全てはあなただけのために―6
≪望月玲≫
扉を開くと、私の全身を勢いよく風が通り抜けた。
「ここは……あれ、私どうして屋上にいるの?」
そこは自分の通う学校の屋上。生徒に開放されてはいないが、異性に告白する場として一部では有名となっている。初めて屋上に立ってみると、思いのほか広く、無機質な床面に心細さを感じた。
何か忘れているような気が……。…………あっ、そうだ!
思い出した。私はこれから……告白するんだ。
異性に告白する場として、屋上は一部で有名となっている――その一部に漏れず、私は親友である美弥に頼み込み、想いを寄せる男子生徒をこの屋上へと呼び出していた。
告白のことを意識した瞬間から顔が熱く、胸の鼓動がうるさくなっていた。一人でいる屋上は広かろうと、心細かろうと、そんなことはもうどうでもよくなっている。
「き、緊張するわね……。告白なんて初めてなんだもの。仕方ないわよね」
心を静めるように自分に言い聞かせてみても、鼓動は大人しくしてくれない。鼓動が脈打つ度に身体全体が揺れ、まるで全身が心臓にでもなってしまっているかのようだ。
「ふぅー。…………でも、どんなに緊張してでも、私には想いを告げたい相手がいるのよ」
分厚い曇り空に向かって息を吐いた。吹きすさぶ風は冷たく、夏の蒸し暑さと身体の火照りを和らげてくれる。緊張感に追い込まれ、私は深呼吸をしながら『彼』の到着を待ち続けた。
――ガチャリ。
鉄製の重々しい扉を開いて現れたのは、上乃弦二――私の片想いする相手だ。
平凡を全身に塗り付けたような男の子。手芸部に所属していて、地味な存在感を隠そうとせず、ひけらかすこともなく、常に平均台の上を揺れ動いているような人。
どうしてこんな人を好きになったんだろう?
身長は高くもなく低くもない。どこかぼんやりとした顔をしており、揺れる前髪の奥で見え隠れする視線は、どこか遠くを見つめていた。
「望月。どうして僕はここに呼ばれたんだ?」
上乃君は、自分の足で歩いて今この場所に立っているのに、その理由を知らないでいる。それはなぜ呼び出したのかは伝えていないから。
今から、私が伝えるんだ。
「あ、ありがとう。上乃君。……来てくれて」
自分でも言葉尻が消え入りそうになっているのがよくわかった。緊張していて上手く声を張れない。心臓が破裂してしまいそうで、胸が苦しくなっていた。
「私が、美弥……奥野美弥に頼んで来てもらったの」
「そういえば僕を呼びに来たのは奥野さんだったな」
「うん。あなたに来てもらったのは、私があなたに伝えたいことがあるから」
呼吸が止まってしまわないように、胸に手を添えながら話した。上乃君は私の声を惚けたような表情でずっと聞いていた。
はぁ、だめ……、息が途切れそう。こんなに苦しいのならいっそのこと……。
緊張感に追い込まれてしまった私は、会ったばかりでろくな前置きもしていないのに、最後の手段を使ってしまった。
「わたし、わたしは……、――っ、上乃君が好きいぃぃっ! 大好きなのぉっ!」
こんなにも獣の咆哮のように声を出したのは生まれて初めてだった。分厚い雲を吹き飛ばすつもりで、上乃君の鼓膜を破ってやるつもりで、私は自分の気持ちを吐き出した。
叫んだ時に閉じていた目を恐る恐る開き上目遣いで見てみると、上乃君の前髪がバサバサと揺れて顔がよく見えなかった。
言っちゃった。私、上乃君に告白したんだ。
俯いてから再度目を強く閉じた。風が止んでも顔を上げることができなかった。
「ありがとう。望月」
優しい声。私はこの声を好きになったのかもしれない。
「でもごめん。僕は君の気持ちに応えられない」
「――っ」
思わず息を呑みこんでしまった。期待していた心に拒絶の言葉を被せられ、光を見失ってしまったかのようだった。
「そうよね……ごめんなさい……ちなみに私のどんなところがダメだったのか、教えてもらってもいいかしら?」
悪あがきのような質問だ。けれど、私はまだどこかに希望を見ていたのだろう。
「……噂で聞いたんだけど、望月って男遊びが好きなのか?」
「え……? な、なに?」
うまく聞き取れなかった。いや、聞きたくなかったのかもしれない。それでも、聞き返してしまう私は、上乃君の言った言葉が聞き違いであると思いたかった。
「望月ってモテるだろ? 男をとっかえひっかえしていろんな奴と遊んでるって、そんな噂を聞いてさ。ん、まあ、そういうことに喜びを覚える人って少なからずいるとは思うんだけど、正直僕にはわからないな」
上乃君は言いづらそうに顔を背けていた。そんな顔を私は見たくない。
私はそんなことした覚えなんてない。第一男の子に告白するのだって初めてなのよ? そんな噂、嘘に決まってるじゃない!
「ちょ、ちょっと待って! 私はそんな……」
このままでは私の人生初の告白は無残な結果に終わってしまう。それだけは……。
「こんな僕に告白してくれてありがとう。それじゃ……」
私の静止の声など聞こえていなかったかのように、上乃君は屋上から去ってしまった。屋上の扉へと伸ばした手はもう誰にも向いていない。鼻がツンとなってきて、目の周りが熱を持ち始める。それは悲しみが溢れ出る予兆であった。
どうして私の声に立ち止まってくれないの? 振り向いてくれれば、私のことを全部教えてあげられるのに……。絵本が好きなこととか、南雲さんに劣等感を持っていることとか、私の全てをこれでもかってくらいに、わからせてあげるのに。
好き――本当にあなたのことが好きなのに、その気持ちを伝えられない苦しさが、こんなにも辛いだなんて。
「私…………上乃君に、なんてひどいことを、したのかしらね」
涙が頬を流れ落ちる感触を味わったのはいつ以来だろう。いくら涙で歪んでも、灰色の空は少しも形を変えてはくれなかった。
頬から滴る涙を掌で受け止め、ギュッと握りしめる。その手を胸に当てると、上乃君の悲しみが流れ込んでくるようで、私は嗚咽の声を抑えることなく泣き叫んだ。
ひとしきり泣き終えた後の空は、真っ白になっていた。




