孤独だった僕と恋する少女―1
また夢から目覚めると、頭の中が霞がかったかのようにぼんやりとしていた。いつも朝の目覚めはいい方なのに、今日はなんだか気だるい。
寝ぼけ眼を擦りながらリビングに入ると、例によって詩由が本を読んでいた。「お母さんとご飯食べてきたから」と言うことで、結局僕は詩由のつくった朝食を食べ、二人で部屋を出た。
「兄さん、寝不足なの? 目の下にクマができてる」
「ああ……結構寝てるはずなんだけどな。寝つきが悪いのかも」
「……添い寝してあげようか?」
「いらんっ! それはいろいろと問題あるだろうが!」
通学路での詩由はいつも通り、隙あらば僕の生活に溶け込もうとしてくる。この間、唐突に昔を思い出してからと言うもの、更にそれは顕著になっているようだった。
詩由の甘言をヒラリヒラリと交わしつつ、僕は学校へと向かった。
「おっ。今日は早いんだな。坂之下」
教室に着くと坂之下が僕の隣の席で退屈そうにスマホを弄っていた。いつもは始業ベルの鳴る直前に教室へと入ってくるのに、今日はまだ十五分以上も余裕がある。僕はいつも通りだが、坂之下にしては珍しい。
「上乃のお喋り相手にでもなってやろーかなーってね。どうせ小田原くらいしか喋る相手いないんでしょ?」
「まあな。そういうおまえも僕くらいとしか喋べんないだろ?」
「まあね」
坂之下が他のクラスメイトと仲良く話しているのをあまり見たことがない。嫌われているわけではないみたいだが、隣の席から見ている限りずっと一緒にいるような親しい友達はいないみたいだ。
坂之下も結構サバサバした性格してるし、友達っていう親密な人間関係が嫌いなのかもしれない。あんまりじっくり話したこともなかったし、ちょっと色々聞いてみるか。
「そういや坂之下って部活とかしてないのか? そういうのとあんまり縁がなさそうだってのはなんとなくわかるけど」
「やってない。めんどくさいもん。だーれがすき好んで体力をすり減らしたり、泥まみれになったり、身体を痛めつけなきゃいかんのさ」
「それは運動部に限っての話だろ? わからんこともないけど」
運動部の部活の意義は僕にもよくわからない。きつい練習を経て相手との試合に勝つ勝利の味が、みんなを躍動させるのだろうか? 才能ある一部の人間を除いては、部活動は最終的に趣味の延長でしかなり得ないのではないか?
多分、僕には理解できない世界があの場所にはあるんだろうな。
「文化部だってあるじゃないか。僕だって趣味の範疇でやってるようなもんさ」
「趣味の範疇なら別に部活じゃなくったってよくない? 部活って言う括りの中に入っちゃうから、いろんな制約が自分の思い描く理想を邪魔するんだ。部費だってかかるんだし、好きなことをしようってのに部活は窮屈すぎると私は思うんだけどね」
「そんなに深く考えなくてもいいだろうに」
将来を見越し、全てを理解したうえで部活に入ろうと思ったら、いつまで経ってもどんな部活にも入れない。ただ何かが好き、誰かと一緒に何かがしたい――運動部に入る奴も文化部に入る奴も、実際そんなもんなんだろ。
「手芸部はいつでも誰でも大歓迎だぞ! 部員は僕と部長しかいないけど……ふふん、どうせ坂之下も女の癖に裁縫なんてできないんだろ?」
「あぁ? できないけど文句ある?」
「文句なんてないさ。ただ、手芸部にくれば僕が手取り足取り教えてやろう」
「手取り足取り……」
僕が演技じみた行動で坂之下に手を差し出すと、坂之下は催眠術にでもかけられたかのような気の抜けた顔で僕の手をじっと見つめていた。
「どうした? 坂之下。僕の手になにか――」
「べっ、べつになんでもないよっ! そっそう! あんたの手に鼻くそついてたからびっくりしただけだって!」
「えぇっ! どこだっ」
なんてださいことをしてるんだ僕は……宗谷じゃないんだし慣れないことするもんじゃないな……っていうか鼻くそどこについてるんだ?
坂之下は上気した表情で、スカートの上で両手をモジモジとさせていた。朝早く来ていたこともそうだが、こうして色々話してみると坂之下のいろんな一面が見れて面白い。
「ん、じゃあ今度見せてよ。あんたが手芸部でどんなことやってるか」
「お、来てみるか? んじゃあ部長にも話してみないとな。新入部員がくるって」
「いや、別に入るなんて言ってないし。そういえば手芸部の部長って誰なの?」
ふっ。どうやら坂之下も手芸部に興味津々らしい。鼻くそを晒した甲斐があるってもんだ。
「手芸部の部長は――」
「うぃーっすっ!」
でかい声で僕の言葉を遮り、勢いよく肩を組んできたのは宗谷だった。
「今日も仲いいなおまえら。っつーか坂之下今日早くね?」
「だよな? 僕もそう言ってやったんだ……よ」
宗谷に笑いかけ坂之下の方を見てみると、坂之下は宗谷を邪魔者でも見るかのように睨みつけていた。こいつらって話してるの見たことないけど、仲悪いのか?
「どうしたんだ坂之下? 怒ってんのかよ?」
「別に」
「あー……すまんすまん。俺はお邪魔だったかね。お二人でどーぞご自由に」
そう言って宗谷は僕の前の席に座ると、何事もなかったかのように自分のスマホを弄りだした。それで坂之下の機嫌がなおったかというとそうでもないようで、机に頬杖を突き、僕とは逆側のそっぽを向いていた。
「はぁ、こいつらよくわかんね」
喧嘩でもしてるのならどうか僕を挟まないで欲しい――前と右隣の住人からシャットアウトされてしまった僕は、結局他に喋る相手もおらず机に突っ伏す以外にすることがない。ざわざわと様々な声が絡み合う一つの音が、遥か遠くから聞こえているように感じられた。




