凍てつく青の狂詩曲・パリ篇、あるいはセーヌの底で溺れる天才たちのジャム・セッション
セーヌの河面に反射する街灯の光は、濁った銀色を帯びている。
ボストンの凍てつく白とは違う。パリの冬の光は、もっと重く、もっと古く、そして何百年分もの人間の欲望と失望を吸い込んで、鈍く輝いている。
シュタイン(ミルヒー)が、「視察と称した道楽旅行」に連れてきてくれてから、まだ三日しか経っていない。
「ここがお前たちの未来の舞台ヨ。存分に感じてきなさい」——そう言い残して、彼はどこかのスト◯ップ劇場へと消えた。残されたのは、僕とメグ、それに入門証代わりの一枚の紹介状だけだ。
ル・マルレ・ジャズ・オーケストラの練習場。石造りの壁に囲まれた、伝統の檻。ボストンのあのゴミ溜めのような倉庫とは、何もかもが違う。広さも、設備も、歴史も、そして——重さも。
「……また、来たのか」
練習場の隅、Fender Rhodesの前に座る人影に、僕は声をかけた。
振り返ったのは、メグ・ポッターだった。
青白い肌。死線のような青い瞳。ボストンのゴミ溜めで初めて会った時と、何一つ変わっていない。変わっていないのに、何かが違う。
この街の光が、彼女を違う色に見せるのか。
それとも、僕の目が変わったのか。
「……ショーン。パリの音、重いね」
メグが、鍵盤に指を置きながら言った。
「ボストンの音は、凍ってたけど、軽かった。こっちの音は……なんか、地下に潜ってる感じ。カタコンベみたいな」
「余計なことを言うな。練習の邪魔だ」
「邪魔してないよ。接続してるだけ」
僕は舌打ちし、愛用のギブソンのフルアコを手に取った。
今日の目的は、ル・マルレの音を「解読」することだ。パリで最も長い歴史を持つこの楽団の練習を見学させてもらい、彼らが何をどう「重く」しているのかを、分析する。
練習場には、すでに数人の奏者が集まっていた。老いた壁画のような顔をしたアルト奏者。指が変形するほど弦を弾き続けてきたであろうコントラバス。彼らの動作には、ボストンにはない「積み上げてきた時間の密度」が染み込んでいた。
「……あは」
メグが、周囲を見渡して静かに笑った。
「みんな、すごく正しい音がする。でも——ちょっと、息が苦しそう。ボストンのハリセンみたい」
その一言が、全てを言い当てていた。
完璧な技術。完璧な様式。しかしその完璧さが、奏者たちを型の中に閉じ込めている。
僕は、ここで何をすべきか——初めて、うっすらと見えた気がした。
いつかこの場所に戻ってくる時、僕は「伝統を壊す者」として来るのではない。
伝統の内側で窒息しかけている「音」を、外へ解放する者として来る。
「……メグ」
「うん」
「お前の耳には、この楽団の『何が死にかけているか』が聴こえるか」
彼女はしばらく目を閉じ、奏者たちの音に耳を傾けた。
それから、静かに言った。
「……楽しそうな音が、ひとつもない」
それで十分だった。
ボストンに帰ったら、僕は設計図を書き直す。ガラクタたちを本物の楽団に仕上げ——いつかここへ、正面から乗り込む。
セーヌは、今夜も冷たく流れている。だが、その流れの底には確かに、まだ誰も掘り起こしていない音が眠っていた。




