孤独だった僕と恋する少女―4
「くぁーっ、あっついなー」
休日の昼下がり、分厚い雲に覆われ光量の遮られた街中を僕は歩いていた。
手芸部で製作中の人形に使う材料がなく、僕はそれを買いに店を探していた。必要なのはトイクロスという主にぬいぐるみ製作等で使用する生地なのだが、百均やホームセンターに行ってみても、あまり気に入った色のクロスが見つからないでいた。
大した買い物でないだけになかなか見つからないと諦めたくもなってくる。手芸部で作っていると言っても所詮は僕の思いつきのようなものだし、部活として必要な活動では全くない。
「ないな。もしかしたら雑貨屋とかに行けばあったりするのか」
一息つきたくて、喧噪の多い町の中心街から外れた静かな公園へと向かった。木陰の下にあったベンチにだらりと座り込み、近くの自販機で買ったコーラを一気に呷る。
「っぷはぁー。コーラうんま」
喉を通り抜ける刺激が、夏の暑さを一気に吹き飛ばす。しかし飲み終えるとまた蒸し暑い空気が身体を茹で上がらせるようで、僕はもう一本コーラを呷った。爽快感はこれでもかというくらいに味わえたものの、胃からせりあがってくるゲップが止まらなくなった。
「ぐ、グゴゲェェェ~。――やばい、今のゲップは過去最高かも」
自分の口から発するゲップに我ながら感動を憶え、ここまで来た目的など忘れてしまいそうになっていたが、食べてもいないのに膨れた腹を押さえつつ僕は公園から出た。
「あれ? この辺って確か……」
公園を出て駅へと続く大通りを歩いていると見覚えのある道があった。
緩やかな斜面。所狭しと敷き詰められた住居。それらは高台へと続いており、見上げると山ひとつに家々が張り付いているような景色が見えた。
そういえばこの辺りはじいさんの家が近かったはずだ。小さい頃に何回か遊びに来た記憶がある。最近じゃあまり顔出してないんだけど……。
祖父の家までの道のりを僕は覚えていない。しかし、どうしてか僕の頭の中にはどこかへと続く道のりがおぼろげに見えた。
自然と足は坂道の方を向く。別に目的もないし目的地だってわからない。道は覚えているのに、この道の先に何があるのかわからない。
でも多分、何かがある。それが知りたくて僕は緩やかな斜面を歩き始めた。
だだっ広い民家の庭が柵の向こう側に見えた。
ボロいアパートの階段からは、すぐ隣にある一軒家の庇の上に飛び移れそうだった。
背の高い塀の上を茶色い猫がてくてくと呑気に歩いていた。
斜面はどんどん勾配を増していき、僕は既に坂道を歩いていた。間違いなく上へ上へと向かっており、その先に僕の知らない何かがある予感がしていた。
傾斜のある坂道や小さな階段の連続で丁度息が切れかけた頃、坂道は終わりを迎えた。道の両側にずっと続いていた住居の列もそこで途切れ、急に空気が澄んだような気がした。
「はぁっ、はぁっ。結構きっついな……ここは?」
坂道の終点。そこには一軒の人形店があった。
「楠原人形店? なんだここ? 初めて来たんだが」
洋館を彷彿とさせる二階建ての木造建屋。庇のような出っ張りには『楠原人形店』と崩れた文字で書いてあった。建物の周囲を見てみると、主に西洋の人形が陳列されているショーウィンドウがあった。
自分で自分がよくわからない。いや、確かに僕は今人形を作っていて人形の材料を探し求めていたのだけれど、別に人形店に来たかったわけでもないし、親戚の家に来たことがあるってだけで、どうして僕はこんな山の頂のような場所までの道筋を知っていたのか。『楠原人形店』なんて見たことも聞いたこともない。
一時の間唸った挙句、僕は両頬を手でパチンと打ちつけ気合を入れた。
「よし! とりあえず、なんでここに来たのかは気にしないようにしよう」
そうだ。もしかしたら探してる色のトイクロスがここにあるかもしれない。人形店だから人形に使う材料が売ってあってもおかしくはないしな。それに、単純に中が見てみたい。
