せめぎ合う恋心―8
外の雨が激しく窓を打ち、時折雷が薄暗い外を明滅させている。そんな荒々しい天候などに意識を向けている余裕もなく、僕は逃げ場を失っていた。
詩由に押し倒され、顔を近づけられた僕はどうすればいいかわからなかった。頭突きでもしてやればいいのか。汚い言葉を吐き捨てればいいのか。とりあえず様子のおかしい詩由と落ち着いて話をするためにもこの状況を打開する必要があったが――。
――ガラッ。
助けは思わぬ方向からやってきた。
「あんたたち……なに、してんの?」
「南雲さん、上乃君……」
しかし二人の目は助けに来た者のそれではなく、異物を見つけた時のように僕らを見下ろしていた。
「さ、坂之下!」
僕はとっさに一人の名前を呼んでいた。自分の思考がテレパシーとなって誰かに伝わるとするならば、坂之下となら有り得ると思った。
詩由をどうにかしてくれ――声には出さないまでも、僕は目で坂之下に訴えかけた。怪訝な顔で詩由に抑えつけられている僕を見ていた坂之下は、合点がいったようなハッとした表情に変わり、僕らに向かって突っ込んで来た。
「なぁに……しとんじゃこらぁっ!」
「きゃぁっ!」
そのままの勢いで坂之下は僕の上に乗っかっていた詩由にドロップキックをかました。肩から腕にかけて蹴られた詩由は、軽く吹き飛ばされ床へと転がった。その途中、詩由と坂之下のパンツがガッツリ見えてしまったのは、いろんな意味で墓場まで持って行こうと決意した。
「おいっ。坂之下、少しやり過ぎだぞ」
転がった詩由に駆け寄りながら、ふんぞり返る坂之下に振り返った。
「ふんっ。上乃はそいつにチューでもされたかったわけ? でも残念。あたしの前でそんなエッチなことさせないから」
「はは、エッチっておまえ……でも、ありがとう」
坂之下に僕の意図が伝わってくれてよかった。詩由とキスをしてしまったら色々と、終わらないまでも変わってしまうことはあるだろう。詩由と今後どう接していけばいいのかわからなくなってしまう。
しゃがんだ僕の膝元でうずくまっていた詩由は、ゾンビのようにのろのろと立ち上がると、手芸部に入ってきた二人を見据えた。
「お二人共、手芸部へ何の御用でしょう?」
にこやかに笑い、何事もなかったかのように詩由は振る舞い始めた。妹の笑顔の裏に一体どんな思惑があるというのか? 兄である僕にもその真意がわからない。
「な、南雲さん! あなた自分が何しようとしてたかわかってるの?」
手芸部に来てずっと唖然としていた望月が、詩由に向かって激しく責め立てる。
「あなたが兄である上乃君に尊敬の念を抱いていることはわかってる。でも、あなたが今しようとしたことは、兄妹の範疇を超えるもの……それがわかっていて、あなたは上乃君に……き、キスしようとしたの?」
言いながら望月は顔を赤らめていた。あまりよく使うようなセリフでもないんだろうな。
「私は……」
言い淀む詩由は、何かを我慢しているかのように拳を震わせている。しかし、その震えていた拳の力を緩め、目の前に立ちはだかる二人に向け、言い放った。
「私は、兄さんを……上乃弦二を愛しています。一人の女として」
「んなっ! し、詩由?」
突然の告白に頭の理解が追いつかなかった。どうせ家族としてだろう、と言ってしまいたかったが、詩由の言葉はその逃げ道を閉ざしてしまっていた。
「えっ? 南雲が上乃のことを愛してる……? ってか、二人って兄妹……? え?」
パニくってるのはどうも僕だけじゃないらしい。坂之下も驚きの表情で僕と詩由を何度も何度も見比べていた。その点、望月だけは何もかもわかっていたかのように詩由を睨みつけている。
「まさかそこまで自分の兄を想っているなんて……。南雲さん。あなたそれでも生徒たちの見本となる生徒会の一員なの? そんなことを言って人として恥ずかしくないの?」
「別に恥ずかしくてこんなこと言えませんし、別に私は生徒の見本となるべく生徒会に入ったわけでもありません。ただ兄さんが学校生活を円満に送れるよう、生徒会に入ってサポートしようと考えただけですが?」
「そんな……」
望月は落胆の色を隠せていなかった。今まで自分の積み上げてきた努力はなんだったのかと、そう言いたげな顔をしていた。
「まあ、フツーのブラコンならいいんじゃないの? そうなんでしょ?」
「ブラコンなんてそんな低俗な括りにまとめないでください。私は本気で兄さんを愛しているのです」
「だからっ、それは兄妹として有り得ないでしょう? どうして頭はいいのにそんな倫理観めちゃくちゃなの? もう一度考え直しなさいよ!」
「そーだそーだ! 兄ちゃんに甘える妹に収まっとけばいいんだって」
「ええ。かれこれもう何度も考え直してみましたが、私は兄に甘える妹に収まることができません。残念ですが、自分でもこの想いはもう止められないのです」
修羅場とはこういう状況のことを言うのか? だとすれば僕はその言葉の意味を軽々しく捉え過ぎていたのかもしれない。さっきまでいつもの日常がこの室内にあったはずなのに、いつからこんなにヒートアップしたんだ?
