孤独だった僕と恋する少女―5
お互い対面し自分の姿を見下ろした坂之下はみるみる顔を赤らめ「いやああああぁっ!」と、叫びながら店の奥へ颯爽と消えてしまった。部屋着を僕に見られたのがそんなに恥ずかしかったのだろうか? 家の中じゃあんなものだろうに。
坂之下と入れ替わりで、今度はおばあさんが腕いっぱいに生地を抱えて店内へと戻ってきた。
「あらあら? あの子どうしたのかしら? もしかして夏とお知り合いですか?」
「なつ……ああ、坂之下ですか? 一応同じクラスで隣の席なんですけども。もしかしてここって坂之下の家だったりします?」
「ええ。夏はこの店の二階で私と暮らしています。そうですか……夏のお友達が来てくれるなんて喜ばしいことです」
おばあさんは皺のある顔を更にくしゃりとさせ、本当に嬉しそうに笑った。
僕は僕で思いがけない坂之下との出会いであった。まさか坂之下がこんなにも見目麗しい人形店に住んでいようとは。おばあさんが経営している店であるようだが、坂之下と人形、この二つのイメージが僕の中で全く混ざり合わない。
おばあさんに生地を見せてもらい、結局タダで気に入った色のトイクロスを裁断してもらった。本当にこの人には頭が上がらない。今度気に入った人形でも買いに来よう。
「本当にありがとうございました。今度はぜひ人形を買いに来ますので」
「いえいえ、遠慮なさらずいつでもご覧に来てくださいな。もうお帰りになりますか?」
「はい。今日はこれだけを探していたので、帰ろうかと」
洒落た格子の付いた窓からは白じんだ東の空が見え始めていた。特にやりたいこともないし、早いけど帰って晩飯どうするか考えないとな。
「そうですか。…………なっちゃーん! お客様お帰りになるわよー」
おばあさんは店の奥に向けてそう叫んだ。するとすぐ「なっちゃんって呼ばないでよ!」と坂之下の焦った声が返ってくる。
そしてさっきとは違う、街で見かける女の子のような私服で坂之下が出てきた。
「お、おう。悪いなわざわざ……これから出かけるのか?」
「べっつに! どこも出かけないけど! 私の格好になんか文句あんの?」
「いや、むしろ――」
「センスいいな」と僕なんかが素直に言ってしまったらまた怒られるだろうか? 別に茶化すつもりなんてないんだけど、今の坂之下はちょっと怖い。
「むしろ? なに?」
「……なんでもない。それより僕はもう帰るからさ、また学校でな」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
手を挙げて店を後にしようとしたが、坂之下に腕を掴まれてしまった。
「あんたさ。これからなんか用事あんの? ないならもうちょっと話さない?」
いつも学校で話してるじゃないか、とも思ったが、言われてみればあまりじっくりと時間をかけて会話したことは一度もない。僕と坂之下は隣の席のクラスメイトというだけで、坂之下が普段どんなことをしているのか、好きな物はなんなのか、どんな家に住んでいるのか(これは今日知ったけど)何も知らなかった。
友達なのか? そこまで深い関係でないのはこれまでの付き合いでわかる。
坂之下は一歩、僕の方へと歩み寄ってきているのか。
僕の腕を掴んでいる坂之下の手は小刻みに震えていて、耳を澄ましてみると浅い呼吸を繰り返している。どうやら平常心ではないらしい。
全く……僕と話すのに坂之下が気負う必要なんてどこにもないじゃないか。
「ああ。たまにはじっくり話してみるのもいいかもな」
「よ、よっしゃー。そんじゃ外で話そうよ」
わざとらしく喜んで見せた坂之下は僕の手を引いて外へと向かっていく。
店を出る僕と坂之下をおばあさんはクスクスと笑って見送っていた。まるであれは……そう、母親が娘の成長を見届けるような、暖かい微笑みであった。
『楠原人形店』の裏手には小さな公園があり、端に設置されている東屋のベンチからはフェンス越しに町の風景を一望できた。ビル群のそびえ立つ中心街。そこから遠くにある海に向かって建物の高さも段々低くなっている。学校の屋上から眺めた街の風景とはまた違った趣を感じられた。
坂之下に連れてこられ、僕らは人ひとり分の間を空けて同じベンチに座っていた。