花やツタの装飾の施された両開きの扉には『OPEN』と記された立て札がかかっている。
僕は単純な自分自身の興味に背中を押されその扉を開いた。開いた瞬間、年季のある木と布の入り混じったような懐かしい匂いが鼻へと吸い込まれる。店内は外から見た雰囲気と同じように板張りでクラシックな雰囲気を感じさせた。
店内にはさすが人形店とだけあって、無数の人形の目が店に入った僕を迎えた。しかし無造作に人形たちが陳列されているわけではなかった。
店の真ん中には大きめの机とそれを囲む椅子、壁側に背の高い棚などといったアンティーク調の家具、それらが醸し出す生活様式に人形たちは溶け込んでいた。
室内を見回して息をのむ。こういった雰囲気のある店に入ったのは初めてで、異国に瞬間移動でもしてしまったんじゃないかと僕は一瞬だけ現実感を見失っていた。
椅子や棚にいる人形たち。ビスクドール、テディベア、フランス人形――日本人形の類はなく、西洋人形がこの空間を余すことなく占拠している。感動というよりも感心――それほど人形には詳しくないけれど、これほどの空間が存在している事実に僕は緊張感を抑えきれないでいる。
それにしても……誰もいない。まさかこれで無人販売店じゃないよな?
誰かが来てくれないと緊張感で僕も人形の仲間入りになってしまいそうな気がした。仕方なく存分に人形の世界を堪能していると、奥から誰かの足音が聞こえてきた。
「いらっしゃい。ゆっくり見て行ってくださいな」
店の奥から現れたのはマダムという呼称の似合うおばあさんだった。緊張感が抜け切れていなかった僕は思わず主人の出現にペコペコと頭を下げてしまう。
「すみません。なんか勝手に入っちゃって……」
「ほっほ。お店はそういうものでしょう。私も奥の方で本を読んでいたらウトウトしてしまいしてねぇ。あなたの足音が聞こえてきて目を覚ましたんですよぉ」
「はは、そうですか。――それにしても素敵なお店です」
「はい。私の自慢の店でありますので」
優しく、慈愛に溢れているおばあさんのゆったりとした声に僕の緊張も幾分かほぐれていた。それからおばあさんは僕の見たことのない人形を説明してくれたり、その人形の細部の構造や歴史などを教えてくれた。とても興味深く、博識なおばあさんの教えに僕は耳を傾けっぱなしであった。
「ところで、当店にお求めの人形はおいででしょうか?」
「あっ、いえ。ちょっとこちらの方に足が向いてしまったのでお店の中を拝見させてもらいたいな~、なんて思っただけでして……あっ、そうだった」
僕はすっかり人形の材料のことを忘れていた。
「こちらに人形制作に必要な材料など置いてあったりしませんかね」
僕はトイクロスを探している旨をおばあさんに伝えた。
「トイクロスですかい? 確か修繕ように在庫を補充していたような、してなかったような……。少々お待ちを」
「い、いやっ。売り物でなければ――」
別にいいです――と言いかけたが、おばあさんはらしからぬ機敏な動きで店の奥へと引っ込んでしまった。手持ち無沙汰になった僕は店の隅に置かれていた洋風の椅子に腰かけ、姿勢を正したまま座っていた。
はぁあ~。人形に囲まれる状況ってなんか不気味なイメージあったけど、やっぱりこういう店に来ると目を見張っちゃうよな~。テディベアなんて、作ってる会社であんなにも体形がかわっちゃうなんて。僕もまだまだ知らないことばかりだ。
未だに店内をキョロキョロ見回していると、また足音がドタドタと聞こえてきた。足音に反応した僕はほとんど反射的に腰を上げた。
「おばぁちゃーん! いないー? おっかしーなー……ってあれ?」
声を上げて店の奥から出てきたのは僕の見知った顔だった。
「はっ? え、なんでおまえ……坂之下がいるんだ?」
部屋着のようなラフな格好をした坂之下は目と口を大きく開き、驚きを隠せないでいる。でもきっと、僕も同じような顔をしていることだろう。
「あんたこそどうしてこんなとこに……?」