詩由。望月。坂之下――僕の知る女子の中で、最も関わり合いのある三人だ。その三人がこうしていがみ合っている現状を何とかしたい気持ちはあるものの、打開策が浮かばない。どうにかこの場をクールダウンさせる方法はないものだろうか?
っていうか、とりあえず……。
「な、なあ」
「なに?」「なによ?」「どうしたんですか? 兄さん」
「望月と坂之下はさ、なんでここに来たんだ?」
単純に二人が手芸部に訪れた理由を僕はまず聞きたかった。
「えっとぉ。あたしはそのー……」
「私はあなたのことが知りたくてこの場所に来たの。上乃君」
臆面もなく言いのけたその姿はなんとも望月らしかった。
「あなたに告白されてから、私はあなたのことを知ったわ。あなたが南雲さんの兄であるということも、南雲さんから絶大なる信頼を得ていることも……そして私が自分の好きなことを素直に好きだと言える相手なんだってことも!」
望月の目には決意に満ちた火が灯る。
「教えてほしい。あなたのことを。それがこの場所に来た私の望みよ」
「望月……」
目の前まで迫ってきた望月は僕が好きだった……いや、今でも少なからず好意を寄せている相手だ。そんな人から自分のことを知りたいなんて言われれば、僕は何でも喋ってしまいそうな気持ちになってしまう。
こんな修羅場になっていなければだけど。
「あっ、あたしも……あたしもぉ……っ」
いつもなら弾けた笑顔を見せてくれる坂之下は、顔を真っ赤にしてモジモジと身体をくねらせ、我慢の限界だとばかりに耳をつんざく大声で叫んだ。
「上乃がすきっ! 大好きなのっ!」
「えっ? ええええぇっ?」
危うく――あ、無理だった。僕は実際に腰を抜かし地面に尻餅をついてしまった。状況の展開の速さに理解が追いつかず、睨み合う三者の顔をずっと見回していた。
坂之下が、僕のことが好きだって? いやいや、そんな素振りなんて……多少あったか?
『あんたはずっと、あたしのことだけ見てくれるの?』
そういえばあの時公園で坂之下はそう言っていた。好きだと言われた今ならば、あの言葉には細やかならぬ大胆な下心が混じっていたのかも――なんて想像できるけど、まさかあれがあいつの本心だったなんて……。
「だ、だからその……週末に祭りがあるでしょ? どうかな? って」
「あ、ああ。そう言えばあるな。全然行く予定なかったんだけど……」
いつも強気に出る坂之下は今こんなにも縮こまって、しかも両手の人差し指を突き合わせ始めてしまった。通常とのギャップに可愛さが溢れている。
「そういえば週末は祭りでしたね。兄さん。私と行きましょう?」
「いいぃっ?」
「あ、あんたっ! 今誘ってんのあたしなんだけど!」
「上乃君。私と祭りに行ってさ、ゆっくり喋ろうよ。そこで君のこと、もっと教えて欲しいな」
「もっ、望月。顔がいつものおまえじゃなくなってるんだが?」
三角形の頂点を結ぶように迸る、三人の対抗心。よもや僕へ向けられている好意が原因となっているなんてにわかには信じられない。僕は今どう判断し、どう行動し、どうそれぞれに対して接してやればいいのか全くわからなくなっていた。
外の激しく降り続いていた雨は勢いを治めており、けれども一定の雨音をずっと鳴らし続けている。雨も僕らの行く末が気になっているのかもしれない。