「とりあえず聞きたかったんだけどさ、なんで家にきたの?」
「んーなんでだろうな?」
「はあ? なにそれ。…………こっちは急に来たから焦ったっつーのに……」
ボソボソとぼやいている部分は聞き取れなかった。
「なんて?」
「なんでもないよ。上乃の家ってさ、確か海の方だったよね? 結構ここから遠いだろうし、まさかあんたがおばあちゃんの店にくるなんて思わなかった」
「ああ。ホントになんでなんだろうな? いやな、人形の材料探しにこっちの方まで来たんだけど、この辺りの地形に見覚えがあった気がして。足の向くまま気の向くままに歩いていたらこの店に辿り着いたんだ」
「たまたま来れるような場所じゃないんだけど……。上乃って、なんかいつも普通っぽく過ごしてるように見えるけど、案外変な奴だよね。手芸部に所属してるってだけで変だし、急に望月に告白したりさ」
なるほど、坂之下には僕がそんな風に見えてるのか。地味だ普通だと言われることはよくあるけれど、変だと言われたことはあまりない。
別に変だとか普通だとか意識してるわけじゃないから、どっちでもいいけど。
「僕は自由に生きようとしてるだけさ。嫌いなものはやりたくないし聞きたくもないし見たくもないし触りたくもない。でも、自分の好きなものは……可能であるならやってみたいし聞いてみたいし見てみたいし、触りたくもなる。好きだと感じるものを、できるだけ自分の傍に置いておきたいって無意識に考えてしまうんだ。――坂之下は違うのか?」
幼児が玩具で遊ぶように、サッカー選手がボールを蹴る感触を確かめるように、演奏者が音に耳を澄ませるように、読書家が活字を眺めるように、絵描きが世界を旅するように――。
高校生の一男子生徒が単なる思いつきで人形を作るように、誰もが好きなものを見つけ出しては手に入れたいと考える――それは誰もが望んでいることではないだろうか?
「あたしは――」
坂之下はショートデニムからスラリと伸びた太ももに両手を挟んで考え込み始めた。時折爽やかな風が吹いて坂之下の背中にかかる滑らかな髪をフワリと揺らす。坂之下の考え込む姿を見ていた僕は、こいつも女の子なんだよなぁ――と、女性らしい一面を感じた。
西へと沈みゆく夕日があらゆる影をみるみる伸ばしていく。低地を飛ぶカラスたちの鳴き声が大気に木霊する。大空を優雅に泳ぐ細切れの雲を目で追っていると、いつのまにか首の向きが少しだけ傾いていた。
長い長い沈黙の末、坂之下はようやく口を開いた。
「上乃は……あたしだけを見てくれる?」
思わぬ言葉に僕はつい「え?」と聞き返した。
「もし、もしね。あんたがあたしのことを好きになってさ、あたしもあんたのことが好きで、両想いになってお互いがお互いの近くにいたいって――そんな風になったとしたら、あんたはずっと、あたしのことだけを見てくれるの?」
坂之下の目は真剣だった。その目を前にして僕は嘘をつけなかった。
「僕は……見続けると思う。ずっと好きなものだけを見続けるんだと思う。坂之下とそういう関係になったとしたら、僕の一番近くにいるのは坂之下で、多分……おまえしか目に入らないんじゃないか?」
例え話。そう、ただの例え話だ。だから僕はこうも綺麗ごとみたいなセリフが言えるんだ。
でももし僕が、誰かと想いを添い遂げるのだとしたら、自分がそうであって欲しいと強く願う。
――ガチャリ。
またこの間と同じように鍵の開く音がした。望月に告白した時と絵本の下書きを見せてもらった時、そして詩由が涙を見せた時に聞こえてきた音と全く同じ。幻聴だと感じていたが四回目ともなると聞き間違えだとは考えにくい。しかしこの解錠の音がどこから聞こえてくるのか、今でも全くわからなかった。
「そう、なんだ……」
坂之下は太ももに挟んでいた両手を高速で擦り合わせており、顔を真っ赤に紅潮させモジモジと身体をくねらせていた。解錠の音なんかより坂之下の奇怪な行動の方が僕を驚かせた。
「お、おい。大丈夫か? そんなに僕変なこと言ったか?」
「はっ! あ、あはは。なんでもないって、あんたがむず痒いこと言うから全身の毛穴がぞわわ~ってなっただけ!」
「んなっ! 坂之下が深刻そうな顔で聞いてきたんだろ!」
