全てはあなただけのために―1
ジメついた手芸部の室内で、詩由、望月、坂之下の三人は互いも互いに睨み付けた目を誰も逸らそうとはせず、そんな三人を僕は腰を抜かしたまま見上げていた。三人からの求愛、そして衝突――この現状を打開する術を僕は見つけられないでいた。
しかし、この泥沼化しそうにあった空間を消し去るものは、唐突にその存在感を顕にした。
「……あれ、これって」
なんの偶然か、仁王立ちする三人の中央に転がっていたのは僕が作っていた狐の人形だった。望月がその人形に気がつき手に取った。
「これって……涼音さんのぬいぐるみ?」
「え?」
そして、望月は意外な人物の名を述べた。それは僕にとって聞き覚えのある名前だった。
「思い出した……兄さんこれ、おじいさんの家で見たことあります!」
続いて声を上げたのは詩由だ。先ほどまでの冷徹な表情は見る影もなく、今はただただ驚いていた。
僕も詩由に言われて記憶の引き出しを漁って見たものの、この狐のぬいぐるみの輪郭すら現れてこない。
「そうだったか? 言われてみても全然思い出せないんだが」
「いや、私は確かに見た。これは……」
いつも堂々と立ち振る舞う詩由にしては珍しく、息を呑んではいい淀み、
「涼音叔母さんが、大事にしてた人形」
望月と同じ名前を口にした。
「叔母さん……って涼音叔母さんの?」
「ちょっと待って……私も知ってる」
もしやとも思ったが、今度は先ほどから狐のぬいぐるみを見て神妙な顔をしていた坂之下が声を上げた。
「私が小さい頃、よく店に来てくれた人……私のおばあちゃんがその人にこの人形と全く同じものをあげたんだ……」
その場にいる一同が坂之下の言葉に耳を傾けた。一度なりを潜めた雨音が、またやけに大きく聞こえ始めた。
「その人の名前は、涼音さん……だった」
この手芸部にいる僕ら四人が思い浮かべている人物は僕と詩由の叔母である上乃涼音――その人で共通していた。
まず、僕と詩由の叔母である涼音叔母さんは僕の父さんの妹だ。幼い頃から虚弱体質で、ことあるごとに入退院を繰り返していた人。詳しい病名は聞いたことがなかったのだが、どうやら心臓に重い疾患を患っていたそうだ。
年齢は二十六歳。父さんが十一歳の時に叔母さんは生まれている。
「ええぇっ? 叔母さんが二十六歳?」
「九歳歳上の叔母さんかぁ。私の身近にはそんなに年の近い叔母さんもいないからちょっとびっくりね。それに涼音さんってすっごい美人なんだもん」
望月の言うように僕が生まれたのは父さんが二十歳の時だから、僕と叔母さんの年齢差は九歳差である。僕からしてみると身内である分美しい女性という印象は薄いが、『薄幸の美女』と例えると、確かにしっくりくるかも知れない。
そんな叔母さんは父さんの死後、快復の一途を辿り退院後はじいさんの家で暮らしている。時折僕の住むアパートに叔母さんからの手紙が届くのだが、一人暮らしをする僕の心配ばかりの内容で少し困ってしまうものだ。
「じゃあ望月は公民館での朗読会で叔母さんに会ってるんだ?」
「そうね。いつも涼音さんにいろんな物語を聞かせて貰ってるわよ。涼音さんに聞いてみたら、子供たちが驚いたり悲しんだり笑ったりする表情の移り変わりを見るのが楽しいんだって」
そっか。叔母さん、自分の好きなことをやれているのか。
望月の話を聞いて心に生まれたのは安堵だった。叔母さんに子供っぽいところがあるのを知っている身としては、元気になってやりたいことをやれている叔母さんを思い浮かべ、ついつい笑ってしまう。詩由も僕と同じように笑顔をこぼしていた。
「私はあんまり覚えてないんだけど、おばあちゃんの話ではよく涼音さんがお兄さんと一緒にうちの人形店に来てたみたい。昔撮った写真に涼音さんが人形を抱えてるものがあったんだけど、もうまさにこの人形と一緒だね」
坂之下の話によると、その涼音さんが持っている人形は僕が作った人形と瓜二つで、世界に二つとない坂之下のおばあさんのお手製のようだ。
「でも、詩由はともかく、望月と坂之下も叔母さんを知ってるなんてな」
「そうだね。偶然にしては出来すぎてる気も……」
「まあな。でも驚きはしたけど別に大して――」
ん? あ、あれ……?
急に頭に靄がかかった。頭の中が暗闇で満たされる感覚に僕はつい人形を床に落としてしまった。
「兄さん? 大丈夫?」
後ろに倒れそうになってしまったがなんとか踏みとどまり、重みの増した頭を右手で抱えた。俯く僕を心配し、詩由が僕の顔を覗き込んでくる。
「気分悪い? とりあえず座って」
詩由に促され僕は共有スペースのソファーへと座った。座ったらなんとか意識ははっきりしてきたけれど、頭の重みはまだ残っている。
「だ、大丈夫か上乃? ゆっくりしときなよ」
「体調よくなかったの? 顔色も悪いし……」
病人を労る眼差しで、望月と坂之下も僕を心配してくれていた。僕のことが気になるとか好きだとか言う話をみんな忘れてしまったようであった。
「私たちが兄さんに言い寄った所為で心労が祟ったのかもしれません。兄さんの気持ちも考えずに。ごめん、兄さん」
「大丈夫だよ。みんな大げさだって。ちょっとふらついただけなんだから」
そう言ってひょいとソファーから立ち上がってみる。思ってた以上に意識は回復しており、僕は何でもないように腕をブンブン振り回した。
「そう。よかった……なんか突然押しかけちゃって悪かったし、今日はもう帰るわね」
望月の一声で女子勢三人は同調し、その場はひとまず解散となった。送っていくと僕に言い寄る詩由をなんとか拒み、僕は一人帰路に就く。三人から僕に寄せられる想いを聞き、気持ちの整理と、今後の三人に対する接し方に一人で頭を悩ませる必要を感じた。
雨は上がっていて雲間から青空が覗けるまでに天気が良くなっていたが、まるで消えた雲が僕の心の中に入ってきたようで、空を見上げては一つ、溜息をついた。




