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せめぎ合う恋心―7

「おい詩由。人形大分仕上がったから見てもらいたいんだが」


 夏場の天気は移ろいやすく、じょうろで降らせているような小粒の雨がポツポツと手芸部の窓を叩いていた。湿気が夏の気候に暖められ、腕や足を曲げたり伸ばしたりする度に肌同士がべたついた。

 今日は生徒会の集まりがなく、授業が終わって直接手芸部に足を運んだ。私が来た後すぐに手芸部に入ってきた兄さんは、私の顔を見るなりそう言った。


「いいよ。割とすぐできたんだね」


 手渡された人形は、狐の人形だった。

 私の右手を身体が覆い隠してしまうくらいの大きさで、生地の触り心地もよくフワフワとしていて気持ちがいい。人形というよりはぬいぐるみに見え、兄さんがつくるものにしては可愛らしい部類だった。


「ふぅん。兄さんにしては結構大きめの人形なんだね。どこかで見たような気もするけど……」

「大きさもこれくらいのような気がしたんだ。まあ、まだやること残ってるんだけど。あーでも、これ終わったら次は何をつくろうか」


 共用スペースのテーブルを挟み、私の淹れた紅茶を二人でのんびりと啜っていた。私は兄さんの製作した人形を私と兄さんのカップの間に置いた。


「ねぇ兄さん。兄さんは、お母さんとお父さんがどうして離婚しちゃったのか知ってるの?」


 私は前から気になっていた、両親の離別の本当の理由を兄さんに聞いた。なかなか聞けずにいたのは、今みたいな穏やかな日常を壊しかねないという懸念があったから。今思えば、お父さんの浮気なんかでお母さんがあんな悲しみを見せる筈がない。

 今の私にはどんな内容の話を聞いたとしても、兄さんとお母さんとの間にある家族の絆は絶対に揺らがない、そんな自信が絶対的にあった。

 あれからもう時間も経った。そろそろ私にも教えてほしい。兄さん。

 兄さんは啜ろうとしていたカップを持つ手をピクリと震わせ、机に置くかと思いきやまた口元へと運び、まだ量のあった紅茶を一気に飲み下した。


「っぷはぁ、はぁふぅ。ああ。それは離婚した後に父さんから聞いたよ。なんだ? 詩由は母さんから聞いてないのか?」

「うん。離婚して引っ越した後もなかなか聞けなくて。お母さんも自分から言ってくる素振りも見せないし、あまり話したくないのかなって」

「まあそうか。母さんからしてみればあんまし思い出したくないのかもな」

「そんなに言い出しづらい理由なの?」

「いや……母さんとしてはさ、父さんと離れさせられてその上直接的な原因ではないにせよ、命まで奪われたようなもんだ。母さんって結構傷つきやすい性格だからあまり思い出したくないんだろうな」


 兄さんはお母さんの人となりがよくわかっている。人前では気丈に振る舞うお母さんは、私たち家族にはありのままの感情をさらけ出す。

 お父さんの葬式の時、遺族側として参列者の方々に挨拶をしていたお母さんは涙なんて一つも見せず美しい所作で対応していた。しかし次の日の朝、お母さんは泣き腫らした顔でリビングへと出てきて、その姿に情緒不安定な時期にあった私も泣き崩れて、二人で抱き合いながら涙を流していた。


 私とお母さんは似ている。感情の行方も、立ち振る舞いも、人と接する距離感も。そして――好きになる相手も。

 お父さんに似ている兄さんが、一人の女として私は大好きだ。


「知ってるよ。それで? どうしてお母さんたちは離婚したの?」

「ああ、それはな。叔母さんが身体が弱くてずっと入院していたのは知ってるだろ?」

「うん。私たちが小さい頃から入院してたよね?」


 叔母さんとは幼い頃、私たちが祖父母の家に連れて行ってもらった時に会っていた。綺麗な人だったけれど、生まれつき心臓が弱く、事あるごとに入退院を繰り返していた。私が会った時の、祖父母と共に暮らしている叔母さんは、自分にかかった呪いを跳ね飛ばすような明るさで、楽しそうに生きている人だった。


「そうだ。ある時期からずっと入院するようになって入院費と、それと手術費がかかるようになったんだ。叔母さんは自分にこれ以上金をかけないでくれと訴えていたらしいけど、父さんやじいちゃんばあちゃんは諦めなかった」

「それで、迷惑かけないようにお母さんと離婚したの?」

「ああ。母さんも手伝うって言ってたらしい。でも父さんが許さなかったんだろうな。僕にもわかるよ。父さんにとって叔母さんはたった一人の妹で何としてでも助けてやりたかったんだ。でも、愛する人に自分のわがままで迷惑をかけたくない想いもあったんだろう……父さんも悩んだんだろうな」

「そうだったんだ」


 そうとも知らず、私は一方的にお父さんを責め立てお母さんへと逃げてしまった。何か事情があると感づいていた兄さんは、ちゃんとお父さんの気持ちに気付いていた。あの頃お父さんに向けていた浅はかな態度が恥ずかしい。事情を知らず、お父さんの嘘を鵜呑みにしていたのは私だけだったのだ。

 おもむろに手を伸ばしてきた兄さんは、私の頭の上に手を乗せた。


「僕にとっての詩由と同じだ。例えどんな苦労を買ってでも、僕もおまえを助けてやりたい。おまえはたった一人の妹なんだからな」

「まっ、またそんなこと言って……………………にぃさん」


 どうしてこの人は私の愛を激しく昂らせてしまうの? これじゃ本当に、私は兄さん以外何もかもが有り得ない人間になってしまう。兄さんなしじゃ生きられない身体になってしまう。

 兄さんの撫でる手に私は頭を差し出してしまう。もっと撫でて欲しいと、自分にもっと触って欲しいと願ってしまう。

 しかし、私の願いはほんの少しだけ叶い、兄さんの手は離れてしまった。


「うしっ。まあ話はこれくらいにして、手を動かしながら今後どうするか考えるとするか」


 兄さんは机の上に置かれた人形を持ち、作業スペースの方へと向かってしまった。


「に、にぃさぁん」


 私は縋る思いでその背中に手を伸ばし、兄さんを追いかけた。そして作業スペースのど真ん中で兄さんを捕まえる。


「詩由? どうしたんだ、っておわっ――!」


 振り向いた兄さんに私は全体重を預けるように寄り掛かった。仰向けに倒れる兄さんの身体の上に私は覆いかぶさる。


「にぃさん……私にはもう兄さんしかいないの。もう兄さんしか愛せない」


 運動神経のない兄さんを押し倒すのは簡単だった。両の二の腕を掴んで地面に抑えつける。女である私の束縛から逃げられない兄さんを、それでも私は愛していた。

 手芸部に染みついた布の匂いも、窓を激しく叩き始めている雨の音も、周りの全てを無に帰し、兄さんに触れ続ける。


「おい。なに言ってんだ! とりあえず落ち着けって詩由っ!」

「兄さん。どうか私を――」


 もう止められない。兄さんが欲しくて堪らない。


「愛してください」


 兄さんの乾いた唇に自分の唇を近づけていく。私はもう止まれない。

 ――ガラッ。

 そんな耳障りな音がしたのは突然だった。


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