銀河の果てのポリリズム、あるいは青い獣と踊るための終着駅
パリの冬。その静寂は、鋭利な剃刀となって僕の首筋を撫でる。
サル・プレエルでの狂乱は、もはや遠い前世の出来事のように感じられた。名門「ル・マルレ・ジャズ・オーケストラ」の再生。鳴り止まないスタンディング・オベーション。歴史を塗り替えたジャズ・スタンダードの解体と再構築。そのすべてを置き去りにして、僕は今、セーヌ川の濁流を眺めている。
「……あは。キミ。……おいてかないでよ」
背後から届いたのは、鼓膜を優しく、だが残酷に震わせるあの声だった。
メグ・ポッター。
ゴミ溜めのような部屋で、フェンダー・ローズの歪んだ音色を撒き散らしていた野生の天才。
僕をボストンという「座標」から救い出し、同時に、僕の人生という完璧な数学を台無しにした青い傑作。
彼女は、冬の冷気に青白く透けた肌を震わせながら、僕の隣に立った。その瞳には、かつて見た「死線」のような冷徹さはなく、ただ迷子のような、あまりにも純粋な光が宿っている。
「キミはさ、……どうして、そんなに急いで走るの? ……あたし、追いつくので精一杯だよ」
僕は冷笑を浮かべ、コートの襟を立てた。
「走っているんじゃない。落ちているだけだ。……音楽という名の、底なしの深淵にな」
「……あは。……カッコつけすぎ。……でも、そういうところ、キミらしいよね」
彼女は無邪気に笑う。その笑顔が、僕の胸の奥にある、最も脆い部分を正確に射抜く。
僕たちは、あまりにも似すぎている。
完璧主義を標榜しながら、その内側に破壊的な衝動を隠し持っている僕と。
すべてを解体しながら、その破片の中に絶対的な美しさを求めている彼女。
僕は、彼女の冷え切った指先を、自分のポケットの中へと引き寄せた。
「……メグ。お前はこれから、どうするつもりだ? ……ニューヨークのワークショップか? それとも、ケープコッドへ帰って海苔でも養殖するのか?」
彼女は一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、吸い込まれるような青い瞳を僕に向け、静かに首を振った。
「……あたし、決めたんだ。……キミの隣で、キミが書く、世界で一番難しいスコアを、誰よりもめちゃくちゃに弾きこなすって」
「……地獄だぞ。僕の要求は、理論とスウィングの限界を超えた数学だ」
「……あは。……望むところだよ。……だって、あたし、キミの『接続』がなきゃ、息もできないんだもん」
その言葉は、どんなテンション・コードよりも複雑で、どんなブルーノートよりも美しかった。
僕は、彼女の肩を抱き寄せた。
かつて僕を縫い止めていた「トラウマ」という名の重力は、もうどこにもない。
飛行機恐怖症? 船舶拒否?
そんなものは、彼女と共に空を飛び、海を越えるための、ただの言い訳に過ぎなかったのだと、今ならわかる。
「……行こう、メグ。……次のステージが、僕たちを待っている」
「……うん。……キミ。……あのさ」
「なんだ」
「……お腹、空いた。……キミの特製パスタ、食べたいな。……パリの高級レストランより、ずっと美味しいやつ」
僕は溜息をつき、苦笑した。
「やれやれ。……僕をなんだと思っている。……一流のバンドリーダーを、ケータリング業者か何かと勘違いしていないか?」
「……あは。……キミは、あたしの、専属シェフだよ。……一生ね」
パリの夜空に、雪が舞い戻ってくる。
それは、過去のすべてのノイズを覆い隠し、新しい譜面を白く染めていくようだった。
僕たちは、歩き出した。
座標のない、終わりのない、僕たちのための組曲を奏でるために。
伝統と革新がぶつかり合い、理論が感性に跪く、その臨界点を目指して。
そこに鳴り響くのは、誰にも、運命にさえも予測不可能な、僕たちのためのブルー・ノート。
再会と、破壊と、そして永遠の共鳴を告げる、銀河の果てのスウィングだった。
僕は、隣を歩く「青い獣」の温もりを感じながら、確信していた。
この欠陥品同士の狂詩曲は、これから世界を、もっと鮮烈に、もっと残酷に、焼き尽くしていくのだと。