なんだよこいつっ! 僕は真面目に考えて言ってやったってのに。くそっ……坂之下なんかと真面目な話なんて無謀なことしなきゃよかった。
「ははは……あたしさ、クラスで全然周りと馴染めてないんだけど、今に始まったことじゃないんだよね」
坂ノ下は笑ったまま、けれど悲しい過去を思い出すように、寂し気な表情で話し始めた。
「昔っから要領悪くって、テストも運動も出来なくてよく父さん母さんに怒られてた。それに加えて友達も全然作れなくってクラスからも孤立してたんだ。あたしはあんたみたいに好きなものをどうこう考えるより、めんどくさいものを自分から遠ざけちゃいたくなるんだよね」
その話が、これまでの坂ノ下の人生の縮図なのだと、僕はそう感じながら聞いていた。
「自分の好きなものに手を伸ばすってのを、あたしはもう諦めてたんだ」
沈みゆく夕陽をまるで自分のことのように話す坂ノ下がとても美しく見えた。
「でもそんなあたしの前にさ、なんでか知らないけど、隣の席ですんごいうっさく話しかけてくる奴が現れたんだよね。いやホント、なんでそんなに喋りかけてくんの? って最初は若干ウザいくらいに思ってた」
「あー、そういう奴っているよな。相手の気持ちも知らずに話しかけてくる奴な」
「…………」
夕陽を見ていた坂ノ下が突然ジト目で僕を見てくる。その意図に僕はすぐ気づけないでいたが、高校二年に進学した当初、隣の席の女子に僕がしつこく話しかけていた記憶を引っ張り出した。
「あ」と僕が言うと「クスッ」と、坂ノ下は堪え切れない笑いを漏らした。
「ねえ、どうしてあたしにあんな話しかけてくれたの?」
ニヤニヤと僕を見てそう聞いてくる坂ノ下に話すのはなんとも恥ずかしかったが、坂ノ下も自分のことを真剣に話してくれて、僕の口は随分と軽くなっていた。
「……僕はあの時、ぼっち仲間を探してたんだ」
「ぼっち仲間?」
「そうさ。宗谷とは仲良かったけど、あいつはあいつで他の友達もいたからさ。進学当初なんかは僕も一人でいることが多かった。それで僕以外に一人ぼっちの奴いないかーって探してたら、これが案外隣にいたもんだ」
クラス替えが行われた初日。僕は宗谷がいるから大丈夫だと新しい教室に余裕を持って入ることができたが、あいつは薄情な奴だった。すぐ自分だけ他の奴と仲良くしだして、僕は一人、誰か仲良くできそうな人間はいないかと、クラス中を見渡していたんだ。
新しい人間関係の構築にクラス中がざわつく中、それは意外にも隣にいた。
机に突っ伏して自分と外界とを遮断している女の子。
あの時の僕は、なんとなくこの人となら仲良くなれそうなどと、無謀にも勇ましい気が、柄にもなくみなぎっていたんだ。
「坂ノ下が……おまえが隣の席にいてくれて本当によかった」
ボンッ――電子レンジの中の弁当が破裂したような、そんな音が聞こえた。
「そんな……あんたがそんなこと言うから、あたしは手放したくなくなるんだ」
ボソッと何かを言った坂ノ下が僕から顔を背ける。その仕草を見た僕は自分で言ったことを振り返り顔が熱くなった。
自分らしくもない。でも後悔はしなかった。
「フフッ」とにやけながら、坂ノ下は真っ赤な顔で振り返った。その手にはスマホがにぎられており、
『坂ノ下が……おまえが隣の席にいてくれて本当によかった』
その機械の中から僕の声が聞こえてきた。
「おまっ! 何録音してるんだよ!」
「へへっ、これは人質だっ。一日一回それを私に言ってくれたら消してあげる」
「言うわけないだろーがっ! 今すぐ消せっ!」
坂ノ下のスマホに手を伸ばすが、俊敏な坂ノ下のスマホを僕の手は捕らえられない。その間にも、坂ノ下は立ち上がって公園の中心へと駆け出していた。
「こっちまでおいでー。捕まえてみなよ」
挑発する坂ノ下を見て、僕は深呼吸。冷静に、どうすれば坂ノ下を捕まえられるかを判断「うるぁあああああっ!」僕は叫びながら坂ノ下へと突っ込んでいった。
僕ら以外に誰もいない公園に、僕の怒声と坂ノ下の楽しそうな悲鳴が響いている。こうしてなんだかんだと、女の子を追いかけ回して楽しんでいる僕は今、多分幸せのひと時の中にいるのだろうなと、逃げる坂ノ下を見てそう思う。
追いかける僕と、逃げる坂ノ下の顔を、真っ赤な夕陽が照らしていた。




