショーン。……お腹空いた。……キミのパスタ、食べたい」


「……ったく。アンタの食欲だけは、どんな時でも『安定』してるんだな」


僕は溜息をつきながら、それでも、かつてないほど自由に呼吸している自分に気づいた。

孤独を調律するための闘いは、まだ始まったばかりだ。

だが、隣にこの「ノイズ」さえも音楽に変える少女がいる限り、僕は、どんな不協和音も愛せるような気がしていた。


終焉のファンファーレは、同時に、開幕の合図でもあった。

僕たちのブルー・ノートは、今、夜の静寂を切り裂いて、まだ見ぬ聖地へとスウィングし始めたのだ。

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