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紺碧の再接続(リコネクト)、あるいは「欠陥品」が廃墟のクラブで奏でる贖罪の夜

パリの冬。その静謐は、鋭利な剃刀のように僕の肺胞を切り裂き、無機質な暴力となって降り積もる。


ニューヨークで「野生の宝石」が輝きを爆発させ、そして霧のように消えたという報せを受けてから、僕の脳内は常に、解決不能なポリリズムに支配されていた。 シャルル・オクレールの元を去ったメグ・ポッター。 彼女が最後に残したという録音を、僕は何度も、それこそ擦り切れるほどに再生した。


「……あは。キミ。またそんな、地獄の門番が算数に失敗したみたいな顔をして」


スピーカーの向こう側で、彼女が笑う。 理論を嘲笑い、楽譜を灰にし、ただ「音」そのものと心中しようとする、壊れた青い傑作。 そこに刻まれていたのは、僕が教えた端正なスウィングなどではない。 魂を削り、摩天楼の闇を凝固させたような、あまりにも純粋で、あまりにも残酷なジャズ・スタンダードだった。


僕は、マルレの練習場で立ち尽くしていた。 団員たちの視線が、針のように僕の肌を刺す。 僕が手にしているのは、一音の狂いもなく書き上げられたはずの、最新のスコアだ。 だが、今の僕には、それがただの「死んだ記号の羅列」にしか見えない。 メグがいない世界で、僕が紡ぎ出す論理に、果たして何の意味があるというのか。


「ショーン。練習を始めないのか?」


リード・アルトのトーマス・シモンが、苛立ちを隠さずに問いかける。 僕は、無言でスコアを譜面台に置いた。 本来なら、ここで僕が冷徹なアレンジャーとして彼らに「正解」を叩き込むべきだ。 だが、僕の指先は、意志を持たない氷の彫刻のように冷え切っていた。


僕は、僕自身の存在を呪う。 彼女を広い世界へ連れ出し、さらなる高みへと突き落としたのは、この僕だ。 飛行機恐怖症という鎖を断ち切り、ボストンという「座標」からパリへと飛び立った僕を、強引に引き留めようとしていたものが、今、逆に僕を縛り付けている。


ニューヨークから届いた最新の報告によれば、メグはパリへ戻っているという。 だが、彼女は僕の元へは来ない。 僕のアパートの隣室、あのゴミ溜めの聖域に、彼女の気配はない。


「……やれやれ。欠陥品同士、仲良くゴミ溜めで共鳴しようっていうのか」


かつて吐き捨てた言葉が、熱鉄となって僕の喉を焼く。 欠陥品だったのは、僕だ。 彼女という、論理の外側にある「光」がなければ、自分の音楽の輪郭さえ掴めない、哀れなサラブレッド。


僕は、練習を打ち切った。 困惑する団員たちを置き去りにし、僕はパリの石畳を走り始めた。 吐き出す息が白く凍り、肺を焼く。 どこだ。お前はどこにいる。 オクレールという「知の巨人」さえも拒絶したお前が、今、どこの片隅で、どんな音を鳴らしている。


不意に、耳の奥でFender Rhodesの歪んだ音が聞こえた気がした。 それは、かつてボストンのアパートで、僕の脳髄を叩き割ったあのノイズ。 僕は、吸い寄せられるように、場末のジャズ・クラブの扉を蹴り開けた。


そこは、煙草の煙と安酒の匂いが充満する、音楽の墓場のような場所だった。 だが、その中央。 スポットライトさえ届かない闇の中で、一人の少女が、壊れかけた鍵盤に向き合っていた。


青白い肌。 死線のような、青い瞳。


「……メグ」


僕の声は、喧騒にかき消された。 彼女は、僕の存在に気づかない。 ただ、一心不乱に、既存のコード理論を完膚なきまでに解体していく。 彼女が奏でるのは、かつて僕が教えた『Round Midnight』の断片。 だが、それはもう、僕の知る曲ではなかった。 絶望と、渇望。 そして、僕という呪縛から逃れようとする、必死の足掻き。


僕は、理解した。 彼女は、僕を拒絶しているのではない。 僕という「正解」に守られた自分を、殺そうとしているのだ。 一人のミュージシャンとして、僕と対等の地獄に立つために。


「あは……キミ。……やっと、接続リンクできましたね」


鍵盤を叩く彼女の指先から、一筋の血が流れる。 それでも彼女は止まらない。 ノイズが音楽に変わり、音楽が魂の悲鳴へと変貌する。 その凄絶なポリリズムを前にして、僕はただ、立ち尽くすことしかできなかった。


僕は、自分の非力さを知る。 エリート学生。伝説の二世。そんな肩書きは、彼女が鳴らす本物の「ジャズ」の前では、紙屑同然だ。 僕は、彼女を支配しようとしていた。 僕の書く完璧なスコアの中に、彼女という「不確定要素」を閉じ込めておきたかった。 だが、それは彼女に対する、最大の冒涜だったのだ。


僕は、彼女の隣に歩み寄った。 彼女の指が、僕の存在を感知して、一瞬だけ揺れる。 僕は、彼女の奏でる無秩序なコードに、僕自身の論理ロゴスをぶつけた。 連弾。 それは、会話などではない。 互いの魂を削り合い、どちらが先に崩壊するかを競う、血みどろの儀式だ。


「……壊れてる。だから、キミが必要なんだよ」


メグが、無邪気に笑う。 その笑みは、残酷なまでに純粋で、僕の心臓を射抜いた。


パリの夜が、深く、紺碧に染まっていく。 僕たちは、設計図のない航海に出たのだ。 目的地など、もうどこにもない。 ただ、この凍てつく夜の底で、互いのノイズを共鳴させ続けること。 それが、僕たちという「欠陥品」に許された、唯一の救済。


雪が、窓の外で静かに降り積もる。 僕の論理は、今、彼女の情熱によって焼き払われた。 明日には、また新しい地獄が待っているだろう。 だが、それでいい。 この青い瞳の傑作が、僕の隣で笑っている限り。


僕は、僕自身のタクトを、心の中で粉々に砕いた。 これからは、僕もまた、一人の「ノイズ」として生きていく。 お前が見ている深淵を、僕もまた、この目で見るために。


紺碧の境界線は、今、スウィングする音の渦の中に消えた。 僕たちは、ゴミ溜めの中から、銀河コスモスを見上げている。 そこに鳴り響くのは、世界で最も美しく、最も壊れた、僕たちのためのジャズ・スタンダードだった。

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