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全てはあなただけのために―7

≪坂ノ下夏≫


 扉を開くと、教室の自分の席にあたしは座っていた。


「え? え? ここって、教室……?」


 パンを齧りながら友人に喋りかける三谷。スマホの画面をじぃーっと凝視している相沢。友人同士のトランプで一抜けしたのか、カードを机に叩きつける熊井。見回してみるとクラスメイトたちが各々自由に過ごしており、ようやく時計を見たあたしは今が昼休みなのだという確信を得る。


 えーっと……あ、そうか。あたし、昼休みになってすぐ寝ちゃってたのか。


 四限目の歴史の授業が退屈すぎて、昼休みが始まってすぐ、あたしは微睡みの中に埋もれていった。特に仲良くする相手も、話したい相手もいないあたしを起こす暇人なんて誰もいない。

 高校二年に進学してまだひと月も経っていない。それなのに誰もがクラスという一種のコミュニティに溶け込んでいく中、あたしは一人だけ取り残されていた。クラスメイトの囁く声に「坂ノ下さんってクールだよねぇ」など「なんかいっつも無愛想で話しかけづらいよねぇ」などと、あたしの性格を勝手に決めつけられる。


 はいはい。どうせあたしが悪いですよーだ。とっとと上辺だけの友達つくって孤立してるぼっちを不審がるのがあんたらの正義なんでしょ?


 そんな連中にあたしが話しかけることはなく、益々みんなから遠ざけられていく。話しかけないのはそっちだって一緒なのに、こっちがみんなの輪に入りに来ないのが悪とされる。一人でいればいるほどに、ぼっちには様々なレッテルが貼られ続けていくのだ。


 もうぼっち仲間なんていないかー。


 一番後ろの、窓際から二つ目にある席からクラスを見回す。誰もが誰かと会話していたり、友達同士の輪を作っていた。寂しいわけではないけれど、ぼっちの気持ちをわかってくれるのはぼっちだけなんだろうなー、なんて、淡い期待を持ってしまっていた。

 淡く、希薄な期待は意外にも当たる。それは隣の席にいた。

 隣の席でさっきまでのあたしと同じように机に伏せっている男子。丸まった背中は深い呼吸によって微かに上下している。おそらく寝ているのだろう。


 隣の席にいる奴は……ああ、そうだ。


 冴えない頭で思い出したのは、この教室の中で存在感を潜ませ続ける一人の名前。自己紹介の時には手芸部に所属していると言っており、顔も容姿も体格も地味な奴だという印象を受けた。


「ん、んん……?」


 まるでドームが開くように上乃はのっそりと頭を上げ、寝ぼけ眼で時計を見る。目元を腕で擦りつけながら大きなあくびをする上乃を見て、あたしはつい声を出していた。


「あ、起きた」

「んえ? どうしたんだ、えっと……坂ノ下」


 不安定にもほどがある声で上乃は言った。別に感想を口にしただけで、これといって用があるわけでもない。けれども、このクラスでは珍しいあたしと同じぼっち属性持ちの相手に、いろいろと聞いてみたくなった。


「どうもしてないよ。昼休みなのにぐーすか寝てる上乃が珍しいなって、そう思っただけ。あんたさぁ友達いないの?」

「んー、いるかいないかで言ったら……いない。というか一人もいない」

「はっきり言うねぇ。クラス替えしてまだ全然経ってないじゃん。友達つくろうとか考えないの?」

「なんだよ? 坂ノ下はそんなに友達が欲しいのか? 僕を友達にしたいのか?」

「いや…………友達なんて必要ないし、あんたみたいな――」


 あたしは言葉を止めた。言ってはいけない予感がざわついた。

 ――地味で頼りなさそうな男の友達なんてあたしは要らない。別に友達が欲しくて上乃に声をかけたわけじゃないし。

 そう続けるつもりだった口が勝手に止まった。でも、あたしは再び口を動かす。


「……地味で頼りなさそうな男の友達なんてあたしは要らない。別に友達が欲しくて上乃に声をかけたわけじゃないし。あたしと同じぼっちのあんたがこのクラスを見てどう思ってるのか、ちょっと気になっただけ」

「ふぅん。そうか」


 自分でも辛辣な言葉を並べ立てた自覚はある。上乃の挑発じみた言葉を聞いて、心の中では苛立ってしまったのかもしれない。

 あたしの対抗に上乃はびくともせず、見下すような目であたしを見た。


「じゃあ、今後二度と話しかけないでくれよ。友達でもないし赤の他人同然のおまえに言われることなんて僕には何もない」


 そして、まるで遠ざけるように言い放つ。


「僕だって、坂ノ下は要らないよ」

「……あっそ」


 あたしたちの会話は終わった。文字通り会話をすることは二度となかった。

 クラスメイトで隣の席に座っていたとして、話す意欲が湧かなければこうも無関係でいられるものかと、高校二年生という一生に一度しか訪れない一年間を、上乃の隣で無気力に過ごしていた。隣り合う席は他の誰よりも近いというのに、あたしと上乃の間にある見えない壁は、いくら叫び声をあげたところで向こう側には届かないほどに分厚かったのだろう。


 冬が過ぎ、春が訪れ、終業式を終えたあたしは、誰とも別れを告げないまま教室を後にする。


 ひどくつまらない教室だった。

 ひどくつまらない……人生だ。


 教室を出た瞬間、目の前の景色が真っ白になった。

 あたしの目から涙が頬を伝い、零れ落ちた。


「あ、ああ……。こう、なっちゃうんだ――っ、上乃のいないあたしは、こんなにも寂しかったんだ」


 扉の先で見せられたあたしの一年間は、上乃のいない日々だった。

 いつもしつこくあたしに話しかけてくれる上乃。あたしにはそれができなかった。

 一人でいることに慣れて、自分では何も成せやしないと思い込んで――目の前にあったかもしれない些細な幸せを自分から手放してしまっていた。

 あたしにしつこく話しかけてくれたのは、あんただったよね? あんたのしつこくって、めんどくさくって、しょうもない話が、あたしを救ってくれてたんだね。


『はははっ! 坂ノ下って、案外面白いやつだなっ!』


 初めて見た上乃の笑顔を思い出した。


「ねえっ、うえのっ……あんたはっ、これからもあたしと、仲良くしてくれるよね……」


 あたしは一人泣いていた。真っ白の誰もいない世界は、あたしが一番恐怖を感じる瞬間を切り取ったようだった。


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