凍てつく青の狂詩曲、あるいは聖者が座標を捨て去るための即興劇
ボストンの湿った地下室。僕は、手書きの楽譜をすべて床に放り投げた。
それは、父が積み上げた数十年分の「音楽の真実」であり、僕を縛り付けていた完璧なる調和の残骸だ。
「ショーン、やっとその檻から出たんだね」
メグがローズピアノの蓋を閉める。乾いた音が地下室に響き、僕の心臓の鼓動と重なる。
「座標なんて、最初からどこにもなかったんだ」
僕は呟く。バークリーでの日々、父の背中を追っていた自分、追放された後の焦燥。そのすべてが、この凍てつく部屋のノイズの中に消えていく。今、僕の目の前には、理論という名の地図を持たない、真っ白な世界だけがある。
「メグ。僕の最後のエリートとしての礼を、君に捧げる」
僕はギターのチューニングを狂わせた。
あえて不協和音を作り出す。それは父への反逆であり、同時に、メグと共に見る新しい宇宙への招待状だ。
演奏が始まる。
それは狂詩曲というよりも、解体劇だった。僕のギターが理論を刻み、メグの鍵盤がそれを塗りつぶす。美しさと醜さが反転し、昨日までの僕を構築していたルールが、一音一音、灰へと帰していく。
「もっと遠くへ行けるよ。座標のない場所へ」
彼女の言葉に呼応するように、僕の指がフレットの上を疾走する。
痛みはない。あるのは、重力から解放された魂の震えだけ。
演奏が終わったとき、僕は知った。
かつて僕を支配していた「父という座標」は、もう僕の中には存在しない。僕は聖者であることをやめ、ただの自由な音楽家として、この冷酷なボストンの底で、最初の呼吸をした。
「さて、次はどこへ行こうか、メグ」
窓の外には、終わりなき凍土が広がっている。
けれど、もう怖くはない。僕たちには、地図にない場所へ飛ぶための、青い旋律があるのだから。




